仏教宗学研究会のブログ

「仏教宗学研究会」とは会の名称。「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

「仏教宗学研究会」とは「アンチ日蓮正宗」管理人が設立した会の名称。この会の中で、「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。富士門流執着軍団批判は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄だが、「日蓮正宗系」以外の富士門流寺院の調査・研究は「仏教宗学研究会のブログ」の管轄。
「仏教宗学研究会」への誹謗中傷に対する反撃・糾弾は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
さらに正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」の公式サイト「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」から、カルト宗教対策、カルト宗教取締特別立法、カルト宗教拡散防止条約制定の活動部分を独立させたものが「国際カルト宗教対策委員会(Icat-Cult)」

□正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」(アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ)
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□正式名「国際カルト宗教対策委員会・International Committee AgainsT Cult」略称名「ICAT-CULTアイキャットカルト・ICATアイキャット」
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西山本門寺(12)~全ての戸と窓が閉め切られ、内側からカーテンが閉められていた西山本門寺の庫裡

西山本門寺は、庫裡と客殿が並んでいて、渡り廊下で繋がっている様子でした。

西山本門寺26庫裡


しかし、庫裡とは言っても、受付もなければ書院もない。年中行事の案内もなければ、僧侶がいる気配が全くない。

西山本門寺の庫裡といったら、本山貫首の住居であるはずなのだが、外から見ると、そのへんの一軒家というか、民家と変わらないように見えます。

しかも、窓や戸は全て閉められ、ガラス戸も内側から全てカーテンが閉められていて、人が住んでいる気配が全くない。言葉は悪いが、まるで幽霊屋敷のようです。

 

庫裡の表札は、「村田政明 近藤恵正」となっていました。


西山本門寺14表札庫裡


村田政明とは、西山本門寺51代貫首・村田恵妙坊日敬氏のことだから、貫首が住む住居であることは間違いありません。

しかしまがりなりにも本山を名乗る寺院であるのに、庫裡はカーテンが閉まったままの幽霊屋敷同然。それどころか、山内に僧侶がいる気配が全く感じられないわけです。

貫首については、このあとわかったのですが、西山本門寺には住んでいないということでした。

 

塔頭の大詮坊と妙円坊には、門前に案内板のようなものはありましたが、年中行事の案内はなし。

しかし塔頭から客殿のまわりは、たんねんな清掃は行き届いている様子です。

そうして境内を散策していると、一人の中年女性が、境内の掃き掃除をしているのを見つけました。「これはちょうどいい、あの人に聞いてみよう」

と思い、その中年女性にいろいろ聞いてみることにしました。

 

まあ何度来ても、西山本門寺の僧侶に話を聞く機会には恵まれないし、それどころか人の気配すらないというのでは、話にならない。

仮に、僧侶に話を聞けたとしても、これだけ閉鎖的体質では、あまり期待できないな、と思った私は、むしろこの人から、いろんな話しが聞けるのではないかと期待を持ちました。

他の寺院を訪問したときも、僧侶には会えなかったが、信者に会えて、話を聞けたというケースもいくつかありました。

 

この掃除をしていた中年女性は、私からの質問に、割と快く応じてくれました。

(具体的な内容については、次回)

 

 

西山本門寺(11)~日興真筆・日蓮遷化記録をはじめ数々の重要文化財が蔵されている西山本門寺

西山本門寺という寺は、古くからの古文書、漫荼羅本尊が多数格蔵されており、平たく言うと、文化財の宝庫のようになっています。

客殿前に建っている「西山本門寺略縁起」と書かれた案内板の記述によれば

日蓮真筆本尊、日蓮生母頭髪、日蓮所持の念珠、日蓮消息文・和漢王代記、一代五時鶏図、高橋殿御返事、浄土九品釣物、法華証明抄、日興真筆本尊14幅、日興筆・日蓮遷化記録、日興所持念珠、日代真筆本尊8幅、歴代貫首筆本尊百数十幅、紺紙金泥法華経十巻、常子内親王筆・紙墨法華経八巻、等々が格蔵されている、となっています。

西山本門寺37縁起

 

「西山本門寺略縁起」は、西山本門寺が建てた案内板ですが、客殿の前には、富士宮市教育委員会が建てた重要文化財の看板がいくつも建っています。

ところで、西山本門寺のある所は、静岡県富士宮市西山ですが、元々は静岡県富士郡芝川町西山と言っていました。

芝川町というのは、日本の商用電源周波数の境界である富士川が縦断するため、同じ町で2つの電力会社(東京電力 (50Hz) と中部電力 (60Hz) の管轄エリアに分かれていることで有名だった町です。

 

つまり、西山本門寺のある所は、元々は芝川町だったのですが、20103月に富士宮市に編入合併されて芝川町が消滅。芝川町のエリアが丸ごと、富士宮市になったわけです。

ところが、面白いことに、これら重要文化財の案内板は、全て芝川町が富士宮市に編入合併される以前に建てられたものばかりなのですが、これらの案内板を建てたのは全て、富士宮市教育委員会になっています。

それとも合併後に建て直したんでしょうか。私は、芝川町合併以前にも、西山本門寺に何度も来ていますが、この案内板を建てた名前が、富士宮市教育委員会だったか、芝川町教育委員会だったか、記憶にありません。

 

さてその富士宮市教育委員会の案内板は

「静岡県指定文化財・本門寺の厨子」

「国指定重要文化財・紺紙金泥法華経十巻」

「国指定重要文化財・常子内親王筆・紙墨法華経八巻」

「国指定重要文化財・法華証明抄」

「国指定重要文化財・日蓮遷化記録」

と、客殿前にいくつも並んでいます。


西山本門寺34遷化記録


この中で最も注目されるのは、日興真筆の「日蓮遷化記録」が西山本門寺に格蔵されていて、これが国の重要文化財に指定されているという事実でしょう。

国の重要文化財に指定されているということは、「日蓮遷化記録」が偽書ということは絶対にあり得ません。これは、日興の真筆であることは、間違いないわけです。

 

この日蓮遷化記録には、日蓮正宗や創価学会が金科玉条にしている「二箇相承」を完全に否定する史実が書かれています。しかもそれは日興自らの手によって書かれているということ。

つまり、日興が書いた日蓮遷化記録に照らし合わせれば、「二箇相承」なる文書は、後世の偽書であることは、疑いないことであるわけです。

詳しくは、下記に書いております。

「『二箇相承書』は日蓮の真筆ではない。後世の偽作だ」

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=6472591&comm_id=406970

 

 

 

 

西山本門寺(10)~「日目上人正嫡の由緒と本因妙大本尊の発見」に書いてある西山本門寺客殿の中の様子

西山本門寺客殿は、とても大きな建物であり、江戸時代に権力の庇護のもとに栄えた西山本門寺の繁栄ぶりがうかがえます。

私としては、ぜひともこの客殿の中を見てみたいのですが、いつ来ても、この客殿の入り口の戸は閉まったまま、内側からカギがかけられています。そうなると、何かの法要の時に来るしかないのですが、この法要も毎月、定例の年中行事が行われているわけではないので、この中に入るというのは、なかなか至難の業です。

あとで、貫首代務者の山口亮祐氏と話した時に、4月のお風入れと11月の御会式しか行われていないと云うことなので、この時に来るしかないようです。


西山本門寺9客殿


 

ところで、いつ客殿の中に入るチャンスが巡ってくるのか、わからないので、私もいろいろと調べたところ、ずいぶん昔の西山本門寺・客殿訪問記として

「日目上人正嫡の由緒と本因妙大本尊(万年救護本尊)の発見」

と題するものを発見しました。これは昭和3839年ころ、由比日光貫首の代のときに、本門正宗・小野寺直(日了)氏が西山本門寺客殿を訪れたときのものです。この当時は、由比日光貫首が、独断で日蓮正宗に合同しようと画策し、塔頭・末寺・檀家と大きな紛争になっていた最中のころのことです。

この小野寺という人物も、謎めいた人物で、一説によると、日蓮正宗の元信者・創価学会の元信者ということなので、日蓮正宗・創価学会の信者として訪れたのではないかと思われます。

この「日目上人正嫡の由緒と本因妙大本尊の発見」という文が、近年、ブログとしてインターネット上に流れているようですが、小野寺氏が書いているものなのかどうかかは、不明です。

 

この「日目上人正嫡の由緒と本因妙大本尊(万年救護本尊)の発見」によると、西山本門寺客殿の脇に、「尊霊殿」という小堂の内陣があり、ここに北朝の後水尾院や、新広義門院、明治陛下並びに、歴代徳川将軍、武田信玄や勝頼の霊牌とともにその中央に、保田妙本寺に格蔵される「万年救護大本尊」を板に模刻したレプリカ、いわゆる模刻板本尊が祀られている、ということです。

そして西山本門寺客殿の御宮殿の須弥壇に上ってみたところ、日蓮が「建治二年太才丙子二月五日」の日付が入った大漫荼羅本尊を板に模刻したレプリカ、いわゆる板本尊であったといいます。

面白いのは、西山本門寺では、日蓮が「建治二年太才丙子二月五日」の日付が入った大漫荼羅本尊のことを「万年救護の本尊」と呼んでいるということです。

 

さらに「万年救護の大本尊」のレプリカ板本尊が西山本門寺客殿の「尊霊殿」という小堂の内陣に祀られている縁由について、静岡県文化財調査員の山口稔氏の話しを紹介しています。

これによると西山本門寺・客殿の尊霊殿にある万年救護の大本尊は

「江戸時代の初めの頃、小泉・久遠寺、保田・妙本寺両山の住職に日濃と称した人がいて檀家と争いを起こし、その訴訟費用を捻出の為に文永十一年(1274)十二月に身延山中で紙本に認められた「万年救護大本尊」を江戸市中の金貸しに入質して金五百両を借用した結果、「万年救護大本尊」は質流れして売りに出された。それを西山本門寺の住職が勧進元となり、拠金の寺寺に「万年救護大本尊」を板に摸刻して、勧請せしめる条件で金子を集め質受けした。その時の質請証文は現在も西山本門寺に保存されている。」

というものです。

 

保田妙本寺・日濃事件は、富士門流を巻き込んだ事件として有名ですが、客殿の中の様子が、果たして「日目上人正嫡の由緒と本因妙大本尊の発見」という文のとおりなのかどうかは、入ってみないとわかりません。

 

 

 

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