■身延山久遠寺12(立正の扁額と祖師堂の内陣・外陣の造り)

 

本堂と隣り合わせに建っているのが、棲神閣(せいしんかく)祖師堂。ここは日蓮祖師像を祀る堂宇。ここの須弥壇の扉は、普段は閉扉されていて、申し込みにより開帳が行われる。

日蓮祖師堂3


身延山久遠寺の場合は、寺院の中心本尊を祀る本堂と、日蓮祖師像を祀る祖師堂という二堂が、並んで建っている、ということになります。

祖師堂の入り口には「棲神閣」と書かれた74世日鑑の筆による扁額が掲げられているが、これは、祖師・日蓮の御魂が住んでいる堂宇という意味とのこと。

以前の祖師堂は、明治八年(1875)の大火で焼失。74世日鑑の代の明治十四年(1881)に再建されたものである。

中央の御宮殿には、日蓮祖師像が祀られており、内陣に掲げられている「立正」の扁額は、日蓮の立正大師号にちなんで、1931(昭和6)101日、日蓮六百五十遠忌の年に、昭和天皇から日蓮宗総本山身延山久遠寺に降賜された「勅額」である。

これは日蓮650遠忌を前にして、日蓮宗管長・酒井日慎が勅額を天皇から降賜してもらうために、各方面に活発に運動した結果によるもの。勅額降賜の請願は1931(昭和6)4月、身延山久遠寺法主・岡田日帰より文部大臣・田中隆三宛てに行われ、この請願書上奏よりほどなくして、文部省より日蓮宗に対して、日蓮宗各派管長から身延山久遠寺に勅額を降賜することについて各宗派の承諾をもらうように、との通達が発せられた。

日蓮宗宗務院庶務部長・妙立英寿はすぐさま日蓮宗各派を訪ね歩き、各派管長から身延山久遠寺に勅額が降賜されることに異義がないとの念書に署名させることに成功している。念書には以下の文が書かれてあった。

「 念書

宗祖立正大師六百五十年遠忌に際し、御廟所在地、山梨県身延山久遠寺住職岡田日帰より請願に及び候。立正大師勅額御下賜の件は本宗()に於いても異議無し…」

 

立正大師というのは日蓮のことで、1922(大正11)1013日、大正天皇より「立正大師」号が宣下されたことにちなんでいる。日蓮の「御廟」(正墓)のある身延山久遠寺に「勅額」が下賜されることについて、本宗としては異議がないという内容の念書である。

この念書には、当時の日蓮正宗大石寺第60世阿部日開法主も署名。「念書」は日蓮宗各派管長から文部大臣・田中隆三宛てに提出されている。

日蓮正宗としては公式には、1931(昭和6)年に勅額下賜の「念書」に署名した時点において、日蓮の「御廟」つまり「正墓」は身延山久遠寺にあるということを認めている他、「立正」の勅額が身延山久遠寺に降賜されることについても認めているのである。

 

祖師堂の中の造りは、見た感じとしては、他の寺院、池上本門寺大堂、片瀬龍口寺本堂、北山本門寺御影堂、大石寺御影堂など、日蓮祖師像(御影像)を祀る堂宇の造りとよく似ています。

僧侶が座る内陣を囲むように信者が座る外陣がある。

内陣の僧侶が座る所に備えられている経机は、祖師像に向かい合っているのではなく、僧侶同士が向かい合うように並べられています。

そして法主が座る大導師席が、内陣の一番後方の中央に備えられています。こういう内陣の大導師席・僧侶席の経机の並び方は、池上本門寺大堂、片瀬龍口寺本堂、北山本門寺御影堂、大石寺御影堂などに共通しているものです。

また、こういう内陣・外陣の区切り方、内陣の大導師席・僧侶席の経机の並び方は、日蓮宗や富士門流の堂宇にとどまらず、他宗の仏教宗派の堂宇にも見られるものです。

 

棲神閣祖師堂では、小松原法難会、七五三祈願会、日蓮宗布教研修所修了式、僧道実習生修了式、篤信位大教補特別修行入場式、松葉が谷法難会、信行道場修了式、住職担任認証式、特別信行道場修了式といった行事が行われている。