■富士本照寺1(神四郎の墓がある本照寺)

 

本照寺とは日蓮宗の寺院で、熱原法難で平頼綱に首をはねられた神四郎の墓があることで、とても有名な寺院です。

この本照寺が建っている所はまさに弘安二年(1279)に「熱原法難」があった所であり、住所は静岡県富士市厚原。今は熱原ではなく、厚原となっています。

本照寺10
 

私が、この本照寺に神四郎の墓があるということをはじめて知ったのは、たしか平成7(1995)か平成8(1996)ころに、美濃周人氏の著書「虚構の大教団」を読んだときでした。あの当時は

「熱原法難で殉教死した信者の墓が今でも残っているのか」

と思い、これは何としても本照寺に行って、神四郎の墓を自分の目で確かめてみたいと思ったものでした。実際に私が本照寺に行ったのは、それから十年以上も後のことです。

 

本照寺の山門前には

「熱原神四郎殿邸址とお墓」

と書いた石碑が建っています。

本照寺8


つまり本照寺は、神四郎の邸宅跡に立てられた、ということのようです。

神四郎というのは、熱原の農民だったわけで、熱原法難で殉教死した人物。その殉教死した神四郎を顕彰する意味合いで、神四郎の邸宅跡に墓が建てられたというのは、ごく自然の道理だと思います。特に異論はないと思いますねえ。

 

そういえば、日蓮正宗大石寺66世・細井日達法主が著書「悪書『板本尊偽作論』を粉砕す」の中で、「戒壇の大本尊」なる板本尊の授与書にある「本門戒壇之願主・弥四郎国重」とは、熱原法難で殉教死した神四郎のことだ、などと書いています。

これは「板本尊偽作論」で、安永弁哲氏から

「願主弥四郎は不明の人物、一歩譲っても闇討ち横死の人物」

等々と追及された細井日達が、答えに窮して、「弥四郎国重とは神四郎のことだ」などというハッタリを言ったものです。これは、とんでもない話しです。

弥四郎国重が、もし本当に神四郎だったら、本照寺にそれを証明する何らかのモニュメントがあるはずだが、そんなものは何一つない。これからしても、弥四郎国重が神四郎のことだ、などというのは、細井日達のハッタリであることが明らかです。

おそらく細井日達は、本照寺に来たこともなく、口から出まかせでハッタリを書いたと考えられます。

 

本照寺の三門には「加島法難遺蹟」と書いた棟札が掲げられています。

本照寺7


これを書いたのは、大正十年(1921)、日蓮聖誕七百年記念で身延山久遠寺79世日慈法主の筆となっています。棟札には「八十一世日慈」と書いてありますが、日蓮宗事典によれば「79世日慈」となっています。

これは身延山久遠寺の歴代法主の中に、後世に除歴された法主がいるからだと考えられます。

本照寺1境内

 

本堂横にある境内の案内図を見ると、神四郎の墓は、「熱原廟」となっています。

熱原廟の前には、「熱原法難御廟所」と書かれた、割と新しい石碑が建っています。ここが神四郎の墓ということです。

本照寺16熱原廟
 

熱心な信者さんが、神四郎のお墓参りをされていました。

本照寺2熱原廟