日蓮本宗本山・要法寺23(塔頭住職との単独会見)

 

以前に書きましたが、私がはじめて要法寺に行ったのは、1994(平成6)年の要法寺開祖・日尊650遠忌の年。私としては、日尊650遠忌法要の当日に要法寺に行くことを狙いたかったのだが、日尊の命日は58日。つまり、世間ではゴールデンウィーク明け。

この日に京都に行くというのは、まことに厳しいということになり、ゴールデンウィーク中に、要法寺に行ってみることにした。法要の当日ではなくても、ゴールデンウィーク中であれば、信者が参詣しているかも知れないし、要法寺貫首に会うというのは無理だとしても、僧侶・塔頭住職に会うぐらいはできるのではないかと考えたわけです。

 

それにしても、東京と京都は高速道路で移動しても約500キロ離れているが、あの当時の私は、500キロ離れている所へ高速道路で行くということについて、けっこう平気でした。今にして振り返って思うと、「よくあんなことをしたもんだな」と思うことが、いくつもあります。

さて、この時に要法寺に行ったのは早朝ではなく、日中。東京を朝6時に出て、東名高速~名神高速を飛ばして、途中、ゆっくり休憩したとしても、正午過ぎには京都に着きます。

さて、要法寺に行ってみると、表門や本堂前には、鶴丸のマークが入った白い横断幕のようなものが張られており、いよいよ日尊650遠忌法要が近づいているという雰囲気。

表門から境内の中に入ってみると、法衣を来たかっぷくのいい中年僧侶が、竹ほうきを手に持って、境内の落ち葉等を掃いているのが目に入りました。

法衣というのは、薄墨色の衣の上に、外出用の黒い衣みたいなものを着た姿で、このスタイルは日蓮正宗や富士門流の僧侶と全く同じ。しかも表門や本堂に鶴丸のマークが入った白い横断幕のようなものが張られていると、何か日蓮正宗の寺院に来たような錯覚になってしまいます。

しかしそこは、日蓮正宗ではなく、富士門流・日蓮本宗の本山・要法寺。

要法寺23鐘楼本堂

 

私は、この時を千載一遇のチャンスととらえ、早速、その竹ほうきで掃きそうじをしていた中年僧侶に声をかけ、話を聞きたい旨を申し伝えた。するとその僧侶は、特に拒否する様子もなく

「いやー、ようこそいらっしゃいました。あー、こんな格好で、大変失礼いたしますう」

という感じで、私の来訪を歓迎しますという風に迎えてくれた。

私は、この時、1994年当時、「富士宗学要集」をはじめ、さまざまな文献・史料で要法寺に関する知識を得ており、要法寺の僧侶に会って、直接話が聞けるというのは、またとないチャンスととらえました。

一方、僧侶のほうは、京都観光に来た見学者か、参詣者の一人が来たぐらいに思ったのでしょう。

要法寺の境内において、私とこの僧侶の単独会見と言うことになった。境内には、他に誰か人がけは見られませんでした。

 

○「要法寺さんの塔頭のご住職でいらっしゃるのでしょうか」

□僧「そうです。私は○○院の住職の△△と申します」

 

どの塔頭で、名前も聞いたのでしたが、この時は名刺をもらったわけでもなく、残念ながら名前は失念してしまった。

とにもかくにも、私はこの時、要法寺塔頭住職との単独取材会見に成功したのでありました。

要法寺18石塔