日蓮本宗本山・要法寺25(選挙で選出されていた貫首)

 

要法寺貫首の話しが出て、そこからちょっとした歴史の話になった。

要法寺17表門


塔頭住職の話では、「日蓮大聖人、日興上人の仏法、法脈は要法寺に受け継がれている」という主旨の話しをしていた。それ、どこかで聞いたような話ですね。この塔頭住職の話は、日蓮正宗大石寺法主の血脈相承をそっくりそのまま、要法寺貫首にすり替えたような話しだった。

では要法寺の貫首はどんな選び方をしているのだろうか。大石寺のように現法主ないし前法主が、次期法主を選定・指名するというやり方なのだろうか。そこで、住職に質問。

 

「猊下はどのようにして選んでいるのですか」

住職は一瞬、間をおいたあと

「選挙で選んでいます」

との回答。つまり選挙で選んだ要法寺貫首が、要法寺の仏法を所持しているというむ感じになるのだろうか。無宗教の私には、どうもここのところが、何ともわかりにくい。

私にとっては、日蓮正宗大石寺と全く瓜二つの宗門がここにもある、という印象しかありませんでした。

いろいろ要法寺について調べたり、塔中住職と話しをしていると、大石寺との類似性を強く感じた。そこで私は、大石寺との共通性について質問してみた。

 

「猊下やご住職が着ておられる法衣は、大石寺の僧侶が着ている法衣と同じですね」

この質問に対する塔頭住職の答えは、「大石寺とは同じ日興上人の門流、富士門流ですから」というもの。しかしこの塔頭住職は、大石寺との共通性の話題になると、あまり歯切れが良くありませんでした。

かつて大石寺法主の中に、要法寺出身の法主がいること。室町時代から江戸時代にかけて、要法寺と大石寺は通用していたことに触れても、塔頭住職の答えは

「要法寺と大石寺は、同じ日興上人の門流ですから」

というステレオタイプ的な答えしか返ってこない。

つまり塔頭住職の答えは、かつて要法寺と大石寺が通用・交流していたのは、同じ日興門流・富士門流なんだから、通用・交流というものがあって当たり前。要法寺が交流していたのは、何も大石寺だけじゃなく、他の北山本門寺、西山本門寺、小泉久遠寺等々、他の富士門流の本山とも交流があったというような回答。確かに歴史的なことを言えば、そういうことになるのでしょう。

今は、要法寺と大石寺は断絶状態だが、これは大石寺側に責任があるということを言外に含ませているようです。

 

今の日蓮本宗・要法寺は、富士門流の本山に限らず、「日蓮聖人門下連合会」に加入するなどして、日蓮宗、顕本法華宗、法華宗陣門流、法華宗真門流、法華宗本門流、本門法華宗、本門仏立宗、日本山妙法寺、国柱会等々といったところと、けっこう幅広く交流している。

つまり、「日蓮門下同士、日興門流同士は、交流して当たり前。交流しない方がおかしい。日蓮正宗・大石寺のほうが一方的に交流を拒んでいるだけ」

ということのようである。

しかし日蓮正宗・大石寺の話題になると、この塔頭住職は、歯切れが悪いのと、表情が曇りきっていました。これが何とも私にとっては、印象的でした。住職は、こんなことも私に言いました。

 

住職「あちら(大石寺)の者がよくここに来ますよ」

塔中住職の口調だと、いかにも「招かれざる客」である大石寺宗徒が来ている、というような感じに聞こえた。日蓮正宗の僧侶・信者が他宗派の寺院に来ても、やたら問難をふっかけたり、とんでもない言いがかりをつけたり、ろくなことはしないので、「招かれざる客」との言い方は、わからなくはない。

あの当時、私は、日蓮正宗の僧侶や信者たちとも、対論していたが、その中の僧侶の一人が、要法寺に行って、勤行だか、何かの法要に出た、という話しをしていたことがあった。

そういう話しと、塔頭住職の話しは、符合すると言えば符合する。

それにしても、日蓮正宗の僧侶たちは、この要法寺に何をしに来ていたのだろうか。私と対論した日蓮正宗の僧侶は、何かの法要に出て、本尊は拝まずにいて、時折、メモを取っていた、というような話しをしていた。何をメモっていたんだろうか。

寺跡調査に来ていたと言うことなのだろうか。