日蓮本宗・鳥辺山實報寺4(鳥辺山から消えた延年寺)

 

鳥辺山實報寺については、要法寺発行の「私たちの要法寺」には

「鳥辺山御廟所

本山御歴代の貫首上人の墓所は、東山五条上ルの鳥辺山実報寺にあります。

鳥辺野は、すでに王朝時代から無常所として都の人々の墓地に使われていました。日目上人の御遺骨が埋葬されたのもここです。日尊上人はなくなる時、日目上人の御遺骨を頭上にいただく形にして葬るよう命ぜられ、師厳道尊の実を示されたということです。ここがのちに実報寺となりました」

と書いてある。「本山要法寺参詣案内」には

「鳥辺山御廟所

二祖日興上人、正慶二年二月七日寂滅せらるるに先んじて愛弟子日目上人を召して帝関奏聞を遺命し玉ふ(時に興師御年八十八)。日目上人かしこみて日尊、日郷の二上人を同伴せられ、天奏上洛の途次十一月俄然病ひ革まり、日尊上人に後事を托せられ、同月十五日、岐阜県不破郡垂井に於いて遂に遷化せらる。日尊上人は悲嘆止むかたなきも遺命を奉じて天聞奏上、遺骨を鳥辺の山野に納め玉ふ。康永二年四月実報寺を開創せらるるにあたり、逆修塔を建立し御自ら碑面の文字を揮毫し給ふ。爾来歴代上人遺骨此の地に納め奉り、本山御廟所として四時参詣者絶えず、先師の遺徳を偲び御報恩の誠を捧ぐ」

とあります。

私たちの要法寺1


いずれも、日蓮本宗本山要法寺が発行した公式文献として、鳥辺山実報寺に大石寺・要法寺三祖日目の遺骨が葬られたことを記している。

しかしこの文献を知ったのは、実報寺に行ったあとのこと。

鳥辺山に行く前は、資料も何も全くない状態でした。

 

私は、大石寺三祖日目の正墓探しの作業を、京都の鳥辺山墓地を探すことからはじめたのであったが、これがなかなか困難を極めた。

まず、京都に「鳥辺山」とか「鳥辺野」という地名が見つからない。そのような名前の住所も、京都にはない。探しに探したあげく、ようやく京都・東山五条に「鳥辺山」の名前を見つけた。

私が調査した中で、京都で「鳥辺山」ないしは「鳥辺野」の地名を載せていたのは、JTB発行のガイドブック「アイジャパン」である。

この「アイジャパン」の地図によると、京都・東山五条の国道一号線脇に「鳥辺山」と書いてあり、その中にある通妙寺のところに「鳥辺野墓地」と書いてある。

通妙寺とは、日蓮宗寺院となっていたが、詳細はわからなかった。「アイジャパン」の地図には實報寺も載っていたが、その時点では何の詳細もわからず、当初は私の眼中にはなかった。

 

通妙寺をインターネットで調べてみると、「鳥辺山延年寺旧跡」()と書いてあった。

「旧跡」と書いてあるからには、延年寺という寺院はすでに鳥辺山にはないということになる。それでは、鳥辺山延年寺に葬られたという日目の墓はどうなったのか。

延年寺も日目の墓もなくなったのか。

さらにインターネットで調べると、「延年寺旧跡墓地(通称・鳥辺山墓地)」というのが出てきたのだが、日目の墓についての何の手がかりもない。出てきたのは、この墓地に墓があるという石田梅岩のことだけ。さらに鳥辺山延年寺で検索すると、いろいろと出てきたが、日目や日目の墓については、何の手がかりもない。

しかし、もし延年寺という寺がすでに鳥辺山にはなくなっているとしたら、なぜジョージ左京氏という人物は、「虚構の大教団」という本の中で、日目の正墓は、京都・鳥辺山の延年寺にあると書いたのか、という疑問が出てくる。

しかしここまで来ると、あれこれ考えていても結論なんか出てくるわけがない。

実際に、京都・鳥辺山に行ってみるしかないと思いました。