日蓮本宗・鳥辺山實報寺5(鳥辺山に要法寺開山本廟を発見)

 

私は、とにもかくにも京都に行って、自分の目と耳で確認する以外にないと思い、京都・東山五条の鳥辺山に行くことにしました。2009年秋のことです。

私は、それまで京都の東山や東山三条、三条大橋周辺も何度も行っていますし、国道一号線や東山五条も、何度も通っているのですが、この「鳥辺山」については、全く気づきませんでした。

この時は、東京・上野駅前から深夜高速バスに乗って京都駅前に降り立ち、食事をして後、京都市営バスに乗って東山五条へ。すると「鳥辺山」と地図に書いてあった場所に行ってみるとビックリ。なんとそこには、浄土真宗の開祖・親鸞の廟があったのである。

「大谷本廟 親鸞聖人七百五十回大遠忌法要」と書いた立て看板がありました。

正式名はここに書いて有るとおり「大谷本廟」というらしい。せっかくここまで来たついでに、大谷本廟の中に入ってみましたが、朝の速い時刻だったにもかかわらず、何人もの参詣の人の姿が見えました。

「親鸞聖人七百五十回大遠忌」と書いてあったので、2009年がその年に当たるのかと思っていたら、そうではなく、親鸞は12621128日に入滅しているので、「七百五十回大遠忌」に当たる年は、2011年ということになる。

 

それにしても、京都・東山五条の鳥辺山まで来て、見つかったのは延年寺ではなく、親鸞の大谷本廟というのは驚いた。

親鸞の曾孫で本願寺第三世の覚如の『御伝鈔』に「鳥部野の南の辺、延仁寺に葬したてまつる」

と記されているということからして、親鸞も京都・鳥辺野に葬られたと言うことのようです。

親鸞は、鳥辺山に葬られていたとしても、日目の墓や延年寺はどうなったのか。私はなんとしても情報を得ようとして、大谷本廟入り口の脇にある、みあげもの店兼仏具店に入ってみました。

少々、買い物をした後、店の主人に質問。

「このあたりに、鳥辺山墓地とか鳥辺野墓地という名前の所はありませんか」

これに対して、店の主人は

「あー、それでしたら、この前の道をずーっと登っていった左側にありますよ」

という気軽な返事。

 

「あー、やっぱりこのあたりにあるんだな」と思い、その主人に丁重なお礼を言って、大谷本廟の脇の道の登り坂を登って行きました。

「ひょっとしたら日目の正墓が残っているのかもしれない」と思い、けっこうむ期待に胸を膨らませて、登って行きました。しばらく登って行くと、左側に墓地の入り口を発見。

「ここかな」と思って、その入り口から入ってみると、入り口の脇に石碑が建っていて、そこには

「要法寺開山本廟」

と書かれていました。入り口には「實報寺」という石碑が建っていました。

實報寺14石塔


私は、この「要法寺開山本廟」と書いてある石碑を見て、直感的に「ここだ」と思いました。

もし日目の墓が本当に鳥辺山周辺に残っているとすれば、そこは富士門流の寺院か墓所になっているはず。日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨が編纂した『富士宗学要集』8巻に収録されている、四回の日目墓所の延年寺土地買収の売券古文書の内容からして、富士門流が延年寺から土地を買っているわけだから、当然そこは富士門流の寺院か墓所になって残っているに違いない。

鳥辺山に「要法寺開山本廟」があるなら、日目の正墓のあるところは、もはやここしかない。

インターネットで検索した地図に依れば、鳥辺山延年寺旧跡というのは、もう少し坂道を登った先になるのですが、「要法寺開山本廟」という石碑を見て、まずはなんとしてもここを事跡調査すべしと考えました。

このあたり一帯が鳥辺山墓地というなら、その中に「要法寺開山本廟」があるということは、鳥辺山延年寺に日目の遺骨を葬り、墓所を造って、その墓域拡張のために延年寺から土地を買収したという古文書の記載とも符合することになる。

私は、けっこう期待を膨らませて、この「要法寺開山本廟」の中に入っていきました。