日蓮本宗・鳥辺山實報寺8(實報寺に日目の正墓があると断言)

 

實報寺住職の方も、言いたいことを言って少し気持ちが晴れたのか、ようやく少しは心を開いて喋り始めました。

 

□住職「あなたはサイトを主宰しておられるのですか」

○「そうです。『アンチ日蓮正宗』という名前のサイトを主宰しています。立場的には、反日蓮正宗である他、反創価学会、反顕正会、反正信会で、日蓮正宗から派生した団体に対しても、すべて反対の立場で、これらの関連サイトが6つあります」

□住職「『アンチ日蓮正宗』ですか。それは日蓮正宗を叩くサイトということですね」

○「そのとおりです。しかし今、日蓮正宗・創価学会・顕正会・正信会はお互いがお互いを罵倒しあっており、中でも日蓮正宗と創価学会が『宗創戦争』で罵倒中傷しあい、信者の争奪合戦を展開しています。『アンチ日蓮正宗』の立場は、あくまでも反日蓮正宗・反創価学会・反顕正会・反正信会です。宗創戦争をはじめとする日蓮正宗系の団体同士の紛争のいずれにも与するものでもなく、これらの紛争による信者のカルトサーフィンそのものを止めさせることが第一義です」

□住職「そうですか。それで目師(日目)のお墓が大石寺にあると、日蓮正宗では言っているのですか」

○「そうです。『大石寺案内』という小冊子には、日目上人の正墓は、大石寺のすぐ近くにある大石寺末寺・下之坊にある、と書いてあります。又、日蓮正宗の僧侶は、自分の寺の信者には、大石寺墓苑の三師塔が日目上人の正墓だ、などと教えています」

□住職「そうですか。まあ、むこう(日蓮正宗)では、派手にいろいろな本を出したり、新聞を出したりしておりますからねー。それでむこう(日蓮正宗)は、むこうで、こちら(日蓮本宗・要法寺)のことを、いろいろと批判したり、いろいろ書いているようですが、だからといって、こちらは、むこうに反論する本を出すということは、しておりません。尋ねられれば、お答えはしておりますが」

○「では率直にお尋ねしますが、日目上人の正墓は、ここ京都・鳥辺山にあるのですか。それとも大石寺にあるのですか」

これだけ長々と、延々、住職と話を続けて、ようやく話題が本題に入っていったのでありました。

實報寺10日目正墓3
 

□住職「ご承知のように、目師(もくし・日目のこと)は、京都に天奏に出られた旅の途中、美濃国(岐阜県)垂井で御遷化になられました。それで目師のお供をしていた尊師(ぞんし・日尊のこと)と郷師(ごうし・日郷のこと)は、目師を荼毘に付されて、尊師は目師の御遺骨を奉じられて京都に来られました。郷師は、大石寺に帰られたわけです。

尊師は、京都の鳥辺山に来られたわけですが、このあたりに延年寺というお寺がありまして、その延年寺の墓地の一角に、目師の御遺骨を葬られたのです。その後、延年寺が鳥辺山から出て行ったため、尊師が目師の墓地の一角を買い取られたのです。そして尊師が御遷化になられた後、尊師もここに葬られました。延年寺というお寺は、禅宗のお寺で、今は大津にあるんですけれどもねー。その後、目師のお墓の周りに、墓地ができて、今日に至っているという次第です。まあ、京都での富士の門流と言っても、ウチ(要法寺)だけですけれども」

 

このような感じで、實報寺住職は、實報寺の日目の正墓の経緯を一気に話してくれました。

 

まず、この實報寺住職の話の内容は、日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨が編纂した「富士宗学要集」第8巻に載っている延年寺・日目墓域売券の史料の内容と、ほぼ一致しています。これについては、現に古文書が存在しているわけだから否定のしようがないわけです。

つまり、延年寺に葬られた日目の正墓がある墓域を、日尊・日郷が延年寺から買い取り、拡張した墓域が、今の實報寺であるということ。

若干ちがっているところがあるとすれば、實報寺住職が言うには、延年寺の日目正墓の墓域は日尊が買い取った、と言っていましたが、「富士宗学要集」第8巻に載っている延年寺・日目墓域売券の史料では、延年寺の日目正墓の墓域を買い取ったのは、日郷になっている、ということ。

これについては、あまり大した違いではないように思います。

その当時は日尊も日郷も、寺院は持っていたが、独立した門流を立てていたわけでもないし、今のように日尊門流・日郷門流というふうに、完全に分離していたわけでもない。日郷が、延年寺の日目正墓の墓域の土地を買い取ったとしても、管理するのは日尊門流になってしまうだろうから、買い取った日目正墓の墓域がそのまま日尊門流の寺院・實報寺になったというのは、自然な流れなのではないか。

實報寺8日目墓1

 

それと、實報寺住職が、かつて京都・鳥辺山にあった延年寺が、禅宗の寺院だと言ったことは、まことに注目されます。これが事実なら、日尊と日郷は、日目を荼毘に付して京都に上京し、禅宗の寺院に日目の遺骨を葬ったことになります。これはまた爆笑ものです。

さらにもうひとつ。實報寺住職は、延年寺は、滋賀県大津市に移転したと言っていましたが、私が東京に帰ってから、インターネット等々で滋賀県大津市の延年寺を探しましたが、そのような名前の寺院は見当たりませんでした。さらに滋賀県全域に広げて探しましたが、それでも延年寺という寺院は見当たりませんでした。名前を変えているのかもしれませんが