日蓮本宗・鳥辺山實報寺9實報寺に日目の正墓があると断言2

 

一通りの住職からの回答があった後、私と住職の問答になった。

 

○「それでは、日目上人、日尊上人の正墓は、ここ実報寺さんにあるわけで、日蓮正宗大石寺にはない、ということで、よろしいわけですね」

□住職「正墓というのは、どういう概念で言っておられるのですか」

實報寺10日目正墓3


○「人が亡くなって、葬儀を執り行い、遺体を荼毘に付して、遺骨をどこかに葬る場合、通常は、その人の遺骨をお墓に納めますね。そこが正墓と言うことです。その後、分骨をして他にも墓を建てる場合がありますが、そこを正墓とはいいませんねえ。通常なら、正墓というのは一カ所しかありませんね。」

□住職「それならば、目師(もくし・日目のこと)の正墓は、ここ(實報寺)にあるということになります」

○「では、あそこ(實報寺の墓苑)にある正墓には、日目上人、日尊上人の真骨が納められている、ということですね」

□住職「日目上人は、こちらに葬られたことは史実ですが、しかし、それから何百年も経っていますので、今は土に還っているかもしれません」

○「こちらにある墓が、日目上人の正墓ということであれば、日蓮正宗が、大石寺・下之坊にあると自称している『日目上人の正墓』なるものは、ニセモノということになりますねえ」

□住職「ニセモノ?

○「それは、そうでしょう。日目上人は、ここ鳥辺山に葬られて、ここに正墓があるわけですから。正墓というのは、一カ所しかありませんですからねえ。ここ以外で、日目上人の正墓だと称している所は、ニセモノということになるでしょう。まあ、もっとも、要法寺さんや實報寺さんのほうで、大石寺に日目上人の遺骨を分骨していれば、話しはべつですが」

□住職「大石寺に分骨はしておりません」

○「ならば、日蓮正宗が大石寺・下之坊にあると称している『日目上人の正墓』なるものは、ニセモノということになるでしょう」

□住職「まあ、そういうことになるのかもしれませんけども、ただ、むこう(日蓮正宗)が、そういうことを言っているとしても、こちら(實報寺)は、それはちがうよ、ということも言いませんけどね」

 

こんな感じで、私と實報寺住職との間で、日目の正墓論争が延々とつづきました。

が、この中で、實報寺住職は

□ここ鳥辺山にあった延年寺に、日目が葬られて正墓が建てられたこと

□その後、延年寺が鳥辺山から出て行くに当たって、富士門流で、日目の正墓がある墓域を延年寺から買い取ったこと

□その買い取った日目の正墓の墓域が、今の實報寺であること

□よって實報寺に日目の正墓があること

□大石寺に、日目の遺骨の分骨をしていないこと

以上のことを明確に認めたわけです。

しかし、住職の話しっぷりは、日目の正墓のことで、實報寺が日蓮正宗と対決するような事態になることは避けたいという、意向を持っているように見えました。

 

京都・東山五条の鳥辺山にある實報寺の受付の窓越しに行われた私と實報寺住職の話し、というよりほとんど論争に近いものでしたが、延々と数時間にわたっての長い間、つづきました。

二人だけの話でしたので、他には誰もおらず、私も住職もお互いに言いたいことを言い合った、という感じで、いよいよ終わりを迎えました。

終わり頃になって、住職が私にこんなことを言いました。

□住職「あなたのような人は、よくここに来ますよ」

あなたのような人、というのは、どういう人なんでしょうね。

インターネットやらブログやらSNSが普及した後、大石寺・富士門流研究者を名乗る人が続々と出てきた感じがしますし、富士門流信徒の掲示板だったか、それと似たような感じの掲示板だったかに、投稿者の一人が、實報寺に来ているかのような書き込みをしていたのを見たことがありました。ただし、その時は私も、ここ實報寺に日目の正墓があるとは知らず、實報寺にも全く関心がありませんでしたので、放置していました。

 

また、ずいぶん前というか、15年以上も前のことですが、日蓮正宗の某僧侶と論争をした時も、その僧侶が、要法寺に行ったことがある、という話しをしていましたし、その僧侶の先輩だか同期の僧侶も、要法寺に行って調査をしてきたことがある、という話しをしていました。

日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨が編纂した「富士宗学要集」全10巻に収録されている史料を紐解いていくと、要法寺に関する史料は、それこそ山のように載っていますから、要法寺や實報寺を訪れる人もかなりいることは容易に想像できます。

そういうわけで、私も敢えて住職に「誰が来ているのですか」とは聞きませんでした。