日蓮宗不受不施派祖山・妙覚寺11(賽銭箱・不受不施)

 

日蓮宗不受不施派祖山・妙覚寺を訪問して、妙覚寺の僧侶とは話が出来ませんでしたが、妙覚寺元総代と詳しい話が出来たので、それなりの成果はありました。

しかし、まず印象に残ったのは、日蓮宗不受不施派・妙覚寺の排他的・閉鎖的な体質。これは、日蓮正宗や創価学会と実によく似ています。

「教義的に不受不施だから」ということで、賽銭箱は置いていない、と言っていましたが、こういうのも、日蓮正宗、創価学会や富士門流の寺院と同じです。

日蓮正宗のカルト信者も、よく「日蓮正宗の寺院には、賽銭箱が置いていない」などと言って、威張っている。妙覚寺の元総代は、そういうことで威張ってはいませんでしたが。

 

私は、お寺に「賽銭箱」がない、ということが、特別、すごいことだとは思いませんし、えらいとも思わない。

日蓮正宗の信者が、「日蓮正宗のお寺には、賽銭箱がない」などと威張っていることが、全く理解できない。日蓮正宗のお寺には、確かに賽銭箱はありませんが、しかし、その一方で「戒壇の大本尊」なる偽作本尊を信者に拝ませて、詐欺的な金集めをやったり、やれ六万塔だの、客殿だの、奉安堂だの、立正安国論750年だのと、次から次へと口実を作って、信者から強引な金集めを行っている。こちらのほうが、世間的には、よほど悪どい金集めをやっているように見える。

こんなことをするくらいだったら、賽銭箱を置いていた方が、いくらかマシです。

 

よく考えてみると、日蓮正宗も、不受不施派の真似をして、賽銭箱を置かないだの、信者以外からは供養を受けないだのと、いかにも不受不施の本家のように言っていますが、これはまやかしである。大石寺をはじめとする富士門流は、豊臣秀吉の千僧供養に出仕しているし、大石寺も徳川幕府から朱印を受け、三門の供養を受けている。大石寺は、不受不施ではなく、受不施だったのが史実である。だから日蓮正宗は、上代の昔から不受不施を貫いていたわけではないし、不受不施の本家でも何でもない。

江戸時代は、身延山久遠寺と同じ「受不施」だった。

 

ただし、誤解のないように附言すると、私は不受不施を支持しているわけではないし、日蓮宗不受不施派の歴史が正しかった、と言っているわけではない。

又、私は、不受不施派の殉教をはじめ、殉教死そのものに反対の立場です。そもそも宗教が、僧侶に対してであれ、信者に対してであれ、殉教を要求することがあってはならないし、殉教ということ自体、あってはならないと思います。私は、殉教そのものに反対である立場です。

妙覚寺23山門


百歩譲って、千僧供養や大坂城対論、身池対論で、不受不施を決断したことは是としても、しかし結果的に数多くの殉教者を出してしまっているわけですから、これは不幸な歴史だったと言わざるを得ません。私は殉教に反対の立場ですので、そういう見解になりますね。

そういう意味で、逆に受不施の立場をとり、幕府公認になる道を選んで、殉教者を出さなかった身延山久遠寺をはじめ、仏教各宗派の大勢の判断は、正解だったと思います。

 

なので「不受不施を決断したことは是としても」という仮定の話をしましたが、いろいろ自分なりに検証しても、不受不施派の歴史を支持する気には、到底なれません。

しかしだからといって、今さら、不受不施派が「受不施」に大転換することも不可能です。

今さら、「不受不施は時代にそぐわない」と言って、妙覚寺が不受不施を放棄したら、それこそ大変なことになる。そんなことをしたら、江戸時代の禁圧下で殉教死した人たち、流罪になって亡くなった人たちの人生は、一体何だったのか。何のために命を落としたのか、ということになる。

不受不施という教義のために、たくさんの人が殉教しているのに、そういう人たちの死がムダだった、という根本的な矛盾に陥ってしまう。

だから今さら「時代にそぐわない」と言って、妙覚寺が不受不施をやめるわけにはいかないはずである。

不受不施派の歴史は「是」とはできないが、だからといって、今さら不受不施派が「受不施」に大転換することも不可能。ここが不受不施派が根本的なジレンマに陥っているという言い方が出来るのではないだろうか。