不受不施日蓮講門宗祖山・本覚寺2(団結する宗教パワーは脅威だ)

 

不受不施派については、特筆すべき事がいくつもあるのですが、今の妙覚寺派と本覚寺派の分裂は、まさに江戸時代に幕府から弾圧されて地下活動を行っていたときに、起こっているということ。

もちろん、その当時は、妙覚寺も本覚寺も存在していないわけで、全く寺院がない、地下活動の最中のことです。そもそも不受不施派が、大坂城対論から数えて約260年近くも弾圧されながらも、生きながらえたこと自体が驚きですが、その不受不施派が、地下活動の中で二派に分裂したというのも驚きです。

江戸時代の弾圧の中、どうやって不受不施派が信仰の灯を保って行っていたのかについては、不受不施派が出している資料があり、妙覚寺元総代もその資料を持っていました。

私が「コピーさせてほしい」と要請しても、拒否されてしまい、具体的な内容については、判らず終いになってしまいました。

そもそも法主→僧侶→信者といった連係は、どうやっていたのだろうか。新聞もラジオもテレビも無線も電話も、何もない時代のことです。

資料によれば、不受不施派の信者は日蓮の地元であった上総国、下総国、安房国や室町期に日蓮宗勢力が拡大した備前国、備中国に多く潜伏していたということです。割と近所に固まっていた、ということはあったと思いますが、それでも、連係をどう取っていたのか等、私からすれば謎です。

妙覚寺元総代が持っていた資料を、すこし見ただけでしたが、隠れ家があったことは、資料に載っていたような記憶があります。

 

まあ、地下活動をしている団体が、二派や三派に分裂すること自体は、珍しいことではないのかもしれません。

オウム真理教も麻原彰晃死刑判決後、アーレフとひかりの輪に分裂していますし、昭和30年代から40年代にかけて、日本赤軍、赤軍派等も分裂と合併を繰り返していました。

中国共産党や日本共産党も、分裂したり、分派を生んでいます。

 

しかし封建制の江戸時代に、250年もの長い間、弾圧下にあって、そういう中で、不受不施派の信仰の命脈を保ち続けたパワーとエネルギーは、驚きです。こういうものは、一般世間から見ると、脅威に映る。カルト宗教が世間から嫌われ、恐れられている原因のひとつに、弾圧されればされるほど団結する宗教パワーというものがあります。

今のオウム真理教は全くこれに当てはまりますし、日蓮正宗や創価学会、顕正会も全く同じです。

不受不施派も、今は弾圧下にもありませんし、こういうカルト的な宗教パワーはないかもしれませんが、しかし、弾圧された歴史、権力に対峙した歴史は正統化していますし、殉教もまちがっていないという見解であることは、信者がつくったウエブサイトに書いてあります。

こういうのは、やはり今すぐに危険だ、というものではないにしろ、脅威が内在している団体に見えますね。

本覚寺7