片瀬・龍口寺1(日蓮・龍ノ口法難・刑場跡)

 

□日蓮・龍ノ口法難の時に本当に江ノ島方向から“光り物”は飛来したのか

 

龍口寺(りゅうこうじ)とは、神奈川県藤沢市片瀬の龍口刑場跡に建つ日蓮宗の本山(霊蹟寺院)で、正式名称は寂光山龍口寺。略字体を用いて「竜口寺」と称す場合もある。

場所的には、江ノ島電鉄の江ノ島駅から徒歩で3分ぐらいのところにあり、住所的に言うと、ここは鎌倉市ではなく、藤沢市になる。

この地はかつて刑場跡で、文永8年(1271年)912日に日蓮宗の宗祖・日蓮が処刑されそうになった事件、日蓮宗や日蓮正宗では、龍ノ口法難と呼ぶ事件の舞台になったところで、いわゆる龍ノ口刑場跡である。

私がここで見たかったのは「龍口刑場跡」。

龍口寺1


日蓮は、龍口の刑場に連行されたのだが、実際には首を切られなかった。突然、日蓮の処刑は中止になり、まさに九死に一生を得たのである。

日蓮の回想録とも言うべき遺文(御書)「種々御振舞御書」に、日蓮は

「江の島の方より『光り物』が現れ、それまで人の顔も見えないほどの暗闇だったのに、『光り物』の光によって月夜のように明るくなり、人々の顔が見えるくらいに明るくなった。太刀取りの目がくらんで倒れて臥し、兵士たちは恐れおののき、馬の上でうずくまってしまう者もいた」

等と書いている。ただしこれは日蓮が)「種々御振舞御書」にそう言っているだけの話しで、幕府の公式記録・歴史書の「吾妻鏡」等に、こういう記載は全くない。

 

歴史的な事実として確実に言えることは、日蓮は、判決にない不当な処刑で殺されかかったのだが、何らかの事情で命が助かった、ということである。その何らかの事情とは、江戸時代のころから、執権・北条時宗の夫人が懐妊中だったので、祟りを避けるために、「坊主殺し」を中止したのではないか、という説が囁かれている。しかし私はこの説に、いささか懐疑的である。

 

というのは、そもそも日蓮に対して、鎌倉幕府が下した判決は「佐渡流罪」なのであり、死刑ではない。それを平頼綱が深夜に日蓮を龍口で誅殺しようとしたわけで、元々の判決は死刑ではないわけです。であるならば、もし仮に執権・北条時宗が、日蓮が誅殺されかかっている、ということを知ったならば、「日蓮は佐渡流罪にはしたが、殺せとは言っていない」として、処刑は中止させるでしょう。当然です。そうしないと執権の威信が丸つぶれになってしまいまう。1979年に製作・公開された映画「日蓮」では、執権・北条時宗が日蓮の処刑を中止せしめるという場面を入れています。こちらのほうが的を得ている感じがします。

 

そうすると、日蓮が自らの回想録とも言うべき遺文(御書)「種々御振舞御書」に、

「江のしまのかたより月のごとくひかりたる物まりのやうにて辰巳のかたより戌亥のかたへ・ひかりわたる、十二日の夜のあけぐれ人の面も・みへざりしが物のひかり月よのやうにて人人の面もみなみゆ、太刀取目くらみ・たふれ臥し兵共おぢ怖れ・けうさめて一町計りはせのき、或は馬より・をりて・かしこまり或は馬の上にて・うずくまれるもあり」(御書全集p1060)

等と書いていることが問題となってくるわけです。「日蓮はウソを書いたのか」ということになるのだが、しかし日蓮が書いた文をよく読んで頂きたい。

 

「十二日の夜のあけぐれ人の面も・みへざりしが物のひかり月よのやうにて人人の面もみなみゆ」

---912日の夜は人の顔も見えないほどの暗闇だったのに、『光り物』の光によって月夜のように明るくなり、人々の顔が見えるくらいに明るくなった---

 

草木も眠る丑三つ時の深夜に、空が一面曇りの状態であれば、鎌倉時代は、街灯も蛍光灯もランプも何もなかった時代のことですから、それこそ真っ暗闇になる。それが雲が途切れて満月が出たとなると、それこそあっという間に、人の顔が見えるくらいに明るくなる。

真っ暗闇では、人間の瞳孔が開いた状態になっていて、これが急に満月が出て明るくなると、その瞬間、少し目がくらんだ状態になるでしょう。

ところで龍口法難の文永8912日というのは、当然、太陰暦(旧暦)912日である。

主に旧暦815日から16日の夜(八月十五夜)と、日本では旧暦913日から14日の夜(九月十三夜)には、綺麗な満月が出て、昔から月見が行われることで有名である。

だから私としては、日蓮が言う「光り物」とは、中秋の満月が、その時、雲の割れ目から出てきただけだと思います。

池上大堂・日蓮1

 

日蓮も「種々御振舞御書」の中では「光り物が出たから処刑が中止になった」とは書いていない。

「『夜が明けてからでは見苦しいから、早く首を切ってくれ』と言ったが、誰も斬らなかった」

と書いている。

なぜ処刑が中止になったのか、その理由を日蓮自身は知らなかった、ということである。

知るはずがないと思います。鎌倉時代の昔は、マスコミもなければ、新聞も週刊誌もない。「どうして処刑を中止したんですか」とのインタビューも記者会見もないわけですから。

よって「光り物が現れたから、処刑が中止になった」「光り物で、太刀取りが目がくらんで処刑中止になった」などという日蓮正宗系の解釈は、全く後世の脚色です。

ましてや「龍口での処刑が中止になったから、佐渡流罪になった」というのは、史実に反しています。元々、幕府・評定所で日蓮に下された判決が佐渡流罪だったのである。

ましてや光り物→処刑中止→発迹顕本→日蓮本仏というふうに、勝手な教義を展開する日蓮正宗系の解釈は、全く以て笑止千万と言えよう。