■大野山本遠寺2(身延山周辺の楠木調査2)

 

大野山本遠寺への二度めの訪問は、前回と同じく身延山周辺における楠木の調査・取材をしていた時に、首尾よく身延町教育委員会の某役職についていらっしゃるA氏にめぐり会うことができ、A氏から、さまざまな学術的・学問的知識に関することについて、楠木の調査・取材に全面的に協力をいただくことができた。

これはたしか2006年くらいのことだったと記憶する。

身延町という町は、もともと身延山久遠寺の門前町ということで有名ですが、現在の身延町は、2004(平成16)913日に西八代郡下部町と南巨摩郡の中富町、旧身延町が合併して誕生したもので、新しい身延町には、身延山久遠寺、大野山本遠寺の他、下部温泉、中富和紙の里、本栖湖西岸あたりまでもが、身延町になった。

しかも「身延町教育委員会」では、学識経験者が多数いるようで、「身延町教育委員会」の役職者であるA氏は、身延町の歴史や文化財のことなどにとどまらず、それこそ実に豊富な知識をもっている方であった。また、私のほうからは、さまざまな質問をしたのでしたが、それらひとつひとつの質問については、実に懇切丁寧に答えをいただいた。

 

日蓮正宗や創価学会、顕正会、正信会が「一閻浮提総与の大御本尊」等とよんでいる「戒壇の大本尊」なる板本尊の日蓮真筆説の根拠にしている大野山本遠寺の楠木に関しては、大野山本遠寺そのものが、徳川家康の側室だったお万の方の菩提のために創建された寺院であり、そこに人工植樹された楠木の大木が一本あるだけである。

だから大野山本遠寺の大楠は、日蓮在世の時代には、存在していなかった。

それから、大野山本遠寺の大楠木が身延町の文化財(天然記念物)に指定されていることを以て、日蓮正宗側は、あたかも日蓮が生きていた時代から自生の楠木が繁茂していた証拠であるかのように言っているが、これは自生の楠木であるという証明なのではない、と私は考える

大野山本遠寺の大楠木が身延町の文化財(天然記念物)に指定されていることについて、「身延町教育委員会」のA氏に質問したところ、だいたい以下のような答えであった。

 

「天然記念物とは、動物、植物、地質・鉱物、天然保護区域などで、学術上価値の高いものとして国または地方自治体が指定したもので、動物の場合は生息地、繁殖地、渡来地を、植物の場合は自生地を、鉱物の場合は特異な自然現象を生じている土地を含めて指定される。ただし、これらの中には、長い歴史を通じて文化的な活動により作り出された二次的な自然も含まれる。」

「身延町の樹木の文化財(天然記念物)指定にあたっては、年輪やいつから繁茂しているかといったことは勘案されていない」

「樹木の年輪を測定してからの文化財指定というのでは、現実問題として無理であり、樹木の文化財(天然記念物)指定は、年輪や歴史よりも、その樹木そのものの地域の中での存在感とか、地域の人々に与える影響力とか、地域の人々との繋がりなどといった点が考慮されてのことである」

本遠寺の楠木2
 


つまり寺院の創建にあたって、あるいはその他の目的で人工的に植樹した木であっても、数百年の間、生い茂っていれば、それは「二次的な自然」ということで、天然記念物に指定されることもあるということである。

したがって、大野山本遠寺の大楠木が身延町の文化財(天然記念物)に指定されているからといって、そのこと自体が、日蓮在世の時代から生い茂っていたという証明でもなければ、日蓮在世の時代から自生していたという証明でもないということは、自明の理である

 

大学教授、学者、専門職の公務員や民間の研究者といった人たちは、一般的に学問的な質問については、けっこう親切に、いろいろ答えてくれます。学者的良心がそうさせるのだろうか??

しかも、わりと客観的かつ公平に答えてくれるので、一部の寺院、一部の僧侶のような、高圧的、主観的な答えをしないので、臭みというかイヤらしさ、妙な不快感を感じない。

そういうわけで、取材・調査は、とてもスムーズに、かつさわやかに行われました。