鎌倉・安国論寺1(立正安国論・松葉ヶ谷法難の霊跡)

 

安国論寺(あんこくろんじ)とは、神奈川県鎌倉市大町(名越)にある日蓮宗の寺院で、正式名称は妙法蓮華山安国論寺という、ちょっと長い名前である。

長勝寺と並び日蓮の鎌倉での布教の中心となった松葉ヶ谷草庵跡とされ、松葉ヶ谷霊跡・安国論寺とも言う。開山は日蓮とするが、弟子の日朗が文応元年(1260)に、日蓮が前執権北条時頼に建白した「立正安国論」を執筆した岩穴(法窟)の側に安国論窟寺を建てたのが始まりとされている。ここは、日蓮が北条時頼に提出した「立正安国論」を書いたという古刹寺院であり、日蓮は、ここに草庵を結び、布教活動の拠点にしたとされている。

またここは、日蓮の「松葉ヶ谷法難」の舞台になった所とされている。

日蓮・立正安国論の霊跡ということで、本堂には「立正安国」の扁額が掲げられており、境内には、立正安国論の墨筆を模写した石碑があります。

安国論寺13本堂

 

安国論寺の説明によると、日蓮が立教開宗して鎌倉に入った後、鎌倉・名越の松葉ヶ谷の岩屋に草庵を結んだ跡地が、現在の安国論寺の本堂の向かい側にある御小庵と、その奥に連なっている御法窟(御岩屋)であるという。

安国論寺10御小庵


しかし現在の御小庵は、日蓮が住んでいた庵ではなく、江戸時代・元禄のころに、尾張・徳川家の寄進によって建立された総欅造りのものということである。

御法窟という所が、日蓮が「立正安国論」を起草したところで、南面窟という所が、文応元年(1260)の「松葉ヶ谷法難」の時に、白猿に導かれて日蓮が避難した場所であるという。

安国論寺4南面窟

 

安国論寺の見解によれば、日蓮は、立宗宣言後の32才から龍口法難の50才のころまで、伊豆流罪・小松原法難前後中を除く約17年間、ここに草庵を結んでいたという。もしこれが本当だとすれば、身延山に滞在した9年よりも長く、日蓮が立宗宣言後、最も長く滞在した所になるのではないだろうか。

そうすると日蓮関連の霊跡としては、有数の霊跡になるはずなのだが、この安国論寺は日蓮宗本山には数えられていない。元は鎌倉比企谷・妙本寺の末寺であった。

 

境内には、日蓮の杖が根付いたとされる市原虎の尾という品種のヤマザクラである「妙法桜」というのがあり、鎌倉市の天然記念物になっている。

「市原虎の尾」という品種の桜は、非常に珍しい品種の桜であるという。

そこでちょっと「市原虎の尾」について調べてみたのだが、もともとこの品種は、京都の市原にあった桜で、小枝に花が密生してつくその様子が虎の尾に似ているところから、大谷光瑞という人物が「市原虎の尾」と名前をつけたという。

大谷光瑞(おおたに こうずい・18761948)とは、京都生まれ。宗教家。10歳で得度、幼名峻麿、法名鏡如、諱光瑞。明治36年(1903)父光尊の死により浄土真宗本願寺派本願寺(西)22世門主となる。明治35年(1902)から大正2年(1913)にかけて3次の中央アジア探検隊を派遣。敦煌、トルファン、ローラン、チベットなどを探検し、収集品の整理研究のほか著述、講演、教育、印刷などの事業に力を注いだ。14年(1925)門主を辞す。太平洋戦争中には内閣顧問などを努めた。夫人は貞明皇后の姉、歌人の九条武子は実妹。

 

こういう品種の桜なのであるが、私が調べた感じとしては、日蓮と因果関係があるものとは思えない。