鎌倉・安国論寺2(御小庵の霊跡と認定)

 

鎌倉・安国論寺は、日蓮・松葉ヶ谷草庵跡地として、有名な寺院で、まずここには、戦前、神奈川県が建てた「松葉谷日蓮上人遺跡」と書かれた石碑が建っている。

安国論寺7御小庵

 

文中、紀元と書いてあるのは、西暦のことではなく、皇紀のこと。皇紀とは、神武天皇即位紀元といい、初代天皇である神武天皇が即位したとされる年を元年(紀元)とする、日本の紀年法のこと。紀元節(現在の建国記念の日)廃止までは、単に「紀元」と言った場合には、神武天皇即位紀元(皇紀)を指していた。

この石碑の漢字も、昔の字体になっていて、いかにも戦前に建てられた石碑という感じがします。

 

さてもうひとつ。安国論寺の門前には、鎌倉市教育委員会が建てた案内板があります。それには、次のように書かれています。

 

「当山は日蓮聖人松葉ヶ谷御小庵の霊跡です。御小庵の元となった岩窟(「御法窟」または「日蓮岩屋」という)が本堂の向かいにあります。この御法窟で日本国の安泰と人々の幸せを願って文応元年(1260)七月十六日、前執権北条時頼に建白した『立正安国論』が執筆されました。

翌八月二十七日に立正安国論に反感を持つ人々に庵が襲われました。これは「松葉ヶ谷の法難」といわれています。本堂の裏山に一時避難した「南面窟」があります。

境内は四季折々の花や紅葉で彩られています。なかでも御小庵の傍らの山桜は、日蓮聖人の桜の杖が根づいたといわれ、「妙法桜」と呼ばれています。サザンカやカイドウと共に、鎌倉市の天然記念物に指定されています。」

安国論寺15

 

このように鎌倉市教育委員会が建てた案内板があるということは、学術的に安国論寺が松葉ヶ谷御小庵の霊跡であることを認定されているということです。

日蓮が「立正安国論」を執筆したという御法窟とよばれる穴蔵は、外から見ると渡り廊下のような建物に覆われていて、中までは見えない。現在は非公開になっているとのこと。

保存のために、そうしているのでしょうか。理由はわかりません。

安国論寺1御法窟

 

現在、境内の一角に遺っている御小庵は、安国論寺の案内によると、尾張徳川家の寄進で、元禄年代に建立された堂宇。総欅造りになっている。

御小庵と言われるとおり、まことに小さな堂宇である。もちろん、日蓮在世当時の堂宇は、法難等で失われているのだろうが、しかし日蓮在世当時の御小庵は、こんな感じの堂宇だったのだろうか。

よく日蓮の庵のことを「草庵」と呼ぶケースを見かけるが、この堂宇はどう考えても草庵には見えない。

鎌倉市教育委員会が建てた案内板にも「日蓮聖人松葉ヶ谷御小庵の霊跡」とは書いてあるが、「草庵」とは一言も書いてない。では草庵ではなかったのか。もちろん、日蓮・松葉ヶ谷御小庵がどういう堂宇だったのか、資料など遺っていないから知るよしもないが、1980年代の映画「日蓮」では、松葉ヶ谷御小庵は「草庵」として描かれていたと思う。

身延山久遠寺の日蓮の庵室跡は「日蓮聖人御草庵跡」となっているので、弘安四年に十間四面の大坊ができる前は「草庵」だったということだから、松葉ヶ谷御小庵も「草庵」だったのではないかと思うのだが。

安国論寺10御小庵