■奈良東大寺1(日本最初の戒壇)

 

□ゆっくり見て回ると丸1日はかかるほど広大な東大寺の境内

 

奈良でいろいろ有名なものはたくさんあるが、中でも最大級に有名なのが、やはり「奈良の大仏」で有名な東大寺であろう。東大寺は、正式には華厳宗大本山の寺。

難工事の末、大仏の鋳造が終了し、天竺(インド)出身の僧・菩提僊那を導師として大仏開眼会が挙行されたのは天平勝宝4年(752年)のこと。大仏鋳造が終わって、大仏殿の建設工事が始められ、大仏殿が竣工したのは天平宝字2年(758年)。ここから数えても1250年以上の歴史がある。

そういう長い歴史から、現・別当(法主)は、開山(初代別当)の良弁僧正から数えて220世・北河原公敬氏である。

東大寺は、聖武天皇より、奈良時代の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置づけられている。

 

東大寺は、奈良公園の中にあるのだが、東大寺だけでも、ものすごい広さの敷地である。いろいろと資料を調べたのだが、東大寺の敷地面積の正確なデーターは、見つからなかった。

資料によれば、東大寺の境内は平城京の外京の東端を区切る東七坊大路(現国道169号)を西端とし、西南部は興福寺の境内と接していたという。

又、かつては現存の堂宇以外にも多くの堂塔が存在しており、大仏殿の北には講堂と僧坊。東には食堂(じきどう)があった。僧坊は講堂の北・東・西の3面にコの字形に設けられたので「三面僧坊」と称していたという。

大仏殿の手前の東西には東塔・西塔(いずれも七重塔)があった。これらは、周囲を回廊で囲まれ、回廊の東西南北4か所に門を設けた「塔院」を形成しており、他寺に例をみない規模のものであったという。ということは、今の東大寺の敷地は、昔からは縮小されているものなのか。

それでも東大寺の境内は、広すぎるくらい広い。

これだけ広い敷地に、大仏殿、戒壇堂、二月堂、法華堂、南大門等々といった堂宇が立ち並んでいるため、これらの堂宇をくまなく見て回ると、およそ1日かかってしまう。

JTBの「るるぶ情報板」によれば、「じっくり拝観すれば、半日はかかる」と書いてあるが、半日では無理でしょう。丸1日は優にかかると思います。

 

私が東大寺に行った第一の目的は、日本最初の「戒壇」を調査するため。

東大寺の戒壇とは、出家者が正規の僧となるための戒律を授けられる儀式である「受戒」をするための施設として、天平勝宝7歳(755年)に鑑真和上を招いて創建された建物である。現在の「戒壇」の建物は江戸時代・享保18年(1733年)の再建。

東大寺4戒壇


 

日本に仏教が伝わったのは538年のことであるが、その際に伝わった戒律は、不完全なものであった。当時、出家僧は税を免除されていたため、税を逃れるために出家して得度を受けない私度僧が多く、出家といえど修行もせず堕落した僧が多かった。ただし、当時は出家得度の人数が厳しく制限されていたために、私度僧のまま修行を行う僧も少なからずいた。

そのため、唐より鑑真が招かれ、戒律が伝えられ、この戒律を守れるものだけが僧として認められることとなった。その結果、仏教界の規律は守られるようになったというわけである。

鑑真は754年、東大寺に戒壇を築き、同年4月に聖武天皇をはじめ430人に授戒を行なった。これが日本最初の戒壇である。

その後、東大寺に戒壇院を建立し、筑紫の大宰府の観世音寺、下野国(現在の栃木県)の薬師寺に戒壇を築き、この三つが天下の三戒壇、あるいは日本三戒壇と呼ばれた。

 

これ以降、僧になるためには、いずれかの戒壇で授戒して戒牒を受けることが必須となり、国(国分寺)が僧を管理することになった。

が、822年、伝教大師最澄の死後、比叡山延暦寺に戒壇の勅許が下され、大乗戒壇が建立された。当時は、中国の仏教界は比叡山延暦寺の大乗戒壇を、戒壇としては認めておらず、ここで受戒した僧は、中国では僧侶として認められなかった。

また、官立寺院(官寺)ではない延暦寺に戒壇設置を認められたことに東大寺をはじめとする南都(奈良)の寺院の反発を抱き、両者の対立の原因の一つとなった。

 

官寺(かんじ)とは、国家の監督を受ける代わりにその経済的保障を受けていた寺院のこと。

広義では、朝廷または国衙が伽藍の造営・維持のための費用その他を拠出している寺院を指し、狭義では食封や墾田保有権(荘園私有の権利)を国家から与えられて、運営が行われている寺院のことを指す。平安時代中期以後には律令制の弛緩によって官寺は衰微し、中には他の寺院の末寺となったり廃絶となる寺院も現れた。

 

日蓮正宗あたりでは、奈良の東大寺や他の日本三大戒壇などを「小乗戒壇」と呼称したりしているが、「小乗」には「大乗(偉大な教え)」に反対する劣った考えという意味合いも含まれているため、適切な呼称ではない。一説には比叡山延暦寺の大乗戒壇を認めようとしない南都寺院に対する延暦寺側の反感から生まれた呼称とする説もある。

したがって、現在の東大寺は、確かに華厳宗総本山という立場だが、その歴史をたどっていけば、聖武天皇の庇護の元で建立された官寺としての、総国分寺であり、出家者が正規の僧となるための「受戒」をする施設として、天平勝宝7歳(755年)に鑑真和上を招いて創建された、日本三大戒壇のひとつ、なかんずく日本最初の戒壇なのである。

東大寺1戒壇