仏教宗学研究会のブログ

「仏教宗学研究会」とは会の名称。「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

「仏教宗学研究会」とは「アンチ日蓮正宗」管理人が設立した会の名称。この会の中で、「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。富士門流執着軍団批判は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄だが、「日蓮正宗系」以外の富士門流寺院の調査・研究は「仏教宗学研究会のブログ」の管轄。
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2012年03月

京都要法寺(3)~はじめて要法寺を訪問した要法寺開祖・日尊650遠忌の1994(平成6)年

日蓮本宗本山・要法寺3(日尊650遠忌)

 

さて富士門流八本山(大石寺、妙蓮寺、北山本門寺、西山本門寺、小泉久遠寺、保田妙本寺、京都要法寺、伊豆実成寺)の中では、要法寺と伊豆実成寺が日尊門流ということになっているが、知名度としては、要法寺が圧倒的なのではないだろうか。

伊豆実成寺は、日尊建立第一号の寺院で、日尊門流には入っていますが、要法寺の末寺ではなく、独立した本山になっています。

要法寺22本堂3

 

又、現在、日蓮正宗大石寺と、京都要法寺の関係は完全に断絶状態になってしまっているが、戦国時代から江戸時代にかけて、大石寺と要法寺は公式に「通用」しており、大石寺15世日昌から23世日啓までの9代の法主が要法寺出身であることは、あまりにも有名である。

要法寺出身の大石寺法主が出ているだけではなく、北山本門寺34代貫首・玉野日志は要法寺出身であるし、西山本門寺8代貫首・日眼も要法寺出身である。

日尊門流は、日興を祖とする富士門流の中では最大規模であったため、僧侶・人材は昔から豊富だったようです。

 

現在、京都要法寺と日蓮正宗大石寺は、鋭い対立関係にありますが、元は同じ富士門流(日興門流)であるから、曼荼羅本尊、日蓮本仏論、種脱勝劣、方便寿量読誦、薄墨衣・白袈裟といった教義は同じ。

それだけではなく、要法寺の山号は多宝富士山といって、大石寺と同じであるし、日興が日蓮から唯一人相承されたとする日興相承論も同じ。大石寺も要法寺も、明治から大正にかけて「日蓮宗興門派」「本門宗」として、同じ宗派であった。

これは、1900年の大石寺一門の「日蓮宗富士派」(日蓮正宗)独立で実質的に破綻するのだが、長く大石寺と要法寺は同一だったため、大石寺の末寺なのか、要法寺の末寺なのか、わからなくなり、仏眼寺や妙縁寺などの、大石寺・要法寺の帰属問題も起こっている。

 

そうなってくると、大石寺と要法寺の教義的な違いは何なのか、ということになってくる。

要法寺は、大石寺の「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊を認めておらず、大石寺法主の唯授一人血脈相承も認めていない。

そして要法寺は要法寺で、独自に「称徳符法本尊」「符法曼荼羅」なる本尊を立てて、さらに要法寺独自の血脈も唱えている。

とは言っても、大石寺と要法寺は長い歴史の中で、通用したり反目したりを繰り返しているので、教義的には共通性のほうが多い。

 

私も若い頃から、大石寺や富士門流の研究を重ねてきているので、ここ要法寺は、どうしても直接行って、調査しておきたい寺院であった。とはいっても、要法寺があるのは京都であり、おいそれと行ける所ではありません。

私がはじめて要法寺に行ったのは、1994(平成6)年の要法寺開祖・日尊650遠忌の年。今から約16年前。私も、今よりも、もっと血気盛んな時でした。

 

なぜこの年を覚えているかというと、この年が要法寺・日尊門流の開祖・日尊650遠忌の年だったからです。

 

 

京都要法寺(2)~大石寺以外の富士門流では最大寺院数の日尊門流祖山・要法寺

日蓮本宗本山・要法寺2(富士門流では最大寺院数)

 

京都・要法寺とは、京都の東山三条、正式な住所地で言うと、京都府京都市左京区新高倉通孫橋上ル法皇寺町という実に長い名前の住所地にある日蓮本宗本山寺院。こう言うと、なじみが薄く感じられるのだが、日蓮正宗大石寺と同じ日興門流の系統で、富士門流八本山のひとつであり、日興・日目の直弟として有名な日尊の系統である日尊門流の本山といったほうが、わかりやすいのではないだろうか。

日蓮正宗や創価学会、顕正会、正信会といった日蓮正宗系の団体に関わりがあった人、日蓮教学や富士門流宗学を研究している人、日蓮宗や法華宗、顕本法華宗の人でも、この要法寺という名前を聞いたことがない人はいないのではないだろうか。それくらい有名な寺院である。

要法寺12

 

「要法寺」の名前なのだが、正式には「ようぼうじ」と読む。「ようほうじ」ではない。

要法寺の名前の由来は、法華経の「四句の要法」と思われるが、「四句の要法」は「しくのようぼう」と読むのであって、「しくのようほう」ではない。

最近、要法寺の中世の造仏問題で論争している創価学会教学部と法華講員・樋田昌志氏の動画をユーチューブで見たのですが、樋田昌志氏に勝利宣言している創価学会教学部ですら、要法寺を「ようほうじ」と誤って読んでいるのには、驚きました。しかも勝利宣言した後の、「解説動画」の中でも、要法寺を「ようほうじ」と誤って読んでいる有様です。いい加減ですね。

「要法寺の読み方なんか、どうでもいいじゃないか」と思われるかもしれませんが、こういう誤った読み方をしているのは、一般会員ではなく、教学のスペシャリストであるはずの創価学会「教学部」ですよ。彼らは、教学や宗学の研究で、漢字の「正しい読み方」を教わらないんでしょうか。

動画を見ていて、まことに奇異な印象を受けました。

 

要法寺は、日興門流(富士門流)の中の日尊の系統である日尊門流の祖山・本山であり、現在、「日蓮本宗」の本山を名乗っていますが、末寺は、要法寺の塔頭8院を含めて全国に50ヶ寺ある。要法寺は、戦前、本門宗であり、1941年、日蓮宗、顕本法華宗、本門宗の三派合同で、日蓮宗に合同している。

そして1950年に、日蓮宗から独立して、日蓮本宗を新たに立ち上げたわけだが、この要法寺本末の日蓮宗からの独立に追随せずに、そのまま日蓮宗にとどまった旧末寺が34ヶ寺ある。

そのうちの28ヶ寺が島根県にある。

さらにこの他に、元々は日尊門流の寺院だったが、今は日蓮正宗等の他宗派に属している寺院が14ヶ寺ある。

したがって日尊門流としては、要法寺と塔頭・末寺で約100ヶ寺くらいの規模があるのだが、現在の日蓮本宗は、その半分くらいの規模になっている。したがって現在は日尊門流=日蓮本宗ではない。

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京都要法寺(1)~ここも大石寺と同じ『目くそ鼻くそ』『同じ穴の狢』の閉鎖的体質の本山か、京都・要法寺

■日蓮本宗本山・要法寺1(大石寺と同じ穴の狢か)

 

京都という街は、多くの仏教各宗派の本山・由緒寺院がたくさん存在していることで有名なところですが、この要法寺という寺院は、一般の人には、あまり馴染みがないのではないでしょうか。

この要法寺という寺院は、京都府京都市左京区東山三条(新高倉通孫橋上ル法皇寺町)にある日蓮本宗の本山寺院。

要法寺12


ここは、あの日蓮正宗総本山大石寺と同じ日興門流(富士門流)に属し、勝劣派、日蓮本仏論の、静岡県駿東地方に分布する大石寺、北山本門寺、西山本門寺などの富士五山や、保田妙本寺、伊豆実成寺とともに、富士門流の興門八本山を構成している。

今は要法寺と大石寺は、宗派が別になっていて、反目しているようであるが、室町時代や江戸時代には、大石寺と要法寺は「通用」(交流・連合)していて、要法寺出身の大石寺法主が9人もいたことは、あまりにも有名である。

大石寺と反目しているとは言うものの、大石寺とは同じ富士門流に属することから、日蓮の大漫荼羅を本尊とし、日蓮本仏論を唱え、本迹勝劣、種脱勝劣、勤行の法華経方便寿量読誦を唱えていることも全く同じ。

さらには要法寺の山号は「多宝富士山」といって、これまた大石寺の山号と同じく「多宝富士」。

僧侶が来ている僧衣も薄墨色の衣に白袈裟という僧衣で、これまた大石寺と全く同じ。

 

私からすれば、「ここにも大石寺と『目くそ鼻くそ』『同じ穴の狢』があった」という印象しかないのだが、ただし大石寺と大きく異なっている点も何点かある。

それは大石寺にある、いわゆる「本門戒壇の大御本尊」「一閻浮提総与の大御本尊」などと呼ばれている板本尊を根本としていないこと。

要法寺は要法寺で、「日蓮真筆の大漫荼羅本尊」を自称する「称徳符法の本尊」なる本尊を根本本尊としている。ただし、こちらの要法寺にある「称徳符法の本尊」のほうも、後世の偽作である可能性が非常に高い。

もうひとつ違っている点は、大石寺の歴代法主に相承されていると、大石寺が自称している「唯授一人・血脈相承」を否定していること。

要法寺のほうも、大石寺や他の富士門流本山とは、別個に「血脈相承」を唱えています。

 

しかし大石寺の血脈相承なるものは、大石寺9世日有が偽作したもの。

「日蓮正宗大石寺法主の『唯授一人の血脈相承』は日蓮の教義ではない。後世の大石寺法主・9世日有の偽作である」

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=61520053&comm_id=406970

要法寺の血脈相承も、偽作文書である「百六箇抄」「本因妙抄」等があるとのことですので、後世の偽作である可能性が非常に高いと言えます。

 

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小泉久遠寺(13)~2005年に行われた小泉久遠寺65代吉田日綱貫首の晋山式

■富士山久遠寺(小泉久遠寺)13(65代吉田日鋼貫首の晋山式)

 

日蓮宗宗務院からの辞令授与ののち、2005424日、小泉久遠寺にて65代吉田日綱貫首の晋山式が行われており、以下は新貫首晋山式の模様を伝える日蓮宗新聞の記事です。

 

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「富士宮市 本山小泉久遠寺 法灯継承晋山式」

「第六十五世吉田日綱貫首晋山『給仕第一を心に…』宗風宣揚に精進誓う」

静岡県富士宮市の本山小泉久遠寺で、424日、第65世吉田日綱貫首の法灯継承晋山式が営まれ、桜花爛漫の青空の下、僧侶檀信徒約600人が参列した。

午前11時半から晋山行列が行われ、稚児70人と共に式衆・檀信徒が撃鼓唱題しながら、久遠寺の黒門から本堂までを練り歩いた。

午後1時から富士駿河雅楽会による越天楽の調べに乗せて晋山法要が始まり、はじめに静岡県中部宗務所の武田真良所長から辞令伝達がなされた。続いて旭日重前貫首から吉田新貫首に法灯継承の証として法華経一部と久遠寺過去帳の相承が行われ、吉田新貫首発声のもと玄題三唱した。

式中、行列に参加した稚児による献香、献花、献灯が行われ、天童祭文が声高らかに読み上げられた。

吉田新貫首は奉告文の中で、久遠寺開山の宰相阿闍梨日郷上人から連綿と伝わる由来、宗門随一の大太鼓を納める太鼓堂の建立と参道整備を行った63世日隆上人の功績、64世日重上人の伝道布教等の偉業を称え、さらなる寺門興隆、宗風宣揚に精進していくことを誓った。

法要の後、武田所長、本間日諄大本山北山本門寺貫首、永倉日侃本山鎌倉本覺寺貫首、地元管区の遠藤是秀宗会議員が祝辞を述べた。

最後に吉田新貫首が、「法縁各聖ならびに総代各位の御推挙を受け、 63世日隆上人の育てた桜並木のもと、64世日重上人に導かれて65世の法統を継承するという不思議な仏縁を感じております。浅学非才の身ではありますが、給仕第一を心に刻み、この重責を全うしていく覚悟です。なにとぞご指導ご鞭撻を賜りますよう、お願い致します」と決意を延べ、法灯継承晋山式を終了した。

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この記事の内容も、なかなか興味深いものがあります。

吉田日綱氏の先代の貫首・旭日重氏は、この後、北山本門寺49代貫首に晋山しており、吉田日綱貫首の晋山式に、北山本門寺48代本間日諄貫首が祝辞を述べています。

この本間日諄貫首は、2009年(平成21年)1128日に93才で遷化(死去)していますので、この時は89才だったということになります。高齢を押しての出席だったということでしょうか。

小泉久遠寺13客殿


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小泉久遠寺(12)~日蓮宗宗務院から本山貫首辞令が渡された吉田日綱貫首

■富士山久遠寺(小泉久遠寺)12(日蓮宗から本山貫首辞令)

 

2004年に、新しい小泉久遠寺65代貫首に吉田日綱(顕綱)氏が晋山しているのですが、2004517日に日蓮宗宗務院で行われた辞令授与式の模様を伝える「日蓮宗新聞」の記事がとても興味深いので、ここで紹介したいと思います。


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「本山小泉久遠寺貫首に吉田顕綱師」

『歴史と伝統を受け継いで護法護持に努めます』

静岡県富士宮市の本山小泉久遠寺の貫首に吉田顕綱師(静岡県長泉町圓蔵寺代務住職)が就任、517日、東京・大田区池上の宗務院で辞令交付式が行われた。

岩間湛正宗務総長から辞令を手渡された吉田新貫首は『歴史と伝統を受け継いで、護法護持に勤めて参ります』と抱負を語った。

久遠寺は、日蓮聖人の孫弟子にあたり六老僧日興上人の門下である宰相阿闍梨日郷上人が建武元年(1334)に開創したもので、日興上人を派祖とする富士門流の有力本山の一つとして発展した。山号に富士山と冠する通り、霊峰富士を仰ぐ景勝の地に建ち、山門と本堂と富士山が一直線に望める。山梨県の総本山身延山久遠寺と区別して富士山久遠寺とも称される。」

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小泉久遠寺13客殿


 

まず私が興味深いと思ったのは、日蓮宗本山貫首の晋山に際して、日蓮宗宗務院から辞令が交付されたということ。

日蓮宗総本山法主、大本山、本山貫首の人選は、その門流のやり方や時代性、状況等によって異なっていると聞いています。

仏教各宗派の中には、今でも総本山法主(座主・長吏)の専政体制になっていて、本山貫首や末寺住職は全て総本山法主が任命する体制になっている宗派もあります。日蓮正宗なんかはそうです。

しかし日蓮宗の場合はそうではなく、どちらかというと、各門流の連合体に近い体制になっていて、日蓮宗管長を身延山久遠寺法主が兼任する場合もあるし、兼任しない場合もある。法主専政の体制ではありません。

日蓮宗宗務院も、身延山久遠寺ではなく、大本山・池上本門寺にあります。

本山貫首も、各門流で選ぶ場合もあれば、人選が難航した場合は、宗務院で人事調整する場合もあると聞いています。

小泉久遠寺65代吉田日鋼貫首が、どういう経緯・手続きで選ばれたのかは知りませんが、こうして貫首として決まった場合は、日蓮宗宗務院が、辞令を出しているというのは、興味深く読みました。

 

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