仏教宗学研究会のブログ

「仏教宗学研究会」とは会の名称。「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

「仏教宗学研究会」とは「アンチ日蓮正宗」管理人が設立した会の名称。この会の中で、「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
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2012年04月

京都要法寺(19)~日尊相承・要法寺相承目録に出てこない謎の称徳符法の大本尊3

日蓮本宗本山・要法寺19(謎の称徳符法の大本尊3)

 

日蓮本宗・本山要法寺の重宝・称徳符法の大本尊の伝承の経緯を調べていくと、さまざまな疑問点が噴出してきます。

称徳符法の大本尊が、日蓮、日興、日目、日尊から歴代要法寺貫首に相承されてきたというなら、上古の附属状に「称徳符法の大本尊」が出てきてしかるべきなのだが、これが全く出てこない。

康永3(1344)68日、日尊が日印に授与した付弟状には、次のように記されている。

 

「宰相禅師日印に授与する 本尊壱鋪 日興上人の御筆 元応三年正月十三日

大聖人の御影壱鋪

右付弟として授与する件の如し

康永三年甲申六月八日 法師日尊在判 日慧在判 日大在判 日堯在判 日禅在判 日従在判」

(日蓮正宗大石寺59世法主・堀日亨編纂『富士宗学要集』5p44)

 

この日尊付弟状は、要法寺13世広蔵院日辰が著書「祖師伝」の中で引用しているものであるが、正本が存在していないという。この中に、日尊から日印へ日興筆の曼荼羅と日蓮御影を授与するとは書いてありますが、称徳符法の本尊については、何も記されていない。

『富士宗学要集』を編纂した日蓮正宗大石寺59世法主・堀日亨も

「同山(要法寺)の重宝と称する称徳符法の本尊は何師が相伝を受けられしや未だ記文を見ず」

(『富士宗学要集』8p101)

と書いている。

富士宗学要集9

 

堀日亨は、『富士宗学要集』8巻の中で、日尊付弟状につづいて、天正14(1586)の聖主院日顕から要法寺14世日賙、慶長13(1608)の要法寺14世日賙から15世日性、16世日恩から18世日陽への要法寺相承目録を載せている。それを見ると

 

「日賙在判 天正十六戊子年五月初三日之を許可し了ぬ。

当流相承の諸大事 

嫡弟日陽に授与せしめ候

慶長十三戊申年六月十三日 日性在御判追って之を許す」

「一 授戒式法相承

 一 御本尊書写御代々の相承の如し 付り守符

 一 本因妙抄相伝 付り二箇御相承

 一 百六箇の本迹相伝

 一 五人所破抄相伝、興師御作日順御右筆

 一 八通の御切紙相伝

 一 廿六箇条の御遺誡相伝

時に天正十四丙戌年二月七日  日顕

大教坊日陽 謹んで授与し畢ぬ  十六代日恩 在御判」

(『富士宗学要集』8p101102)

 

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京都要法寺(18)~日蓮本宗要法寺の中心本尊・謎の称徳符法の大本尊2

日蓮本宗本山・要法寺18(謎の称徳符法の大本尊2)

 

日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨が編纂した『富士宗学要集』8巻によれば、要法寺に格蔵されている「称徳符法の曼荼羅」の顕示年月日は、「文永九年太才壬申正月元日」。

授与書は「問答第一行戒智徳筆蹟符法沙門日興授与之」となっており、仏滅讃文は

「仏滅度後二千二百二十余年之間 一閻浮提之内 未曾有之大曼荼羅也」

となっている。授与書が日興に宛てられていることから、通称名は「称徳符法御本尊」と古来から言うようである。

東佑介氏は自らが所蔵しているという「称徳符法本尊」の形木本尊の写真を著書で公開している他、ブログで東佑介氏はオスカー氏から入手したという図版も公開している。

東佑介・称徳符法の本尊1

 

この「称徳符法の本尊」の最大の問題点は、これが本当に日蓮の直筆なのか、という点である。

この本尊の諸尊勧請の曼荼羅の相は、文永十年七月八日の佐渡始顕本尊以降の相であり、さらに仏滅讃文が入っている本尊は、文永十一年七月の本尊以降である。

文永九年に日蓮が図顕した本尊で、これだけの諸尊勧請の曼荼羅は、他に例がない。

東佑介氏は、ブログ「京都要法寺所蔵『称徳附法漫荼羅』について」において

「『称徳附法漫荼羅』が日蓮聖人の御筆と認められるかというとそうは思われない。日蓮聖人は文永八年十月九日より御本尊を図顕されるのであるが、この時期の御本尊とは根本的に相違している。下記に文永九年の御本尊を掲げよう。典拠は『御本尊集』第二番である。

安本No.2は文永九年六月十六日、つまり、『称徳附法漫荼羅』が図顕されたと伝わる五ヵ月後の御本尊である。にもかかわらず、安本No.2は『称徳附法漫荼羅』の如くになっていない。そもそも、文永初期の御本尊(~安本No.7)は①首題②釈迦多宝③不動愛染という特徴がある。けれども、『称徳附法漫荼羅』はこうした初期の御本尊の範疇に入らない。」

と書いて、「称徳符法本尊」を偽筆と断じている。

http://blog.livedoor.jp/naohito_blog/archives/51073585.html

 

これに対して真筆説は、日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨で、自らが編纂した『富士宗学要集』8巻に、日蓮真筆本尊として所収している。

東佑介氏が指摘しているように、曼荼羅の相について、数多くの疑義があるにもかかわらず、堀日亨が「真筆」としている根拠は、おそらく筆跡ではないかと思われる。形木本尊の写真で見る限り、この本尊の筆跡が日蓮のものに見えなくもない。

しかし筆跡が日蓮のものだと仮定しても、他の日蓮の本尊から模写した可能性もあるわけで、筆跡のみで真偽を判定することはできない。しかし現存する日蓮真筆本尊の中に、この「称徳符法本尊」の曼荼羅の図形と合致する本尊はない。

 

ちなみに、警察等の科学捜査では、東京高裁・平成121026日判決がきっかけになり、それまで行われてきた「鑑定人による勘と経験に頼る伝統的筆跡鑑定法」と決別し、調査や実験データなどを利用する客観的な鑑定法へ移行している。そして現在では、近代統計学に裏付けされた客観的判断基準となる数学的な数値解析法へと進化して行っているという。

「筆跡鑑定」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%86%E8%B7%A1%E9%91%91%E5%AE%9A

 

現在の所、筆跡を根拠にした偽筆説のほうが説得性が高いと考えられるが、筆跡のみで偽筆説で確定させることにも疑問符がつく。

さらなるこの本尊の鑑定が必要と思われる。

 

京都要法寺(17)~日蓮本宗要法寺の中心本尊・謎の称徳符法の大本尊

日蓮本宗本山・要法寺17(謎の称徳符法の大本尊)

 

要法寺宝蔵には、「称徳符法の曼荼羅」が格蔵されているということですが、これは実に謎の多い本尊です。

要法寺本堂には、称徳符法の大本尊が祀られていますが、これはレプリカの板本尊であり、いわゆる「お前立」。

要法寺3本堂3


前立というのは、仏教界では特に珍しいものではなく、秘仏本尊を格蔵している仏教寺院では、必ずと言っていいほど、「前立本尊」があります。それくらい、広く前立本尊が全国各地の寺院にあります。その主なものを列挙してみると

 

□長野市の善光寺 絶対秘仏の前立本尊(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の「一光三尊阿弥陀如来」)

□比叡山延暦寺・根本中堂 秘仏・伝教大師最澄造立の薬師如来像の前立本尊

□石川県津幡町の倶利伽羅不動尊 弘法大師空海造立の前立本尊

□長野県松本市の金松寺 秘仏・聖観世音菩薩像の前立本尊

□東京・港区南麻布の臨済宗大徳寺派・天現寺 秘仏の毘沙門天の前立本尊

□東京・港区芝公園の浄土宗大本山増上寺 安国殿の秘仏・黒本尊の前立本尊

□東京・台東区浅草の浅草寺 本堂の秘仏・聖観世音菩薩像の前立本尊

□和歌山県紀の川市の天台宗・粉河寺 絶対秘仏・千手観音像の前立本尊(前立も秘仏)

□京都府宇治市の三室戸寺 秘仏・千手観音像の前立本尊 飛鳥様式の二臂の観音像

□愛知県犬山市の真言宗智山派・寂光院 本堂の秘仏・千手観音像の前立本尊

□京都市左京区の鞍馬寺 本殿金堂の秘仏・毘沙門天・千手観音像・護法魔王尊の前立本尊

□滋賀県長浜市の浄土真宗大谷派・向源寺 十一面観音立像(国宝像の旧お前立本尊)

□兵庫県加西市の天台宗・一乗寺 秘仏・観音菩薩立像のお前立像

□京都市中京区の天台宗・頂法寺 六角堂の秘仏本尊・如意輪観音像のお前立本尊

□京都市東山区の清水寺 本堂の秘仏・千手観音像の前立本尊

 

この他にもあると思います。

つまり要法寺宝蔵に称徳符法の曼荼羅を格蔵したまま、秘仏扱いにして、本堂には、レプリカの板本尊である称徳符法の大本尊を祀るというのは、仏教界で広く行われている「お前立」と同じということになります。要法寺の日々の勤行、法要、年中行事は、本堂で行われている、ということです。

宝蔵に格蔵されている称徳符法の曼荼羅は、いつ開扉されるのか。開扉されないとしたら、絶対秘仏ということになりますが、しかし、要法寺では、称徳符法の曼荼羅の形木本尊を信者等に下附しているようです。

東佑介氏が要法寺から下付されたという称徳符法の曼荼羅の形木本尊の写真を著書で公開していますし、この他にも、インターネット上に称徳符法の曼荼羅の形木本尊の写真が公開されています。

こういうのを見ていると、要法寺としても絶対秘仏にしているわけではないように思われますが、対外的には非公開というスタンスをとっているように思われます。

称徳符法本尊1
 

 

京都要法寺(16)~宝蔵、客殿についての日蓮本宗宗務院教学部の公式見解

日蓮本宗本山・要法寺16(宝蔵、客殿についての公式見解)

 

さて要法寺の宝蔵についての日蓮本宗宗務院教学部の公式見解を見てみたいと思います。

私たちの要法寺1


 

「宝蔵

天保13(1842)年再建。宝形造・唐破風・土蔵形式。紫宸殿の曼荼羅、称徳符法の曼荼羅など各種霊宝、仏像などを収納。錠は貫首上人の直封です」(『私たちの要法寺』p15)

 

「宝蔵

宗祖大聖人御付属をはじめ、御消息文、歴代の上人御直筆、その他門外不出の霊宝が蔵せられ、耐火、耐震最善の設備せられ、絶対安全に万遺漏なき注意されてある」(『本山要法寺参詣案内』)

 

「私たちの要法寺」の記述によると、宝蔵の中には、紫宸殿の曼荼羅、称徳符法の曼荼羅、仏像などを収納しているとなっています。つまり堀川綾小路時代、二条寺町時代に本堂に祀られていた釈迦牟尼仏像は、今は宝蔵の中に収められているようです。

要法寺31世日舒が書いた「百六対見記」には

「然るに日俊上の時、下谷(常在寺)の諸木像、両尊等土蔵に隠し、常泉寺の両尊を持仏堂へ隠したり。日俊上は予が法兄なれども其の所以を聞かず。元禄第十一の比、大石寺門流僧、要法の造仏を破す。一笑々々」(『富士宗学要集』9p70)

と、大石寺22世日俊が、大石寺末寺の常在寺、常泉寺の仏像を土蔵や持仏堂に隠したという記述を残していますが、要法寺の場合も、本堂に祀られていた仏像を宝蔵に収蔵したようです。

 

それから称徳符法の曼荼羅が宝蔵に収蔵されているということですが、ならば本堂の称徳符法の大本尊とは、宝蔵に収蔵されている曼荼羅のレプリカ板本尊ということになりますが、仏教界で広く使われている用語を用いれば、本堂の板本尊とは、称徳符法の曼荼羅の「お前立」ということになります。

宝蔵に収められている「称徳符法の曼荼羅」の開扉はしないのでしょうか。

もうひとつの日蓮本宗の公式文献「信仰のすすめー日蓮本宗の信心」には、記念すべき12の聖日が記載されていますが、その中にお風入れ・霊宝虫払いの日がありません。要法寺では、霊宝のお風入れ(虫払い)を行わないのでしょうか。それとも非公開でお風入れ(虫払い)を行っている、ということでしょうか。

非公式情報ながら、要法寺のお風入れ(虫払い)は、末寺住職や信者にも非公開で、要法寺のみで内々に行っているという情報が入っています。これが本当だとしたら、こういう閉鎖的・排他的体質は、外からは、あまりいい印象は持たれないでしょう。

 

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京都要法寺(15)~元は釈迦如来像が祀られた釈迦堂だった要法寺開山堂2

日蓮本宗本山・要法寺15(元は釈迦堂だった要法寺開山堂2)

 

以上のような検証から、サイト「要法寺」が取り上げている「新撰京都名所圖會 3 竹村俊則、昭和36年」に出ている要法寺古図の中で、現開山堂を釈迦堂と書いているのは、間違いではないと考えます。

要法寺古図1


この古図は間違ったことを書いているのではなく、要法寺本堂が落成した安永3(1774)から、要法寺が仏像を廃して大曼荼羅本尊を勧請し、日蓮宗・京都15本山との間に教義紛争が起こった寛政7(1795)までの21年間の間に書かれた古図であると考えられます。

つまり、要法寺開山堂は、元々は釈迦如来像が祀られた釈迦堂として建立されたのであり、要法寺が仏像を廃止した後は、新堂と改められ、さらにその後、開山堂と改められて現在に至っている、ということです。

ではいつ新堂から開山堂に改められたのか、というと、明治26(1893)年当時の要法寺の古図では、開山堂が新堂となっています。日蓮宗制作・日蓮聖人門下連合会監修の「日蓮聖人門下・京都十六本山めぐり」という小冊子の中では

「古来は新堂と呼ばれるお堂でしたが、大正4年以降に、大御本尊と開山の日尊上人の御影像を安置し開山堂と改めました」(『日蓮聖人門下・京都十六本山めぐり』p22)

と書いてありますので、1915(大正4)年以降、そうなったということのようです。

 

「要法寺 日蓮本宗の本山で根本道場」というサイトを見ると、次のような記述が見られます。

「要法寺 日蓮本宗の本山で根本道場」

http://blogs.yahoo.co.jp/masatake_ko/45632134.html

「重層の屋根をもつ開山堂は文政13 1830 )年に再建された。再建当時は開山堂を本堂と称していたが大正4 1915 )年、開祖 日尊上人を 祀り祖師堂を本堂とした」

 

要法寺の公式見解によれば、

「開山堂は正徳5(皇紀2375・西暦1715)11月、日眷上人の代、上棟せられ、当時、仮本堂とせられていたのを、後、本堂再建とともに、開山堂とせられたものである」(『本山要法寺参詣案内』)

となっています。

つまり現開山堂は、現本堂よりも一足先に落成して「仮本堂」だったが、新たに本堂が落成した後、開山堂になった、というものである。

「要法寺 日蓮本宗の本山で根本道場」の記述と要法寺の公式見解の間には、具体的な年については、食い違いが見られるものの、「再建当初は開山堂が本堂」「後に祖師堂が本堂になった」という大筋では食い違っていないと考えます。

 

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