仏教宗学研究会のブログ

「仏教宗学研究会」とは会の名称。「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

「仏教宗学研究会」とは「アンチ日蓮正宗」管理人が設立した会の名称。この会の中で、「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。富士門流執着軍団批判は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄だが、「日蓮正宗系」以外の富士門流寺院の調査・研究は「仏教宗学研究会のブログ」の管轄。
「仏教宗学研究会」への誹謗中傷に対する反撃・糾弾は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
さらに正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」の公式サイト「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」から、カルト宗教対策、カルト宗教取締特別立法、カルト宗教拡散防止条約制定の活動部分を独立させたものが「国際カルト宗教対策委員会(Icat-Cult)」

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2012年05月

岡宮光長寺(10)~光長寺学頭が堀日亨に見せた「秘蔵抄」は後世の偽書である

■法華宗本門流大本山・光長寺10(秘蔵抄は後世の偽書)

 

日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨の著書「隠れたる左京日教師」で紹介している、岡宮・光長寺の学頭・大林日有氏から得たとする「本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承の合本」である「秘蔵抄」だが、これは本是院日叶(左京阿闍梨日教)が相伝を受けた文献ではなく、後世の偽書である。理由は以下の証拠による。

 

1京都・要法寺貫首・広蔵院日辰が『二論議』という著書の中で述べている「御正筆の血脈書を拝せざる間は謀実定め難し」(『二論議』5巻・日蓮宗宗学全書3p370)との矛盾

 

「秘蔵抄」と称している「本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承の合本」の奥書の記述は、明らかに広蔵院日辰が『二論議』で述べている見解と矛盾している。

もし本是院日叶が出雲の師匠・日耀から「秘蔵抄」を相伝していたとしたら、日辰よりはるか上代に「本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承」が日尊門流に存在していたことになり、要法寺貫首がこれを知らないはずがない。よって日辰が「御正筆の血脈書を拝せざる間は謀実定め難し」などと書くはずがない。この日辰の『二論議』で述べている見解は、本因妙抄、百六箇抄が明らかに他門流から日尊門流に流入してきた文書であることを物語っている。

 

2 同じく要法寺側の史料である「日宗年表」によると、1483(文明15)510日、左京阿闍梨日教(日叶)が、調御寺・日乗に宗義相伝書を授与したときの名前を、改名前の本是院日叶ではなく、左京阿闍梨日教としている。

 

1482(文明14)年の日有死去後、著書や文献においては、「左京阿闍梨日教」と名のっており、「本是院日叶」の名前は使っていない。したがって「秘蔵抄」の奥書に「本是院日叶」の名前が使われているのは、大きな不審点である。

「本是院日叶」とは、左京日教が日尊門流にいたときからの名前だが、日蓮正宗大石寺9世法主日有の門下に帰参して後は「左京阿闍梨日教」と改名している。しかし改名後も、京都・鳥辺山に碑を建てたときも「本是院日叶」の名前を使っているが、これは日教が元々は日尊門流出身であるから、京都では「本是院日叶」の名前をそのまま使っていたと思われる。

しかし一旦、改名した以上、対外的には「左京阿闍梨日教」と名のることが本筋であり、したがって「秘蔵抄」の奥書に「本是院日叶」の名前が使われているのは、どう考えても不審なのである。

 

3 「秘蔵抄」の奥書における「文明十七年巳十月十九日 八十六歳日乗在判」と「文明十五年卯五月十五日 日叶在判」の記述がアベコベになっている。

 

4 本是院日叶(左京阿闍梨日教)自身の著書に、この「本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承の合本」たる「秘蔵抄」は全く出てきていない。

 

5 堀日亨自身も、合本(秘蔵抄)の写本について、「筆者不明」であるとし、「原本は日叶師のものなりしや」と疑問符をつけて書いており、不審を呈している。

59世日亨2

 

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岡宮光長寺(9)~岡宮光長寺に「戒壇大本尊の木くず」「秘蔵抄」は存在していない2

■法華宗本門流大本山・光長寺9(木くず・秘蔵抄は存在せず2)

 

私としては、沼津市ないしは沼津市教育委員会のほうで、光長寺の宝物等についてかなり詳しく学術調査をしているわけですから、直接、沼津市教育委員会に問い合わせました。

 

私は、沼津市教育委員会の文化財担当部署の担当者A氏に対して、岡宮・光長寺の宝蔵の中に、大石寺の「戒壇大本尊・彫刻の木くず」なるものや、大石寺僧・左京阿闍梨日教が出雲国の日尊門流寺院・安養寺から相伝したという「秘蔵抄」の写本が存在しているのかどうかを問い合わせました。

 

沼津市教育委員会の担当者A氏の話によれば、光長寺に蔵されている文化財の調査は行っており、古文書、曼荼羅をはじめとするその他の宝物について、国の文化財、静岡県の文化財、沼津市の文化財の指定を行っていること。

当然の如く、本物かニセモノかの鑑別も行っていて、ニセモノや贋作を文化財に指定するということはあり得ないこと。

そこで、「戒壇大本尊・彫刻の木くず」なるものや「秘蔵抄」の写本が、岡宮・光長寺宝蔵の中にあるかどうか、沼津市教育委員会で宝蔵を調査した時の資料を調べるので、1日だけ時間が欲しい、ということでした。

 

翌日、約束通り、沼津市教育委員会の担当者A氏から連絡が入って、正式な回答がありました。

その結果は、「戒壇の大本尊・彫刻の木くず」なるものや「秘蔵抄」の写本は、光長寺宝蔵の宝物の中には確認できない。国、県、市指定の文化財の中にも、そのようなものはない、ということでした。

つまり、沼津市教育委員会で光長寺宝蔵の中の宝物を調査した時に、「戒壇の大本尊・彫刻の木くず」や「秘蔵抄」の写本というものは、なかったということです。

岡宮・光長寺2・御宝蔵1

 

それから、宝物資料として、岡宮・光長寺が出版した正式文献としての冊子「日蓮大聖人の御伝教」「宗祖日蓮大聖人七百遠忌記念」「御法門御聞書」が三冊あるが、いずれの冊子の中にも、光長寺の宝物として、「戒壇の大本尊」の木くずや「秘蔵抄」の写本の記載はないとのこと。

つまり沼津市教育委員会に出した宝物に関する光長寺としての正式見解としても、「戒壇の大本尊」の木くずや「秘蔵抄」の写本があるという記載はないとのこと。

つまり岡宮・光長寺としても、光長寺の正式見解として「戒壇の大本尊」の木くずや「秘蔵抄」の写本があるとは言っていない、ということです。

沼津市教育委員会の担当者A氏が云く「こちらで確認できないものが、あると言われても、困りますねえ」とのこと。いずれにせよ、この調査により、光長寺の宝蔵には、「戒壇の大本尊」の木くずや「秘蔵抄」の写本も存在しないことが、はっきりしました。

 

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岡宮光長寺(8)~岡宮光長寺に「戒壇大本尊の木くず」「秘蔵抄」は存在していない1

■法華宗本門流大本山・光長寺8(木くず・秘蔵抄は存在せず)

 

大石寺の「戒壇大本尊・彫刻の木くず」なるものや「秘蔵抄」という古文書が、本当に光長寺宝蔵の中に格蔵されているのか。まず確認する手段としては、光長寺に電話して僧侶に聞いたわけですが、その回答は「そういうものは、聞いたことがない」というものでした。

明治時代、日蓮正宗大石寺52世法主・鈴木日霑が「伝説」と称して言っている「大石寺は『戒壇の大本尊』を格蔵しているが、板本尊の墨で書いた文字を削り取ったので、宗祖日蓮の法魂は木屑のある岡宮・光長寺にあることになる。大石寺にあるのは、蝉(せみ)の蛻(ぬけがら)だけみたいなものだ」という話しについても、「そんな話しは聞いたことがない」「今の光長寺は、そういうことは言っていません」とのこと。

光長寺20本堂

 

光長寺の僧侶の回答は、かくなるものでしたが、「そういうものは、聞いたことがない」というのは、「本当は存在しているのに、その僧侶が知らない」という解釈も成り立たないわけではない。

そこで光長寺に行って、しかるべき役僧に質問してみたいと思ったわけですが、行って見ると塔中坊から僧侶があわただしく出てきて、車に乗ってどこかに行ったり、あるいは車に乗った僧侶が境内にすべり込んできて、車からあたふたと降りて、あわただしく塔中坊に駆け込んでいったり…。

あるいは塔中を歩いている僧侶に私があいさつすると、「どーも」とは言うのですが、鞄を片手にあたふたと急ぎ足で境内のどこかに消えていった僧侶もいました。

私の顔が見慣れない顔のせいなのか、どこか僧侶のほうが避けているように見えました。外で見かけた僧侶は一見して、年寄りの僧侶ではなく、若手の僧侶に見えましたが。

 

私としては、何とかして光長寺の僧侶の話を面談にて聞こうと思い、庫裡・方丈に行き、方丈にあった受付の窓口らしき所にあったインターホンを鳴らしてみたのですが、誰も出てきません。

何度、インターホンを鳴らしても全く応答なしでした。

境内を僧侶が歩いている姿を見かけるので、方丈に誰もいないはずがないと思うのですが。どこかに防犯カメラでも設置されていて、見知らぬ顔の来訪者だと、出てこないのかなと勘ぐりたくもなります。

 

そこで私としては、別の方法をとることにしました。というのは、光長寺宝蔵の前には、沼津市教育委員会が建てた、下記の立て看板が立てられています。

 

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岡宮光長寺(7)~「戒壇の大本尊の木くず」「秘蔵抄」が本当に光長寺にあるのかどうかを調査2

■法華宗本門流大本山・光長寺7(木くず・秘蔵抄の調査2)

 

「秘蔵抄」については、すでにmixi「アンチ日蓮正宗」コミュニティの

「『百六箇抄』(具騰本種正法実義本迹勝劣正伝)なる相伝書は日蓮真筆ではない。後世の石寺法主・9世日有の偽作だ」のトピック・検証39・検証40にて、先行して書いています。

「『百六箇抄』(具騰本種正法実義本迹勝劣正伝)なる相伝書は日蓮真筆ではない。後世の石寺法主・9世日有の偽作だ」

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=61970478&comm_id=406970

 

「本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承の合本」の「秘蔵抄」とか言っても、何の事やら、わからない方もいらっしゃるかもしれませんので、もう一度、概略を書いておこうと思います。

「本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承の合本」の「秘蔵抄」とは、日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨が著書「隠れたる左京日教師」の中で述べているもので、静岡県沼津市の岡宮・光長寺の学頭・大林日有氏から左京阿闍梨日教の前名・本是院日叶の史料を得たことを明かして、次のように書いている。

 

「岡宮にて得たる日叶師の史料とは、本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承の合本の奥書なり。この写本は筆者不明なりといえども、最奥に寂光寺(顕本法華宗)の貫首なる通義日鑑の直筆の記文あれば、ほぼその時代を得。また日鑑はこれを隣地の要山より得しものなるべし。

その奥書に云く

本云本是院日叶之(原本は日叶師のものなりしや)

本云、…以前、此の秘蔵抄を先師日耀より相伝有りと雖も当(雲州)乱馬来本堂院坊破壊畢ぬ。然る間本尊聖教皆々紛失…

文明十一年八月二十八日 日叶在判

唯我与我の大事、七面七重の大事並びに産湯の大事等に付き、相承云之り在り。然るに選略の分なり。但し去る文明九年、堺の乱に依り、諸聖教等を淡州岩屋に運び、而に彼の在所焼失、彼の所に於いて焼き畢ぬ。又、先年、有る人の方より七面七重の相伝を畢ぬ。此の本は広く悉く也と雖も、不審多多也。…然る処に本是院日叶上人より送り給うて、相伝の恩備に預かり畢ぬ。…

文明十七年巳十月十九日   八十六歳日乗在判

本云 調御寺日乗上人に授与し奉る

文明十五年卯五月十五日   日叶在判」

(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨の著書「隠れたる左京日教師」p5860)

59世日亨2

 

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岡宮光長寺(6)~「戒壇の大本尊の木くず」「秘蔵抄」が本当に光長寺にあるのかどうかを調査1

■法華宗本門流大本山・光長寺6(木くず・秘蔵抄の調査1)

 

光長寺の寺跡調査における重要なものの第二は、「戒壇の大本尊の木くず」と左京阿闍梨日教が出雲の師匠・日耀(日尊門流)から相伝したとされる「本因妙抄、百六箇抄、本尊七箇相伝、産湯相承の合本」の「秘蔵抄」というわれる文書の所在です。

 

まずは、大石寺の「戒壇の大本尊の木くず」についてですが、これは「日蓮正宗大石寺の『本門戒壇の大御本尊』なる板本尊は日蓮真筆ではない。後世の偽作だ」PART1の検証71にてすでに書いています。

大石寺の「戒壇の大本尊」の木くずとか言っても、何の事やら、わからない方もいらっしゃるかもしれませんので、もう一度、概略を書いておこうと思います。

 

明治時代、日蓮正宗大石寺52世法主・鈴木日霑と北山本門寺34代貫首・玉野日志の「霑志問答」で「戒壇の大本尊」偽作を玉野日志からさんざんに追及された大石寺52世鈴木日霑が、こんなことを北山本門寺への公式回答として言っている。

 

「旧く伝聞す、岡の宮、光長寺に戒壇の本尊の刻屑を蔵し、彼の徒常に誇り言ふ、“宗祖曰く、日蓮が魂を墨に染め流すと。大石寺に戒壇の本尊を蔵すといえども、法魂は我にあり、彼は蝉蛻のみ”と。此の言、伝説にして未だ其の実を正さざれば微するに足らざれども取る所有るが如し」(日蓮正宗59世法主堀日亨編纂『富士宗学要集』第7巻問答部「両山問答」p102)

――――古くから伝聞するところによれば、静岡県沼津市岡宮の光長寺には、「本門戒壇の大御本尊」を、光長寺の開祖・日法が彫刻した時の木屑を格蔵していて、光長寺の僧俗は常に誇らしげに言うには『宗祖日蓮は遺文(御書)の中に“日蓮が魂を墨に染め流す”と言っておられるが、それから言うと、大石寺は「本門戒壇の大御本尊」を格蔵しているが、板本尊の墨で書いた文字を削り取ったので、宗祖日蓮の法魂は木屑のある岡宮・光長寺にあることになる。大石寺にあるのは、蝉(せみ)の蛻(ぬけがら)だけみたいなものだ』。これは伝説で、真偽を確認していないので、取るに足らない話しかもしれないが、いくらか見るところのある話しなのではないか。---------

52世日霑

 

鈴木日霑は「これは伝説であり、真偽を確かめていない」と言っているが、代が下って大石寺66・細井日達になると、これが断定的な証拠となってしまっている。

 

「日法上人の系流(法華宗・光長寺)においては、昔から、大石寺の板御本尊は日法上人が彫刻をしてその墨を彫り取った、大聖人の御魂はその墨にあるから、すでに御本尊には魂はない、と悪口をいっているというが、その魂の有無は別問題として、日法上人の彫刻は認めているところである」(細井日達の著書『悪書板本尊偽作論を粉砕す』より)

 

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