仏教宗学研究会のブログ

「仏教宗学研究会」とは会の名称。「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

「仏教宗学研究会」とは「アンチ日蓮正宗」管理人が設立した会の名称。この会の中で、「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。富士門流執着軍団批判は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄だが、「日蓮正宗系」以外の富士門流寺院の調査・研究は「仏教宗学研究会のブログ」の管轄。
「仏教宗学研究会」への誹謗中傷に対する反撃・糾弾は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
さらに正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」の公式サイト「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」から、カルト宗教対策、カルト宗教取締特別立法、カルト宗教拡散防止条約制定の活動部分を独立させたものが「国際カルト宗教対策委員会(Icat-Cult)」

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2012年07月

鳥辺山實報寺(3)~日蓮正宗大石寺・下之坊に日目の遺骨が葬られているはずがない

日蓮本宗・鳥辺山實報寺3(下之坊に日目の遺骨はない)

 

日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂『富士宗学要集』8p6971に収録されている、京都・東山の延年寺墓地に葬られた日目の墓地を、富士門流が延年寺から墓地を四度にわたって買い取って、墓域を拡張した四通の文書(堀日亨は売券と呼んでいる)によって、日目が京都・鳥辺山の延年寺墓地に葬られたことは明らかである。

實報寺11日目墓4


この古文書を堀日亨は正文書と認めており、さらに上代の法主である大石寺17世日精も、「家中抄」で、日目は京都・東山・鳥辺野に葬られたと書いている。つまり日蓮正宗大石寺の上代の法主が、日目は京都・鳥辺山に葬られたと認めているのである。

それにも関わらず、今の大石寺は、日郷が日目の遺骨を持ち帰って富士に葬った、などと言っており、「仏教哲学大事典」には次のように書いてある。

「日尊は京都の鳥辺山(東山鳥辺野)に墓所をつくり、日郷は遺骨を持ち帰って富士大石寺に帰り、下之坊に納めた。日目上人の正墓は上野の下之坊の右手、富士を背にした景勝の地にあり、総本山富士大石寺を見守っているような位置にある」(『仏教哲学大辞典』p950)

 

これによると日尊は京都・鳥辺山に日目の墓所だけを造り、遺骨は日郷が富士に持ち帰ったと言うことになる。そんなバカな話しがあるだろうか、といいたくなる。

自らの師匠を葬る正墓を造るのに、遺骨のない墓所を造る弟子がどこの世界にいるだろうか。

しかも、遺骨がない墓所の墓域を拡張しようと、わざわざ大金を支払って墓域の土地を四回も買収するはずがないではないか。鳥辺山の日目の墓所に日目の遺骨が入っているからこそ、墓域を拡張しようと土地を買収したのではないか。

 

では日郷は、本当に富士に日目の遺骨を持ち帰ったのか。

これも道理や常識から考えると、日郷がそんなことをするはずがないのである。

日目は、1333年、京都天奏の旅路の途中、美濃国垂井で死去した。京都天奏の志を遂げることなく、道半ばで倒れたわけである。では日目の弟子は、師匠・日目の遺骨をどこに葬るだろうか。

日蓮正宗に言わせると、弟子の日郷は遺骨を大石寺に持ち帰ったというが、本当に日目の弟子は、そうするだろうか。

3祖日目1


日蓮正宗の発想だと、日蓮正宗大石寺には「血脈相承」なるものがあり、日目は日興から「日興跡条条事」で唯授一人の法主に選定されたのだから、大石寺に葬られたのだ、ということになる。

しかし「日興跡条条事」も「血脈相承」なるものも、後代の法主である大石寺9世日有が偽作したものであり、全くの嘘っぱちである。

ならば、血脈相承だの日興跡条条事なるものを除去して冷静に考えたら、どうだろうか。どういうことかというと、ここは常識で考えるべきである。

つまり師僧が志し半ばで倒れ、目的を果たせずに死去したら、弟子はどうするのか。よくよく考えてみるべきである。

 

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鳥辺山實報寺(2)~富士門流が京都・鳥辺山延年寺から日目墓域を買収・拡張を記した古文書

日蓮本宗・鳥辺山實報寺2(日目墓域を買収・拡張を記した古文書)

 

日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂『富士宗学要集』8p6971に収録されている、京都・東山の延年寺墓地に葬られた日目の墓地を、富士門流が延年寺から墓地を四度にわたって買い取って、墓域を拡張した四通の文書(堀日亨は売券と呼んでいる)とは、以下の古文書である。

 

1 1340(暦応3)の文書

「売り渡す延年寺観音堂西寄の地の事。

合台所在、東西壱丈、南北壱丈

右件の地は成願が相伝の私領なり。然りといへども、用事あるによつて直の銭壱貫文に安房の国当住大田の宰相阿闍梨日郷に売り渡し奉る所実なり。若し此の地におき候いて向後違乱煩い出来て候はん時は売り主の沙汰として本銭壱壱倍をもちて十箇日の内に弁え申し候べく候。後の為に売り券の状件の如し。

暦応三年七月十五日                延年寺成願在り判」

 

2 1344(康永3)の文書

「売り渡しまいらせ候延年寺の地の事。

合東西六尺、南北一丈、定 日目上人御墓前なり。

右件の地は故成願が私領なり。用要あるによつて日向の国富田の庄内、日知屋寺の別当御房(薩摩阿闍梨日眷)に永年お限って用途六百文に永く売り渡しまいらせ候所実なり。若し此の地に子細候はば此の状を先として御沙汰候はんに子細あるまじく候。若し無沙汰なる事候はば本の用途にても候へ、又別の地にても候へ急ぎ急ぎ沙汰仕り候べく候。仍って後日の為に証文状件の如し。

康永三年太歳甲申潤二月廿八日   故成願が後家比丘尼明知在り判」

 

3 1347(貞和3)の文書

「売り渡す延年寺の地の事。

合一丈、四方□□一貫文

右件の地は成願が私領にて候なり。用あるによつておしてらのれんさう無く永く売り渡しまいらせ候所実なり。若し此の地に子細煩い候はん時は異地にても又本銭にても候へ。弁へ申し候間、此の証を先として御沙汰あるべく候に子細候まじく候。仍って後の為に売り券の状件の如し。

貞和三年七月十八日 売り主 成願後家在り判」

富士宗学要集9

 

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鳥辺山實報寺(1)~大石寺・要法寺三祖日目の正墓がある京都・鳥辺山御廟所・實報寺

日蓮本宗・鳥辺山實報寺1(日目の正墓がある京都・鳥辺山御廟所)

 

實報寺(じっぽうじ)という寺院は、正式には多寶山實報寺といい、日蓮本宗本山・要法寺の末寺。つまり富士門流八本山・日尊門流の祖山である京都・要法寺の末寺。

實報寺3


要法寺が発行している小冊子「私たちの要法寺」の中では「鳥辺山御廟所」として載っていて、大石寺・要法寺・保田妙本寺・小泉久遠寺の三祖・日目の正墓がある他、要法寺歴代貫首の墓がある寺である。

場所は、京都・東山五条の鳥辺山にあり、便宜上、「鳥辺山實報寺」としました。

東山五条だから、東山三条の本山・要法寺から、そんなに遠くない所にある。

では、なぜこの寺に訪問することになったのかというと、三祖・日目の正墓探しをしている中で、訪問することになったわけですが、これが思わぬ形での訪問になった。

日蓮正宗大石寺に言わせると、日目の正墓は、日蓮正宗寺院・下之坊にあるということになっている。

大石寺が発行している「大石寺案内」という小冊子には、日目の正墓が下之坊にある旨、堂々と記載されているし、毎年の下之坊のお会式には、大石寺から法主が下向するのだが、法主は「墓参」と称して、下之坊の自称・日目の墓に墓参・読経・唱題する。

しかし、下之坊に日目の正墓があるというのは全くの虚偽であり、日目の正墓のある所は、下之坊でもなければ、日蓮正宗大石寺でもない。では日目の正墓はどこにあるのか。

 

富士門流の古文書を調査していくと、日目は京都・鳥辺山墓地に葬られたということになっており、日目の正墓は、京都・鳥辺山の延年寺にあることになっている。まず鳥辺山説を唱えているのは、日蓮正宗大石寺17世法主日精である。日精は自らの著書「家中抄・日目伝」の中で、次のように書いている。

「御骨を拾い頚にかけ涙に咽び遥々と京へ上り給ひて東山鳥辺野に御墓を築き給ふ、其の後日郷は哭く哭く御所持の道具御守り等取り持ちて富士にぞ下向し給ひける」

(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂『富士宗学要集』5p191・日精著『富士門家中見聞』)

 

さらに堀日亨編纂『富士宗学要集』8p6971には、京都・東山の延年寺墓地に葬られた日目の墓地を、日郷門流が延年寺から墓地を四度にわたって買い取って、墓域を拡張した文書(堀日亨は売券と呼んでいる)が四通、収録されている。

日蓮正宗においても、この四通の文書を正文書と認め、日蓮正宗が発行している「富士年表」においても、この四通の文書(売券)が発行された1340年、1344年、1347年、1365年の四回の墓地買い取りを第1次~第4次の「日目墓地買い取り」として載せている。

59世日亨2

 

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京都要法寺(28)~頭ごなしに要法寺本堂の本尊参拝を拒否した要法寺若手所化僧

日蓮本宗本山・要法寺28(本堂参拝を拒否した若手所化僧)

 

要法寺塔頭住職が、本尊への供養・合掌・読経を条件に本堂の本尊を拝ませても良い、という話しを出してきたのを断ったのは失敗だったなー、と後悔したのは、東京に帰ってだいぶ経ってからのことです。

あの住職の言葉は、ひょっとしたら入信しろ、という意味ではなかったのではないか。

どこの寺でも、「本尊を見せて欲しい」と言ったら、合掌・供養せよ、くらいのことは言うであろう。つまりあの時、塔頭住職が言ったのは、入信を条件にしたのではなく、極めて一般的なことを言っただけだったのではないか。だとしたら、住職の言葉を断ってしまったのは、大失敗である。

その後、要法寺の日尊六百五十回遠忌法要に行くといいながら、結局は、仕事の都合で行けなかったわけだから、ますます断ったことが悔やまれました。

しかし「後悔先に立たず」である。後で悔やんでみても、どうにもなりません。

 

しかし諦めきれない私は、どうにかして先の塔頭住職に再会して、要法寺本堂の本尊を拝見させてもらうわけにいかないだろうかと、考えるようになりました。

要法寺1本堂1


まあ十中八九は無理でしょうが、それでも何とかやってみて、だめならだめで諦めるしかないなと考えたわけです。

そこで再び、京都・要法寺行きを決行することにしました。

しかしそうはいっても、なかなか京都に行く機会に恵まれず、実際に再び京都・要法寺に行ったのは、日尊六百五十回遠忌法要から12年経った後のことでした。

私は再び自家用車をかっ飛ばして東名高速・名神高速を走って京都・東山三条へ。

この時は、だいぶ京都の道や地理を覚えていましたので、割と簡単に要法寺・駐車場にすべり込むことができました。

しかし要法寺へ行ったのはいいのですが、法要も行事も何もない日であったようで、境内・塔頭とも全く人影がない。人の気配が全く感じられないのです。

そこで私は寺務所の中に入り、無人の受付で人を呼んでみました。

要法寺33宗務院


すると、奥の方から一人、若い所化僧らしき僧侶が出てきました。その所化僧は、受付の係は、今はいない、という、これまた、まことにつっけんどんな答え。

「ずいぶん、つっけんどんな僧侶だな」と思いつつも、せっかく京都・要法寺まで来たのだから、前回、要法寺来訪の時の事情を説明して、本堂の中に入れてもらおうと交渉したのだったが

「信者以外の人には見せられません」

という、これまた頭ごなしの、高飛車な答えが返ってきた。

この一言にカチンときた私は

「なんだその言い方は」

と怒ったが、しかし本堂の中に入ることを正面切って断られてしまっては、もはやそれまで。

どうにかして、別の方法を考えるより外にありません。

 

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京都要法寺(27)~合掌礼拝・供養を条件に要法寺本堂の本尊参拝を認めた要法寺塔中住職

日蓮本宗本山・要法寺27(合掌礼拝を条件に参拝を認めた住職)

 

話題が本尊のことになったので、今の要法寺本堂、開山堂に祀られている本尊について、具体的に塔頭住職に質問。

 

○「本堂は日蓮大聖人の大曼荼羅、開山堂は日興上人の大曼荼羅ということですが、大曼荼羅にはそれぞれ図顕した年月日が入っているはずです。本堂、開山堂に祀られている大曼荼羅の図顕年月日は、いつになっているのでしょうか」

要法寺23鐘楼本堂

 

私は、要法寺本堂の本尊とは、日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨が編纂した「富士宗学要集」8巻に載っている「称徳符法の本尊」ではないのかな、と思っていた。堀日亨は、「称徳符法の本尊」を日蓮真筆としているが、偽筆の疑いが非常に強い曼荼羅で、立正安国会「御本尊集」には載っていない。立正安国会は、日蓮真筆とは認めていないと考えられる。

私としては、要法寺の朝の勤行に入ることに失敗してしまったことから、ここで塔頭住職公認の元に本堂の中に入って、どういう本尊が祀られているのか、確かめてみたいと思っていた。

この私の質問に対して、塔頭住職の回答は

「それは、わからないですね」

の一言。私が

「本堂の大曼荼羅本尊の図顕年月日が、わからないはずがないでしょう。わからないというのは、おかしいんじゃないですか」

というふうに私が押しても、なぜか塔頭住職は無言。それとも、隠そうとしていたのか。別に大曼荼羅の図顕年月日などというのは、隠す理由などないと思うのだが。私は、さらに押してみた。

 

○「では本堂の大曼荼羅本尊を拝見させていただけませんか。見たところ、本堂の扉も開いているようですし」

この私の質問というか要望に、塔頭住職はずいぶん驚いた様子を見せ、しばらく思案した後、こんな回答をしました。

□住職「あー、わかりました。それでは御本尊様に御供養を申し上げ、合掌・礼拝して読経・唱題をなさるということであれば、いいでしょう」

 

この塔頭住職の回答に、今度は私のほうが驚いてしまいました。「えーっ」という私の驚きに、塔頭住職は間髪を入れずに

□住職「当然でしょう。ここは寺院です。博物館や美術館で展示物を見学するのとは、ちがうんです」

要法寺1本堂1
 

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