一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ

「一般社団法人 仏教宗学研究会」とは任意団体として1985年から活動している会の名称。2018年5月に一般社団法人登記。当ブログ名を「仏教宗学研究会のブログ」から「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」に改名。 「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

2012年09月

■比叡山延暦寺7(国宝殿)   比叡山延暦寺・東塔の境内の中に「比叡山国宝殿」という建物がある。 比叡山延暦寺では、伝教大師最澄の直筆の書物をはじめ、仏像、仏画、書跡、美術工芸品等々、数多くの国宝やら重要文化財やらを所有しているとのことだが、そのうちの63点 ...

■比叡山延暦寺5(大講堂)   比叡山延暦寺の見所は、根本中堂の他にもいろいろあるが、そのうちのひとつが大講堂である。 大講堂という所は、僧侶が法華経の講義を聞いたり、お互いに問答して、勉強する学問修行の場という意味らしい。 延暦寺の大講堂は、根本中堂のほ ...

■比叡山延暦寺4(不滅の法灯)   比叡山延暦寺・根本中堂で、観光客にいろいろと説明していた尼僧が 「足利義教・織田信長の焼き討ちでも『不滅の法灯』は消えなかった」 と言っていた内容は、明らかにおかしい。足利義教・織田信長の焼き討ちで、少なくとも比叡山延暦 ...

■比叡山延暦寺3(根本中堂)   根本中堂というのは、天台宗総本山・比叡山延暦寺の総本堂であり、東塔にある。延暦寺の根本中堂(国宝)は、伝教大師最澄が建立した一乗止観院の後身になる。東塔の中心となる根本中堂は、延暦7年(788)に伝教大師最澄がこの地に草庵を結 ...

■比叡山延暦寺1(最澄以来約1200年の歴史)   比叡山延暦寺というと、京都にあるというイメージがあるのだが、実際は滋賀県大津市になる。ここは標高848mの比叡山全域を境内としている大寺院で、境内は東塔、西塔、横川と三つに大きく分けられ、延暦寺の総本堂にあたる根 ...

■奈良法隆寺8(未公開の寺宝)   □塔頭の塀に落書きを消した痕跡があった世界遺産の寺院・法隆寺   私が、法隆寺の案内役員にいろいろ質問して得た回答の中に 「法隆寺は創建以来、1300年以上有るため、現在公開されている寺宝・重宝の他にも、倉庫・宝蔵の中には、 ...

■奈良法隆寺7(法隆寺案内役員)   「仏教宗学研究会」の取材で、法隆寺を訪れた時も、聖徳宗宗務院のみならず、案内役員の方からも、さまざまな話を聞くことができた。案内役員の方は、法隆寺の半被を着た初老の男性だったが、この人もなかなかの勉学家のようで、知識豊 ...

■奈良法隆寺6(西園院客殿)   □本坊・西園院の「客殿」を法隆寺から輸入した大石寺9世日有   法隆寺の境内をいろいろと見学し、調べていくと、さまざまな注目すべきものに出くわす。 最も私が注目したのは夢殿本尊である救世観音立像であるが、他にも注目したもの ...

■奈良法隆寺5(化儀を輸入した日有2)   □日蓮の聖徳太子崇拝、伝教大師最澄崇拝思想の影響を受けていた大石寺9世日有   それではなぜ、日蓮正宗大石寺9世法主日有は、法隆寺本尊や延暦寺本尊をモデルに「戒壇の大本尊」なる板本尊を偽作したのか。それは、日蓮在世 ...

■奈良法隆寺4(化儀を輸入した日有)   □板本尊(板位牌・寺位牌)・秘仏・等身大の本尊は京都・奈良仏教界の化儀だ   もちろん日蓮正宗大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊は、文字漫荼羅であり、法隆寺夢殿本尊・救世観音立像は、仏像だから、そこは大きく相違してい ...

■奈良法隆寺3(夢殿本尊・救世観音立像)   □1884(明治17)年8月にフェノロサ、岡倉天心らによって始めて開扉された救世観音立像   法隆寺のもうひとつのメインは、聖徳太子一族の住居であった斑鳩宮の跡に建立されたと伝承されている東院伽藍である。東院伽藍の回廊 ...

■奈良法隆寺2(金堂・本堂・院号)   □塔頭の名前が京都大寺院と同じ「○○院」の院号になっている奈良法隆寺   法隆寺に行くには、近鉄奈良駅前バスターミナルから、奈良交通バスの法隆寺前行きで約1時間。終点で下車するか、ないしは、JR奈良駅からJR大和路線に乗 ...

■奈良法隆寺1(ユネスコの世界遺産)   □推古天皇15年に日本仏教興隆の祖である聖徳太子が創建した奈良・法隆寺   奈良・法隆寺とは、現存する世界最古の木造建築物群で、法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」としてユネスコの世界遺 ...

■奈良東大寺7(勧学院)   東大寺の、隠れた有名な建物として、「勧学院」という堂宇がある。勧学院は、東大寺真言院の境内にある。真言院は、東大寺・別当も務めた弘法大師空海が、弘仁13年(821年)、勅許を受けて開設した灌頂道場が始まりであり、南都における真言教 ...

■奈良東大寺6(東大寺戒壇堂)   □大石寺9世日有が独自に発明した「事の戒壇」は東大寺戒壇堂のパクリか   東大寺の調査・取材のポイントは、大仏殿もそうだが、むしろ戒壇堂のほうである。 東大寺の戒壇は、出家者が正規の僧となるための戒律を授けられる儀式・受 ...

■奈良東大寺5(東大寺大仏殿)   □写真撮影が禁止されていななかった東大寺大仏殿   今年の10月に東大寺に行ったときは、「光明皇后千二百五十年遠忌法要」の準備のため、正面から大仏殿には入れず、回廊を歩いて正面左側から入っていった。 資料に依れば、大仏殿は ...

■奈良東大寺4(東大寺大仏殿)   □仏教各宗派によって使い方がまちまちの本堂・金堂・仏殿・本殿・客殿・御影堂の使い分け   東大寺「大仏殿」の「大仏殿」という名前は、いわば通称名であって、正式には「金堂」(こんどう)という。「金堂」というのは、金でできた堂 ...

■奈良東大寺3(東大寺大仏殿)   □日蓮正宗大石寺奉安堂の外観・設計は東大寺大仏殿のパクリか   東大寺南大門をくぐって、大仏殿に向かって一路歩いて行くと、中門に突き当たる。 これは東大寺金堂(大仏殿)の手前にある入母屋造の2階建ての門。これも江戸時代、 ...

■奈良東大寺2(六宗兼学・八宗兼学)   では日本最初の戒壇、日本三大戒壇の一つとしての東大寺と、華厳宗総本山としての東大寺が、どうして両立するのか、という疑問にぶち当たる。 奈良時代のいわゆる南都六宗(華厳宗、法相宗、律宗、三論宗、成実宗、倶舎宗)は、「 ...

■奈良東大寺1(日本最初の戒壇)   □ゆっくり見て回ると丸1日はかかるほど広大な東大寺の境内   奈良でいろいろ有名なものはたくさんあるが、中でも最大級に有名なのが、やはり「奈良の大仏」で有名な東大寺であろう。東大寺は、正式には華厳宗大本山の寺。 難工事 ...

■小湊誕生寺3(御秘符の疑惑)   □日蓮正宗大石寺が信者に呑ませている「御秘符」を科学鑑定せよ   ところで誕生寺の祖師堂に祀られている日蓮像は、1991(平成3)年に修理のため解体したところ、胎内から4代住職日静の筆による古文書と薬草が発見されたというのである ...

■小湊誕生寺2(真鯛の群泳と日蓮)   誕生寺は日蓮誕生の霊跡としてあまりにも有名で、日蓮宗七大本山のひとつになっている。 寺伝によれば、日蓮誕生の時、海辺には蓮華が咲き、鯛が群れ、館の庭に清泉がわき出たという。これが今の蓮華ヶ淵、妙の浦、誕生水井戸である ...

■小湊誕生寺1(観心本尊抄・撰時抄等のレプリカ)   「小湊誕生寺」とは、千葉県鴨川市天津小湊にある日蓮の生誕を記念して建てられた寺で、1276(建治2)年10月、日蓮の弟子・日家が日蓮の生家跡に高光山日蓮誕生寺として建立されたというが、この説は今は疑わしいとされ ...

■鎌倉・安国論寺3(日朗の荼毘所)   日蓮が松葉ヶ谷法難で一時避難した南面窟は、安国論寺境内のけっこう山の中にあります。外から見ると、ただの洞穴にしか見えない。 安国論寺の説明によると、日蓮は松葉ヶ谷法難の時、一時、南面窟に避難した後、お猿畠・法性寺に逃 ...

■鎌倉・安国論寺2(御小庵の霊跡と認定)   鎌倉・安国論寺は、日蓮・松葉ヶ谷草庵跡地として、有名な寺院で、まずここには、戦前、神奈川県が建てた「松葉谷日蓮上人遺跡」と書かれた石碑が建っている。   文中、紀元と書いてあるのは、西暦のことではなく、皇紀のこ ...

■鎌倉・安国論寺1(立正安国論・松葉ヶ谷法難の霊跡)   安国論寺(あんこくろんじ)とは、神奈川県鎌倉市大町(名越)にある日蓮宗の寺院で、正式名称は妙法蓮華山安国論寺という、ちょっと長い名前である。 長勝寺と並び日蓮の鎌倉での布教の中心となった松葉ヶ谷草庵 ...

■大野山本遠寺2(身延山周辺の楠木調査2)   大野山本遠寺への二度めの訪問は、前回と同じく身延山周辺における楠木の調査・取材をしていた時に、首尾よく身延町教育委員会の某役職についていらっしゃるA氏にめぐり会うことができ、A氏から、さまざまな学術的・学問的知 ...

■大野山本遠寺1(身延山周辺の楠木調査)   山梨県南巨摩郡身延町大野にある日蓮宗寺院・大野山本遠寺を訪れたのは、身延山周辺の楠木調査をしていたときに訪れたのが最初。はじめて調査・取材のために行ったのは1990年代後半くらいのころだったと記憶している。 大野山 ...

■片瀬・龍口寺4(地域密着の祭礼になっている3)   「龍口法難会」の法要の式次第が一通り終わると、貫首と僧侶は一旦、本堂から退出して、須弥壇の扉も閉められた。 その後、参拝客・観光客には、ぼた餅が振る舞われるということで、本堂では準備がはじまった。 「ぼ ...

■片瀬・龍口寺3(地域密着の祭礼になっている2)   実際に日蓮宗・龍口寺の「龍口法難会」に行ってみて、正直、これだけたくさんの人が龍口寺の「龍口法難会」に来ているのを見て、驚かされました。祭礼というと、神社の祭礼がよく知られているが、仏教寺院の祭礼が、こ ...

■片瀬・龍口寺2(地域密着の祭礼になっている)   龍口寺の大きな行事として、日蓮の龍ノ口法難を記念する毎年9月11日~13日の「龍口法難会」がある。毎年9月12日の夜18時、13日の夜0時に「龍口法難会」の大法要が本堂で営まれ、参拝者には難除け牡丹餅が振舞われる。万 ...

■片瀬・龍口寺1(日蓮・龍ノ口法難・刑場跡)   □日蓮・龍ノ口法難の時に本当に江ノ島方向から“光り物”は飛来したのか   龍口寺(りゅうこうじ)とは、神奈川県藤沢市片瀬の龍口刑場跡に建つ日蓮宗の本山(霊蹟寺院)で、正式名称は寂光山龍口寺。略字体を用いて「 ...

■不受不施日蓮講門宗祖山・本覚寺4(末寺ぐらいの規模の寺院)   さてその不受不施日蓮講門宗の本山・本覚寺ですが、岡山街道を妙覚寺からさらに北上して行ったところにあります。岡山街道には面していますが、非常に目立たないところにあり、うっかりすると見失ってしま ...

■不受不施日蓮講門宗祖山・本覚寺3(日講と本覚寺歴代貫首)   不受不施日蓮講門宗(本覚寺派)の門祖とは、安国院日講で、この人は配流先で著した「録内啓蒙」という著書で有名である。 日講(1626~1698)とは、江戸時代の不受不施派の僧侶。 1636年(寛永13年)妙覚寺・ ...

■不受不施日蓮講門宗祖山・本覚寺2(団結する宗教パワーは脅威だ)   不受不施派については、特筆すべき事がいくつもあるのですが、今の妙覚寺派と本覚寺派の分裂は、まさに江戸時代に幕府から弾圧されて地下活動を行っていたときに、起こっているということ。 もちろん ...

■不受不施日蓮講門宗祖山・本覚寺1(妙覚寺よりもさらにガチな不受不施)   さて不受不施派には、妙覚寺を祖山とする日蓮宗不受不施派の他に、もうひとつ、一派があって、それが「不受不施日蓮講門宗」と名乗る宗派で、その祖山も、妙覚寺と同じ岡山市北区にある。 本覚 ...

↑このページのトップヘ