一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ

「一般社団法人 仏教宗学研究会」とは任意団体として2005年から活動している会の名称。2018年5月に一般社団法人登記。当ブログ名を「仏教宗学研究会のブログ」から「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」に改名。 「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

2012年12月

■宇治平等院3(阿弥陀如来像)

 

□光り輝く浄土の世界の象徴であり権威・権力の象徴でもあった「金」

 

次に私が興味深かったのは、平等院鳳凰堂に祀られている本尊・阿弥陀如来像。

その阿弥陀如来像があまりにも巨大であったことと、もうひとつ。この阿弥陀如来像に金箔が貼られていたこと。鳳凰堂見学を案内してくれた係員の説明によれば、鳳凰堂の阿弥陀如来像は寄木造りで、漆・金箔が貼ってあるとのことでした。

寄せ木造りとはなんぞや、という話になりますが、寄せ木造りと対照的なのが、一木造り。

一木造りとは、一本の木から仏像を彫り出す技法のことで、寄木造りとは、数本の木材を寄せ合わせて仏像を彫る技法のこと。

漆塗り・金箔貼りになっている仏像は、全国各地の大寺院にあることはある。

「金」とは、現世での富や豊かさの象徴であり、仏教の世界においては、古くから至高の存在として、仏の三十二相の「金色相」の如く、光り輝く浄土の世界として表現されてきた歴史がある。そして同時に「金」は権威・権力の象徴でもあった。

日本ではじめて自然金が確認されたのは奈良時代中期のことである。それ以前の弥生・古墳・飛鳥時代の金製品・金メッキ・金箔製品の金は、海外から輸入されたものである。弥生・古墳時代の金の装飾品は、まさに権力者の富の象徴だった。

日本では滋賀県野洲町の甲山古墳(6世紀前半)から日本最古の金糸が発見されている。

奈良県明日香村のキトラ古墳(7世紀末~8世紀はじめ)では、天文図の星が金箔で表現されていることが確認されている。仏教伝来後の飛鳥時代になって、仏の三十二相の中の「金色相」の考えに基づき、仏像・仏具で金が使われはじめた。

 

「日本書紀」によれば、仏教は552年に百済国から金銅の仏像や経典が日本に伝わり、飛鳥時代から造仏が盛んになった。当時の仏像・仏具は銅で鋳造され、金メッキが施された。仏像や仏殿での金の使用は、仏の三十二相の「金色相」があり、仏像は金色とされ、西方浄土の世界も金色と記されているため。現在も日本を含め仏像・仏具には金色が尊ばれ、金箔が張られている。

743(天平15)年、聖武天皇は奈良・東大寺の大仏造営を決定し、仏像に金箔を飾ろうとしたところ、749年に陸奥国(宮城県)で「金」が発見され、900両の金が天皇に献上された。

天皇は年号を天平感宝と改め、歌人・大伴家持は

「すめろぎの 御代栄えむと東なる みちのくの山に 黄金花咲く」

と詠んだ。

鳳凰堂8
 

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■宇治平等院2(導師席も信者が座るスペースもない)

 

□奈良・平安時代の寺院には僧侶の導師席も信者・参拝客が座るスペースも必要なかった

 

平等院鳳凰堂の中は、ほとんどが本尊・阿弥陀如来像が祀られているスペースで占められており、僧侶や参拝客が入るスペースがほとんどない。又、阿弥陀堂内には、僧侶が座る導師席など一切設置されていない。

ここで儀式や法要をやるとなったら、阿弥陀堂の中に入れるのは、導師の僧侶だけで、参拝者は全員、外に出て参拝しなくてはならくなると思われる。

そう考えると、何と都合の悪い造りにしたものだと考えがちだが、しかしながら、藤原頼通が創建した当時は、こういう造りのほうが都合が良かった、ということである。

藤原頼通が平等院を創建した時代というのは、平安時代。その時代は、一般庶民に仏教は弘まっておらず、もちろん当時の庶民は仏教信仰とはほとんど無縁に近かった。

奈良・平安時代に仏教を信仰していたのは、僧侶の他には天皇・皇族・公家・貴族といった上流階級のみ。一般庶民が仏教を信仰し始めたのは、「南無阿弥陀仏」、座禅、「南無妙法蓮華経」といった鎌倉仏教が弘まって以降のこと。

しかし、鎌倉時代以降、庶民が仏教信仰をするようになったとは言っても、大伽藍を持つ仏教寺院は一般大衆の信仰に支えられていたわけではなく、天皇・皇族・公家・貴族、将軍、大名、武家といった特定の上流階級によって経済的に支えられていた寺院が多かった。この平等院とて長い間、摂関家・藤原氏丸抱えの寺院だったのであり、藤原氏の供養によってのみ成り立っていた。当然、そのころは一般庶民とは無縁だったということ。

これは平等院のみならず、飛鳥・奈良・平安時代に建てられた大寺院の中を見れば、一目瞭然である。

日本に仏教が伝来した当初の飛鳥・奈良時代の寺院の金堂(仏殿)は、その寺院の中心本尊・根本本尊を祀るための堂宇であったので、金堂(仏殿)の建物の内部は、仏像本尊を安置する壇(須弥壇)がほとんどのスペースを占めている。

これは飛鳥・奈良・平安時代においては、仏教を信仰していたのは、天皇・皇族・貴族・公家ほんの一部の上流階級・支配階級のみであり、この当時の寺院も、ほとんどが天皇・皇族・貴族・公家の財力・経済力で建てられた官寺であり、この時代において、仏教を信仰していたのは、僧侶と皇族・公家・貴族といった上流階級のみであり、まだ仏教は一般庶民まで広く流布していなかった。金堂(仏殿)の建物に、たくさんの人を収容するスペースは不要だったのである。

これは、飛鳥・奈良・平安時代に建てられた東大寺、唐招提寺、興福寺、薬師寺の金堂、法隆寺の金堂、夢殿、平等院鳳凰堂の中は、皆そのようになっている。東大寺の大仏殿(金堂)も、中に祀られている大仏は巨大であるが、大仏殿の前に参詣者が入るスペースはほとんどない。

ただし、東大寺等、創建は飛鳥・奈良時代でも、戦乱等で焼失して再建された寺院も多い。

そういう意味で、飛鳥・奈良・平安時代に建てられた堂宇がそのまま残っている法隆寺や平等院鳳凰堂の存在はまことに貴重である。

 

鳳凰堂6
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■宇治平等院1(平安時代の創建当初の堂宇)

 

平等院とは、京都府宇治市にある摂関家・藤原氏ゆかりの寺院で、鳳凰堂が十円硬貨の表の絵柄として、あまりにも有名。私も寺跡調査で、何度か来ています。

平等院は、周書異記の末法初年説である1052(永承7)に、関白・藤原頼通が父親・藤原道長から譲り受けた別荘を寺院に改めて創建したのがはじまり。

平安貴族が夢見た極楽浄土を形にした鳳凰堂は、創建の翌年、1053(天喜元年)、阿弥陀如来像を安置する阿弥陀堂として建立されたもの。

当初、平等院は広大な境内と伽藍を持つ大寺院であったが、たび重なる戦火によって焼失。現在、残っている創建当初の堂宇は鳳凰堂のみ。観音堂は鎌倉時代の堂宇、塔中の浄土院は明応年間(1492 - 1501年)、最勝院は承応3年(1654年)の創建とされている。

平安時代の平等院には、阿弥陀堂の他、金堂、講堂、法華堂、宝蔵等があったとされる。

鳳凰堂は、正式には阿弥陀堂と言うが、なぜ鳳凰堂と言うかというと、まず阿弥陀堂の屋根に鳳凰が乗っていること。

そして建物全体が両翼と尾を伸ばしたような形になっているため、あたかも鳥が羽を広げたようにも見えることから、鳳凰堂と呼ばれるようになった、ということ。

阿弥陀如来像も阿弥陀堂も、堂内の壁画等もすべて、国宝に指定されている。本尊である阿弥陀如来像は、仏師定朝の最高傑作とされる。

 

平等院見学の大きなポイントは、鳳凰堂の見学であることは、言うまでもありません。鳳凰堂の見学に入ったのは、2010年に平等院参拝に行ったときのことです。

鳳凰堂の見学は、事前申し込み制で、501グループによる見学。つまり1回の見学で申し込みが50人を超えた段階で締め切りになり、次の時間の見学に回されてしまう。

鳳凰堂入り口のすぐ近くに見学受付があり、拝観料200円を支払って見学を申し込むと、○○時△△分と書いた見学券をくれる。

境内を見学した後、集合時間5分前に鳳凰堂入り口に行くと、すでに長蛇の列ができていました。

私は1550分からの見学。

見学開始に当たって、鳳凰堂に入る前に係員から注意事項の説明があった。内容は

○写真撮影、ビデオ撮影、スケッチ等はすべて禁止。ご遠慮くださいとのこと

○堂内の立ち入り禁止エリアには絶対に入らないでください、とのこと。

○鳳凰堂は国宝なので、柱や壁にもたれかかったり、物を置いたりしないでください。国宝、文化財保護のために、ご協力をお願いします。

とまあ、こんなような内容の注意事項。何か特別なお達しでもあるのかな、と思って聞いていましたが、きわめて当たり前の内容でした。

鳳凰堂8
 

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■成田山新勝寺2(新勝寺表参道)

 

真言宗智山派大本山・成田山新勝寺への表参道は、JR成田駅、京成成田駅の中間にある交差点から新勝寺総門にむかって伸びている。そしてこの表参道の両側には、所狭しと商店、食堂、レストラン、喫茶、カフェ、みあげもの店等々が軒を連ねている。

新勝寺商店街5


まず私の目に付いたのは、この表参道がとても綺麗に舗装され、整備されていること。

新勝寺商店街7


そして表参道の両側に軒を連ねる商店等が、どの店もきちんとした店舗を構え、しかも新築した店舗が多いこと。見た感じとしては、どの店も商売繁盛している様子。

新勝寺商店街8


参道で目を引いたのが、高級うなぎ料理の店が数軒あること。

メニューに出ている、うなぎ料理を見てみると、これがビックリするくらいの高級うなぎ。一食がなんと3000円から4000円するものまである。

東京都心の繁華街、銀座、赤坂、六本木、新宿、渋谷、恵比寿、八重洲、上野界隈にも、こんな高級ウナギを取り扱っている料理店があっただろうかなあ、と思ってしまうくらい。しかもそれが一軒や二軒ではないから、なおさら驚いてしまいました。

 

もちろんこういう高級料理店だけではなく、大衆料理店もたくさん軒を連ねています。

私も、とある大衆料理店に入って食事。入ってみると昭和のころの大衆食堂そのものといった感じ。まるでタイムスリップして昭和時代に戻ったかのような錯覚になりそうです。

私が店に入ったのは、ちょうど夕食の時間帯で、参詣客のグループが2グループほど座って、ビールや日本酒を呑みながら、ずいぶんと話しが盛り上がっている様子。見た感じ、この店のなじみ客のようで、店員とも親しげに話していた。

 

それと、もうひとつ目を引いたのが旅館。おそらく成田山新勝寺参詣の人が宿泊するのでしょう。

電車は東京からJR線と京成線があり、高速道路も東関東自動車道があるが、いかんせん、どのルートでも所要時間が1時間以上かかる。時間かかりすぎですね、これは。

それと成田山新勝寺大本堂の朝の護摩が午前6時からはじまるため、これに参詣するには、新勝寺の近辺に宿泊しないと無理です。6時の護摩もさることながら、9時の護摩に参詣するにも、新勝寺近辺に宿泊しないと無理なのではないか。

それとどの旅館も、外から見た限りでは、立派な建物を構えた高級旅館。すごいですね。

成田山新勝寺参詣でこれらの旅館に宿泊する人が、いかに多いかと言うことでしょう。

新勝寺商店街9
 

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■成田山新勝寺1(初詣で約298万人の参詣)

 

成田山新勝寺といえば、関東地方の初詣のメッカとして有名な寺院。

関東地方の初詣は、1位・明治神宮が約320万人、2位が成田山新勝寺で約298万人、3位が川崎大師・平間寺で約296万人と言われています。面白いことに2位と3位がともに真言宗智山派の大本山になっている。

これは正月三が日の参詣人の数だから、かなりの人数である。成田山新勝寺でも、お正月は1日約100万人の参詣がある、ということになる。これはたいへんな数である。

だから初詣のときは、JR成田駅、京成成田駅から新勝寺までの参道はまさに大混雑である。とても見学どころではない。お賽銭を投げ入れて参拝したら、あとは帰路につくしかないくらいである。

あと初詣のメッカにしては、東京からのアクセスがいいとは言えない。

JR東京駅から総武線快速電車で行くと1時間以上かかる。京成線のほうも、以前は特急スカイライナーが京成成田駅に停車していたが、2010年にスカイライナーが成田スカイアクセス線経由になり、京成成田駅を通らなくなった。

その替わりとして、特急シティライナーが運行されたが、東日本大震災の電力使用制限令で12往復まで削減され、そのままの状態がつづいている。

正月は、JRでも成田エクスプレスの一部が成田駅に停車したり、初詣臨時列車を運行しているが、それでもアクセスがいいとはいえない。

 

真言宗智山派とは、弘法大師空海を始祖、真言宗中興の祖・興教大師覚鑁(1095-1144年)を開祖とする新義真言宗と呼ばれる宗派の中の一つ。

天正5年(1577年)に根来山の学頭職となった玄宥(1529-1605年)が、天正13年(1585年)、豊臣秀吉による紀州征伐で焼き滅ぼされた根来山・智積院を、慶長6年(1601年)、徳川家康の許可を受け寺領を拝受し復興させたことを端緒に創建された宗派。

といっても、なかなかわかりにくい。

真言宗智山派総本山は、京都市東山区にある智積院。総本山智積院の歴代化主が智山派管長を務めている。

大本山が神奈川県川崎市川崎区大師町の川崎大師平間寺、東京都八王子市高尾町の高尾山薬王院、そして千葉県成田市の成田山新勝寺の三寺院。

この他に別格本山として東京都日野市の高幡不動金剛寺と愛知県名古屋市中区の大須観音宝生院がある。大本山・別格本山の5寺院のうち、4寺院が関東地方にある。

真言宗というと、高野山真言宗が有名で、智山派といっても、あまりなじみが薄い名前ですが、数年前、mixiで、あの「桜千歳」なる者が所属している宗派として、有名になった宗派。

それと、成田山新勝寺は、屋号「成田屋」の市川團十郎、市川海老蔵が成田山の不動明王を信仰していることでも有名である。

 新勝寺1

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■正倉院展2(63回正倉院展を見学2)

 

奈良県庁前から奈良公園を通り、途中、地下道をくぐって奈良国立博物館まで、父の乗る車いすを押しながら歩いて行きました。周囲を見ていると、たくさんの人が奈良国立博物館にむかって歩いているのがわかりました。「こりゃ、たくさんの人がきているなあ」という感じです。

私の父は全く歩けないわけではなく、普段は普通に生活していて、車に乗ってマーケットに買い物にも行っています。しかし車で遠出ができなくなったのと、長時間の歩行が困難になってしまったので、観光地に行くときは、父を車いすに乗せて、私が押して歩いているわけです。

さて奈良国立博物館で当日入場券を二人分、購入。一枚1000円でした。

当日券売り場には、あまり人がいませんでした。ではこんなにたくさん押し寄せてきている人たちは、前売り券を買って来ているんでしょうか。東京じゃあ、正倉院展の前売り券なんて、見かけませんでしたが、関西地方では、正倉院展の前売り券を売っていたんでしょうか。

当日券を買って博物館の中に入ろうとしたのですが、入り口から入場待ちの長蛇の行列ができているのがわかりました。「こりゃ、すごい行列だなあ」と思いながら、やっと行列の最後尾を見つけて並びましたが、そこには何と「入場までの待ち時間75分」という看板が立っていました。

正倉院展5行列


75分もかかるの」と驚きましたが、しかし入場するにはこの行列に並ぶしかありません。

行列の最後尾についたのが1055分。実際に入場までに何分かかるか、計ってみることにしました。長蛇の行列も少しずつでしたが流れていきまして、奈良国立博物館の入場ケートにたどり着いてチケットを切ってもらったのが1140分。ちょうど45分かかりました。

正倉院展6行列


看板では75分になっていたので、それと比べたら以外と早く入場できました。

さて早速、展示を見学しようとしてエレベーターに車いすごと乗って2Fへ。展示会場の中も、ものすごい人だかりでした。

 

□織田信長、足利義政ら権力者が切り取った香木「蘭奢待」をはじめて実際に見学

 

さて早速、展示を見学しようとしてエレベーターに車いすごと乗って2Fへ。展示会場の中も、ものすごい人だかり。最初は、この人だかりの中に入って、最初から展示をひとつひとつ見学しようとしたのですが、展示が陳列されている人だかりが全然動きません。

「こりゃだめだ」と思い、いったん人だかりの中から脱出し、先に蘭奢待などのポイントの展示を見ることにしました。しかしどこに蘭奢待が展示されているのか、わかりません。

そこで会場の係員に「蘭奢待はどこに展示されているのですか」と聞くと、「あちらです」と教えてくれたので、父の車いすを押しながら、そちらに直行。

そうするとそこにもたくさんの人だかりがありました。その人だかりの中に入っていくと、蘭奢待が大きなガラスケースの中に納められているのが見えました。

蘭奢待2


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■正倉院展1(63回正倉院展を見学1)

 

20111112日に父と二人で奈良国立博物館の第63回正倉院展の見学に行き、mixiボイスでつぶやきを書いたところ、たくさんの方からイイネをいただきましたのと、この正倉院展の具体的な内容について、いくつかの質問・問い合わせをいただきました。それで、正倉院展見学に行ったときのことを書こうと思います。

正倉院展2

 

東大寺・正倉院に収蔵されている宝物は通常時、非公開。正倉院そのものは東大寺の境内にあるが、正倉院の管理は宮内庁が行っており、正倉院の中に一般は入れず、もちろん、見学もできない。その正倉院展に収蔵されている宝物が毎年、年1回、奈良国立博物館で一般公開される。

しかし管理する宮内庁が整理済みの正倉院宝物だけで約9000点に上るが、このうち正倉院展で公開される宝物の品目は毎年変更され約70点のみであるとのこと。

フリー百科事典・Wikipediaによれば、正倉院宝物が一般公開される最初は、1875年~1880年、毎年開催された奈良博覧会の一環として、東大寺大仏殿回廊で、一部が一般に公開されたことだという。1889年~1940年には、正倉院の曝涼(宝物の「虫干し」のこと)の際に、限られた人々に拝観を許していたのが、正倉院展のはじまりと言われている。

「正倉院」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%80%89%E9%99%A2

 

正倉院展という催しは毎年、奈良国立博物館で行われているが、第63回正倉院展は20111029()1114()まで無休で開催され、私は1112()に行ってきました。今回の最大の見所は、14年ぶりに出展されたという「蘭奢待」(らんじゃたい)です。

蘭奢待とは香木の一種で、正式名称は黄熟香(おうじゅくこう)。「蘭奢待」という名は、その文字の中に"東・大・寺"の名を隠した雅名です。

これは元々、東南アジアで産出される沈香と呼ばれる高級香木で、日本には9世紀頃に中国より伝えられたとされる説が有力。一説には『日本書紀』や聖徳太子伝暦の推古天皇3年記述を云う説もあります。

普段は、奈良市の正倉院・中倉薬物棚に納められており、これまで足利義満、足利義教、足利義政、土岐頼武、織田信長、明治天皇らが切り取って、この高木の香りを楽しんだと伝えられており、古くから日本の権力者にとても重宝がられた香木として有名。

足利義政、織田信長、明治天皇が切り取った跡には、紙箋がありますが、学者の研究によれば、もっとたくさんの人物によって、数百箇所以上、切り取られているといいます。

蘭奢待2
 

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■池上本門寺24(2011年・池上本門寺お会式紀行17)

 

池上本門寺総門前から、住宅街の路地裏をぬけて十中通りに出たのですが、この通りは、池上本門寺から池上駅方面へ帰る参詣者で、足の踏み場もないほど、ごったがえし状態。道路が人で超満員状態になり、その状態でゆっくりと池上駅方面に人の塊が移動しているような感じです。

こちらの通りにも、道路の両サイドには、テキ屋の露店が所狭しと立ち並んでいました。

御会式48的屋・本門寺通り


本門寺の参道は、池上駅前から本門寺方向への一方通行なら、十中通りは本門寺から池上駅方向への一方通行。この一方通行というのは、車ではありません。

車は通行止めになっていいて、人の一方通行です。

人の一方通行ですが、十中通りはものすごい人だかりで大混雑していて、とても露店で何かを買うどころではありません。

やっとの思いで池上駅前にたどり着いたものの、今度は駅前ロータリーが、池上商店街から本門寺参道へ向かう万灯練り供養の行列の通り道になっていて、池上駅前にいながら、駅までたどり着けない。

そこで再び、住宅街の路地裏をぬけて、池上商店街に出ました。ここはまさに万灯練り供養の通り道になっていて、行列が笛を吹き、鼓を叩きながら歩いていました。

御会式47万灯池上駅前


池上商店街から池上駅ロータリーは、万灯練り供養の行列と、見物客・参拝客で、深夜の襲い時刻まで、人でぎっしり。

御会式45万灯池上駅前商店街


御会式43万灯池上駅前商店街


御会式41万灯池上駅前商店街


御会式42万灯池上駅前商店街

大勢の警察官も出ていましたが、参拝客と万灯練り供養の交通整理だけで手が一杯という感じに見えました。

この池上本門寺お会式の万灯練り供養の行列は、深夜23時から24時ころまでつづいているとのこと。

御会式40万灯池上駅前


御会式37万灯池上駅前


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■池上本門寺23(2011年・池上本門寺お会式紀行16)

 

お会式の万灯練り供養の行列は、どんどん間断なくつづいて、此経難事坂を登って三門をくぐり、大堂前に進んでいきます。

私も約2時間くらい、大堂~三門付近で写真を取っていましたが、さて此経難事坂の下へ降りようとしたところ、いつの間にやら池上通りの参道入り口~総門~此経難事坂~三門は、池上本門寺に行く方向のみの一方通行になっていました。

御会式56総門一方通行


やはり万灯練り供養がはじまったあたりから、参詣者の数が激増。参道は、池上本門寺に参詣に行く参詣客と、万灯練り供養を見物する見物客で、まさにごったがえし状態。

御会式61万灯仁王門前


御会式58万灯仁王門前


一方通行じゃあ、どうやって総門前に降りていけばいいのか、と警察官に聞くと

「五重塔の方向から下に降りていって下さい」

とのこと。そこで大堂前の参道から、墓地をぬけ、五重塔の脇を通って、大田区民会館の屋上に出て、そのまま会館のエレベーターに乗って1階へ。

それで朗子会館、日蓮宗宗務院前を通って総門前にやっとたどり着きました。

御会式55万灯参道
 


 

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■池上本門寺22(2011年・池上本門寺お会式紀行15)

 

池上本門寺三門前で、万灯練り供養を見学していたら、次々と万灯の行列が此経難事坂を登ってきました。

御会式74万灯仁王門前

御会式73万灯仁王門前


桜の花や五重塔を形取ったものが多かったですが、中には日蓮像を形取った万灯もありました。

御会式66万灯仁王門前


そして万灯練り供養の行列に参加している人たちの年代が実に幅広いことです。

小学生のボーイスカウトから、20代、30代とおぼしき若い人たち。

それから中高年、老人の男女が大勢で鼓を叩いたり、笛を吹きながら行列に参加。

事前に練習をしていたのでしょうか。

御会式70万灯仁王門前

 

それと、この万灯練り供養の行列で、笛を吹く人、鼓を叩く人、万灯を持ち上げている人、ドラムを叩く人、…

この人たちの表情がとても生き生きしていることです。どの人も、万灯練り供養を楽しみながら参加しているように見えました。

ホントに楽しそうでした。

御会式62万灯仁王門前


見物客のほうも、そういう生き生きとした行列を見て、楽しんでいるように見えました。

御会式61万灯仁王門前
 

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■池上本門寺21(2011年・池上本門寺お会式紀行14)

 

万灯練り供養に出てきた、各寺院・教会・結社で作られた万灯は、桜の木を形取ったものが多かったですね。

御会式75万灯仁王門前

御会式74万灯仁王門前


大半の練り行列は、鼓を叩いたり、笛を吹いたり。中にはドラムを叩いていた行列もありました。

御会式100万灯仁王門前

御会式103万灯仁王門前

基本的にこれらは在家信者の人たちが、鼓を叩いたりしていましたが、中には住職が鼓を叩いて参加していた行列もありました。

御会式109万灯仁王門前


御会式78万灯仁王門前


私が注目したのは、この万灯練り供養の行列の参加者は、実に年齢層が幅広いことです。

年代は、小さな子ども、小学生から20代、30代の若い人、中高年から60代、70代とおぼしき人たちまで。

ありとあらゆる年代の人たちが参加していることです。

御会式77万灯仁王門前


 御会式117万灯大堂前

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■東京201・大田区池上・「池上本門寺」20(2011年・池上本門寺お会式紀行13)

 

万灯練り供養の万灯は、池上本門寺の末寺の寺院・教会・結社毎につくって、行列を行っているようです。

御会式134万灯仁王門前

御会式127万灯仁王門前


御会式124万灯仁王門前


参加している人は、それこそ若い人から、年配の男女まで、実にさまざま。

御会式115万灯大堂前


御会式114万灯仁王門前



若い人の表情が生き生きしているのが、印象的です。


御会式119万灯仁王門前

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英昭彦以外の者が他のインターネットサイト・SNS・他の著作物等で「アンチ日蓮正宗」管理人「hide」、「仏教宗学研究会」管理人「hide」ないしは「アンチ日蓮正宗」管理人「英昭彦」、仏教宗学研究会」管理人「英昭彦」を名乗ること、これらの名称の無断使用を厳禁する。「英昭彦」の名前、および「英昭彦」に関連する一切の名称・名前、「英昭彦」の「ファンクラブ」「後援会」の名称、「英昭彦」が過去に使用した芸名・変名・本名等を「英昭彦」の許可なく、無断使用することを厳禁する。

著作権法違反、肖像権侵害の行為、上記の不正使用、無断使用については、正規の使用料の二倍の不正使用料、無断使用料の請求を含め、発見次第、刑事告訴等の厳しい対抗措置を必ずとります。

SNSmixiGREEで「アンチ日蓮正宗」活動を行っていた時も、いろんな者たちが、「コピーさせてほしい」「複写させて欲しい」等々の類のメールを送ってきた者が多数いましたが、全て断りました。当たり前のことです。今後も、全て断る方針に変更はありません。甚だしい者になると、悪質な下記の内容のメールを送ってきた者までいました。

「アンチ日蓮正宗コミで勉強させて頂いてる者です。hideさんの、膨大な知識量と探求心には脱帽しております。本日は、お願いがありペンをとりました。私、モバイルゲーム…通称モバゲーと言うミクシィの携帯オンリー版みたいなところで、アンチ正宗を啓発してるのですが、hideさんの調べられたコミの資料をそちらで掲載して活用してもよろしいでしょうか?作りは、こちらのパクリのような…コミニティ→サークル、メッセージ→ミニメール、日記に対するコメント板、殆ど同じ作りになっています。モバイル用の容量ですので、板への文字数制限が辛いとこですが、hideさんの資料は少しでも多くの方に読んで頂きたいと…また無断転載より筋を通したいと考えましたのでお願いにまいりました。m(__)mよろしくお願いします」

 

いかにも、もっともらしいことを書いてよこしてきていましたが、これも断りました。当たり前です。

するとこの者は「大変残念ですが、わかりました。今後も頑張ってください」とメールを返信してきて、一旦は転載をあきらめたかに見えた。ところがその5ヶ月後の20078月に金原明彦氏の「日蓮と本尊伝承―大石寺戒壇板本尊の真実」が出版されたというわけである。「日蓮と本尊伝承―大石寺戒壇板本尊の真実」の中に、「アンチ日蓮正宗」の『大石寺の戒壇の大本尊は後世の偽作だ』からの転載はないように見えるが、パクリを企んだ謀略性が明らかである。これなどは、最も悪質な部類に入るものである。

 

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■池上本門寺19(2011年・池上本門寺お会式紀行12)

 

私は、池上本門寺大堂~三門前の参道脇で、万灯練り供養の行列を見守っていたのですが、ここは練り供養の行列を見ようという参拝客でいっぱい。

御会式146大堂前


それでも、人の輪をかき分けて、写真を撮っていました。

御会式144万灯大堂前


おそらく、万灯練り供養の行列がはじまってから、2時間以上は、大堂~三門前にいたと思います。

御会式138万灯仁王門前


見ていると、此経難事坂を登って三門~大堂前に、万灯練り供養の行列が次々と進んできました。それぞれ、鼓を叩きながら「南無妙法蓮華経」(なむみょうほうれんげきょう)と唱えて、歩いています。万灯は、どれも台車の上に乗っていて、此経難事坂の石段を登るときは、男性が数人で万灯を台車ごと持ち上げて、登っていました。

御会式126万灯仁王門前



万灯練り供養の行列は、さまざまです。

中年男性・女性から白髪の老人、妊娠した身重の女性、若い男女、小学生風の小さな子どもの行列もありました。

御会式133万灯仁王門前
 

 

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■池上本門寺18(2011年・池上本門寺お会式紀行11)

 

池上本門寺三門付近で、テキ屋の露店で買った焼き鳥やらフランクフルトを食べていると、参道のほうから「南無妙法蓮華経」(なむみょうほうれんげきょう)と唱えながら、鼓を叩く音が聞こえてきました。

時刻は午後650分くらい。

「あれ、もう万灯練り供養の行列がはじまったのかな」

と思い、参道のほうに歩いて行ってみると、三門からぞくぞくと「南無妙法蓮華経」(なむみょうほうれんげきょう)と唱えながら、鼓を叩くサラリーマン風の男性の行列が歩いている姿が見えました。

これが、万灯練り供養の行列のトップバッターのようです。

御会式145万灯大堂前

 

この男性たちは、けっこう見た感じ、若い人が多かったように思います。人数は、何十人はいたでしょう。かなりたくさんの人数でした。

しかも全員、スーツにネクタイ姿で、信者用の袈裟?を左肩からかけていました。

「南無妙法蓮華経」(なむみょうほうれんげきょう)と唱えながら、此経難事坂を上がってきて、三門をくぐり、大堂前へ。

中には、汗ぐっしょりになっている男性もいました。

 

「この人たちは、普段は丸の内や大手町のビジネスマンなのだろうか。本日は仕事を休んできたというわけか」

と思いました。有給休暇をとって、万灯練り供養に参加したと言うことなのでしょう。仕事を休まないと、この時刻に池上本門寺の万灯練り供養に間に合わないと思います。

まあ、行列参加のためとはいえ、大変なことです。

御会式146大堂前
 

 

 

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■池上本門寺17(2011年・池上本門寺お会式紀行10)

 

神社仏閣の大きなお祭りになると、たくさんの人が参詣にやって来て、テキ屋の露店が並ぶというのは、日本のお祭りの風物詩になっています。

まあ、日本全国各地の大きなお祭りになると、だいたいテキ屋の露店が並ぶのではないでしょうか。私の実家の近所の夏祭り、秋祭りでも、やはりテキ屋の露店が並んでいました。こういうのも、日本の祭りの一部であり、日本文化として定着しているものではないかと思います。

 

そのテキ屋の露店も、最近は少し様変わりしてきているように思います。

金魚すくい、トウモロコシ焼き、綿菓子の露店が影を潜めました。金魚すくいは、池上本門寺お会式に一軒ぐらいは、あったかもしれませんが。トウモロコシ焼きは、売れないんでしょうね。どうしても、焼きそばとか、フランクフルトとか、焼き鳥とか、お好み焼きとかに、目が行きます。

金魚すくいも、経費がかかるわりに、売り上げが上がらないのでしょう。

 

それともうひとつ。池上本門寺お会式に来ていたテキ屋の露店で、目立ったのが、トルコの○○という、実に聞き慣れない名前の料理を売っていた露店。褐色のトルコ人のテキ屋さんでした。

テキ屋も、このごろは国際的になってきているようです。

しかし、池上本門寺のお会式に参詣に来ている人で、トルコ料理を食べる人って、いるのだろうか。ちょっと、気になりました。

 

あともうひとつ、気になるのが、ヤクザとの関係。

テキ屋全員が、ヤクザと関係ある人ではないでしょうけども、東京でも暴力団排除条例が施行されました。これで排除されたテキ屋って、いるんだろうか。こちらも気になります。

 

さて万灯練り供養がはじまる前から、池上本門寺境内は、多くの参拝客で参道はごった返す状態になり、焼き矢の露店で買った焼きそば、フランクフルト、お好み焼き等を食べる人であふれかえっています。

三門の脇に、椅子とテーブルが用意されたテントがあり、ここでたんさんの人が座って、焼きそばやおでんを食べたり、ビールやワンカップ酒を呑んでいます。

テントの椅子に座りきれなかった人は、日蓮立像や五重塔の付近に座って、焼きそばやおでんを食べている人もたくさんいました。

万灯練り供養がはじまる前から、こんな状態になっていました。

御会式151的屋
 

 

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■池上本門寺16(2011年・池上本門寺お会式紀行9)

 

私は、夕方、再び大堂の中に入りましたが、午前中とはうってかわって、たくさんの参拝客が大堂の中に詰めかけていました。参詣者の数は、時刻が夜に近づくにつれて、徐々に増えてきているのが、わかりました。

さて本門寺通り、本門寺参道、本門寺境内、本門寺周辺道路、十中通りなどの道路脇には、テキ屋の露店が所狭しと並んでいます。参拝客が増えるにしたがって、テキ屋の露店もがぜん盛り上がってきました。テキ屋の露店で目立ったのは、フランクフルト、焼き鳥、バナナチョコ、焼きそば、ソフトクリーム、おもちゃのピストルゲーム、ウルトラマンや仮面ライダーのお面、広島焼き・大阪焼きのお好み焼き、おでん、ラーメン…等々です。

昔、テキ屋の露店でよく見かけた、金魚すくい、とうもろこし焼き、綿菓子等は影を潜めました。

相変わらず、食べ物やさんが多いのは変わりません。

テキ屋の露店が出している料理は、フランクフルト、焼き鳥、焼きそば、お好み焼きといったふうに「焼く」料理が得意なようです。得意なだけあって、テキ屋の「焼く」料理は、なかなかおいしい。

たとえば、フランクフルト。

私も、フランクフルトは何十年も前から、高速道路のサービスエリア、テーマパーク、コンビニ、各地のお祭りのテキ屋等々、いろんな所で食べましたが、テキ屋の露店が焼くフランクフルトが一番おいしいですし、一番安い。テキ屋の露店のフランクフルトは、ものすごく太くて、長さも長く、これが200円。コンビニだと、太いフランクフルトは1300円~350円くらいします。といっても、コンビニのフランクフルトは大半が細いもので、これは150円くらいで買えますが、太さと長さがぜんぜんちがいます。

それから、コンビニのフランクフルトは、こげてもいないのに、表皮がパスパスになっているものが多い。セブンイレブンのフランクフルトは、こういうのが多いですね。ローソンの場合は、逆に表皮が焦げてしまっていて、皮が固くなりすぎているものが多い。こういうのは、焼き方がとてもいい加減なんだと思われます。

ところがテキ屋の露店のフランクフルトは、焼き方がとてもうまい。少々焦げていても、表皮が固くなっておらず、パスパスにもなっていない。ちょうどいい具合に焼けているわけです。

焼き鳥は、おいしいのと同時に、焼き鳥の肉がとてつもなく大きい。コンビニや焼き鳥屋、居酒屋で出てくる焼き鳥より、倍以上、肉が大きいですね。こんな大きな肉を使った焼き鳥というのは、あまり見たことがないですね。

こうして「焼く」料理を出すテキ屋の露店があっちこっちにあり、それぞれの露店から、勢いよく煙が上がっている。

おいしいフランクフルトや焼き鳥が食べられるというのは、まことに結構なことですが、警備に出ていた東京消防庁の消防官が、心配そうな表情で、テキ屋の露店から上がる煙を見つめていたのが、とても印象的でした。

御会式152的屋
 

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■池上本門寺15(2011年・池上本門寺お会式紀行8)

 

私は、昼に池上本門寺大堂で行われた「宗祖御更衣法要」に出た後、一端休憩し、午後4時すぎに、再び池上本門寺へ。午後7時前後ぐらいから、池上本門寺・毎年恒例の行事である万灯練り供養がはじまります。この万灯練り供養の行列が行われている時間帯が、池上本門寺に参拝客・見物客が集中するピークになる。

すでに午後4時の段階で、池上本門寺を訪れる参拝客の数は、普段の日の参拝客の数よりも、明らかに多くなっていました。

本門寺通りは、歩行者天国になっていて、通りの両サイドには、すでにテキ屋の露店が所狭しと並んでいた。本門寺総門につながる参道は、総門にむかって左側にテキ屋の露店が並ぶ。

なぜ右側にはなく、左側に露店が並んでいるのか。

それは、参道はすでに真ん中で仕切られていて、右側は万灯練り供養の行列が通る通路。左側が、本門寺に参詣する人が通る通路として確保されているため、それに併せて、テキ屋の露店も、参詣者用の通路に露店を構えていた、というわけです。

本門寺参道も、本門寺通りも、午後4時すぎの段階で、たくさんの参拝客が通っていましたが、まだ万灯練り供養の行列がはじまっていないため、一方通行にはまだなっていません。

本門寺総門から此経難事坂を登って三門をくぐって大堂につきあたり、さらに大堂の西側をぬけて、本門寺寺務所前の公道にぬけるまで、すでに参拝者用の通路と、万灯練り供養の行列が通る通路に、赤いコーンなどで区切られています。

 

大堂に向かって西側には、警視庁の大きな警備車両が…。

さらに大堂裏手の駐車場には、警察車両の他に、大きな消防車、化学消防車が所狭しと停まっていました。さらに此経難事坂から大堂までの間には、たくさんの警察官やら消防官の姿が…。

警視庁池上警察署、東京消防庁挙げて、池上本門寺のお会式は厳重な警備が敷かれているもようです。これは、お会式にVIPが来るから、というような理由ではなく、お会式に約30万人という膨大な参詣者が集まるから、という理由からだと思います。

これだけ多くの参拝客が集中する地域行事で、何かの失火で火災が起こったら、それこそ大惨事になってしまうことでしょう。

現に、本門寺境内の中や大堂のすぐ近く、三門脇の参道にまで並んでいるテキ屋の露店が、焼き鳥や焼きそば、フランクフルト、お好み焼き等々を焼くために火を使っています。だからといって、テキ屋の露店に火を使うな、とも言えないでしょうし、テキ屋の露店とて、池上本門寺のお会式の一部になっています。

そういうわけで、警察、消防も総動員体制で警備に当たっているようです。が、雰囲気は、かなりものものしい雰囲気に見えます。

御会式147大堂前警察
 

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■池上本門寺14(2011年・池上本門寺お会式紀行7)

 

池上本門寺御会式の中日・1012日の行事のメインは、何と言っても万灯練り供養の行列である。これは、東京の地域行事の中でも、指折りの大規模行事で、地域の盛大なお祭りとして、すっかり定着している。この御会式が行われている1011日から13日の3日間で、何と約30万人もの人が、池上本門寺に参拝に訪れると言いますから、いかにその規模が巨大かということです。おそらく1012日の夕方から深夜にかけての万灯練り供養が行われる時間帯に、30万人の参詣のうちの三分の二以上が集中しているのではないかと思われる。

これだけ大規模なお祭りですから、東急池上線は、お会式の万灯練り供養に併せて、臨時電車が何本も運行される特別ダイヤで運行されます。

万灯練り供養がはじまると、池上駅から池上本門寺周辺は、全面車両通行止めの歩行者天国になります。池上通り、池上商店街、本門寺通り、十中通り等、全て歩行者天国。池上駅から池上本門寺周辺、境内の中まで、池上警察署の警察官が多数繰り出して、交通整理に当たっています。交通整理とは言っても、車は通行止めであるわけですから、実質的な参拝客の交通整理です。

万灯練り供養の行列がはじまると、池上本門寺への参拝客、万灯練り供養の見物客などで、池上駅から池上本門寺周辺は、身動きが取れなくなるほどの大勢の人が集まり、それこそ前になかなか歩けなくなるほどです。

そういうわけで、池上駅前から池上本門寺への交通は、一方通行になる。

行きは、本門寺通り・本門寺参道から総門をくぐり、此経難事坂を登り、三門をくぐり大堂へ。

帰りは、五重塔から池上会館を通って日蓮宗宗務院前を通って総門へ。

総門から池上駅に帰るには、呑川沿いを歩いて十中通りへ出て、そこから池上駅前に出るというルートになります。

 

これは私が見た感じですが、30万人もの人が訪れる大規模な地域行事であるわりには、大した混乱もなく、整然と交通整理が行われ、大勢の見物客が見守る中を万灯練り供養が行われているように見えました。しかも場所は東京都大田区という住宅・商店街が密集している地区である。

これだけ大規模な地域行事が、丸一日、しかも深夜の時間帯まで、住宅や商店が密集している東京都心の池上本門寺で行われているというのは、特筆すべき事だと思う。

しかもこの万灯練り供養が行われている間、誰一人「うるさい」と文句を言う人がいない。そんな人が居たとは聞いたことがない。つまり池上本門寺御会式が地域行事として完全に定着しているわけである。

もっとも池上本門寺お会式も万灯練り供養も、毎年行われている行事であり、地元の人たちも、警察官も、慣れているのかもしれませんが。

御会式78万灯仁王門前
 

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■池上本門寺13(2011年・池上本門寺お会式紀行6)

 

さて、池上本門寺の法要でも、読経が終わると、次は唱題がはじまる。つまり「南無妙法蓮華経」(なむみょうほうれんげきょう)を反復的に繰り返し唱えるわけですが、内陣の左右両サイドに、大きな太鼓があり、若い僧侶が、それぞれ、唱題の声にあわせて、太鼓を叩いていた。

日蓮宗では、行道僧や万灯行列で、鼓を叩きながら唱題して歩くのは有名ですが、寺院の法要では、大きな太鼓がしつらえてあって、僧侶が太鼓を叩いていました。これは、日蓮宗の寺院における他の法要でも同じですねえ。もちろん太鼓を叩くのは、唱題の声をそろえるためなのでしょう。

ところで、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)と唱える日蓮正宗の寺院の法要や勤行でも、唱題するときは、僧侶が太鼓を叩きます。住職しかいない寺院では、住職夫人や有力信者が太鼓を叩いていたのを見たこともある。太鼓を叩くのは、日蓮宗も日蓮正宗も共通している。

ただし太鼓を叩くのは共通していますが、太鼓を叩くフシ(音調)がちがっています。それでは「どうちがうのか説明せよ」と言われても、このちがいを文章で書くのは、むずかしい。

 

読経のとき、日蓮宗では僧侶が木魚を叩いて読経の声をそろえますが、日蓮正宗では、木魚という仏具を全く使いません。「では日蓮正宗では、どうやって読経の声をそろえるのか」というと、副導師がマイクを使って、僧侶・信者の読経をリードする、というやり方をする。

日蓮正宗の法要の読経では、導師のみが声を出す箇所がありますが、その時のためか、導師席にマイクがしつらえてあります。これは大石寺も末寺も同じ。

よって導師席にマイクがあり、さらに副導師席にも、信者の読経をリードするためのマイクがしつらえてあります。これは大石寺の正本堂、奉安殿、奉安堂、客殿、御影堂、広布坊などの諸堂宇、塔中から末寺に至るまで全て同じです。

 

池上本門寺の法要で、マイクを使うのは、注意事項や法要の説明をする、マイクの司会者のみで、それ以外は、全くマイクを使いません。池上本門寺大堂の大導師席や副導師席にも、マイクは備えつけられていません。

こういうふうに、仏教各宗派や各寺院の法要に出てみると、日蓮正宗寺院の法要や勤行の読経で、木魚を叩かない、というのは、まことに不思議に思えます。昔、マイクやスピーカーがなかった時代、読経の声を唱和させるのに、どうしていたのかということになるわけです。

昔は、勤行にしても法要にしても、ほんの少人数の僧侶のみが読経していただけだったから、木魚は必要なかった、ということだろうか。

 

今の大石寺は日興門流。池上本門寺は日朗門流。今の日蓮宗には、日昭門流、日朗門流、日向門流、中山門流の他、日興門流の一部、日什門流の一部等々が混在している。

日興門流と他門流が別れてから七百年以上が経過しているわけだが、それだけの長い年月が経過する中で、化儀・化法というものは、ずいぶんと相違がでてしまうものだと感じた。

大堂3
 

 

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■池上本門寺12(2011年・池上本門寺お会式紀行5)

 

池上本門寺御会式・「宗祖御更衣法要」の読経は、実に長い。正確な時間は計っていませんでしたが、延々と約1時間以上はつづいていたように思った。

さて寿量品の読経がはじまると、両サイドの外陣に座っていたご信者が、僧侶に案内されて、内陣にしずしずと歩き、ご焼香。信者の人達の焼香は、寿量品の読経から、さらにそれにつづく品の読経。さらに唱題に入ってからも延々とつづき、唱題が終わってからも、まだ焼香がつづいていました。それだけ、焼香する信者の人達の人数が多かったということでしょうか。

寿量品の読経がはじまってから信者が焼香する、というのは、日蓮宗の他の法要でも同じです。

日蓮正宗の法要や勤行でも、寿量品の読経がはじまると、焼香がはじまる。こういう化儀は、日蓮宗も日蓮正宗も共通しているようです。

というか、法要の読経・護摩の最中に焼香をするという化儀は、日蓮宗、日蓮正宗にとどまらず、

真言宗、曹洞宗、浄土宗、浄土真宗などの仏教各宗派の法要でよく見られる光景である。

 

さて大堂須弥壇中央に祀られている「日蓮聖人御尊像」(祖師像)の更衣なのですが、読経がはじまって、あるところで須弥壇の扉が閉められ、それから延々と閉扉されたままの状態で読経。

読経が終わって唱題がはじまったころに、ようやく須弥壇の扉が開けられ、日蓮祖師像が冬服の僧衣に更衣していた、という感じ。つまり、須弥壇の扉を閉めた中で、僧侶が更衣の作業を行っていたようです。

 

それと、日蓮宗の法要を見ていて面白いのは、マイクの司会者がいること。私も、日蓮宗の全ての法要に立ち会ったわけではありませんが、マイクの司会者がいる法要は何度もあった。

池上本門寺・お会式の各法要にも、マイクの司会者が居て、僧侶入場前にだいたいの法要の流れの説明や、携帯電話の電源を切るように等々の、注意事項の説明をする。

さらに僧侶の入場が完了したあとも、マイクの司会者が

「大導師は当山82世・酒井日慈山主、副導師は○○…」

という、説明がありました。

日蓮宗の法要の場合、内輪の僧侶、信者のみならず、大勢の一般世間の参拝客も訪れるから、こういうふうにしているんでしょうか。内輪の僧侶・信者だけだったら、大導師はだれそれ等々の説明は不要のはず。信者だったら、池上本門寺貫首の顔は百も承知でしょうから。

しかし一般世間の参拝客は、池上本門寺貫首の顔は知らない人が大半でしょう。

かく言う私も、池上本門寺の法要に出て、はじめて酒井日慈貫首の顔を知ったくらいで

「ああ、この人が池上本門寺の貫首猊下か」

と、わかったくらいです。

一般世間の側から見れば、「本日の大導師は○○、副導師は△△」という説明があったほうが、わかりやすくていいですけどね。

御会式21大堂
 

 

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■池上本門寺11(2011年・池上本門寺お会式紀行4)

 

池上本門寺・お会式二日目の「宗祖御更衣法要」は、内陣は多数の僧侶が座って、ほぼ満席状態。内陣の両サイドにある外陣には、壇信徒席が設けられ、ほぼいっぱいの信者が座っていた。この法要でも、私が見聞した限りでは、実際に読経をしていたのは、内陣に座っていた僧侶のみ。外陣に座っていた信者は、読経している様子はなく、ただ合掌して座っているのみ。

仏教寺院の勤行や法要なんて、こんなものじゃないかと思います。浄土真宗本山の法要で満堂の参詣信者が、正信偈を読む声に唱和していたのを見たことがあったが、浄土真宗でよく読んでいる正信偈は、お経とよく似ているが、正確に言うと、仏典ではない。正信偈とは「正信念仏偈」といい、親鸞の著書『教行信証』の「行巻」の末尾に所収の偈文のこと。これは読経とよく似ているのだが、読経とはやや違う。

さて日蓮宗寺院の法要に出ると、熱心な信者さんが、経本を見ながら読経している姿をごくたまに見かけますが、そういう人は、法要の中に居ても1人か2人くらい。

こういう話しを書くと、日蓮正宗や創価学会の信者は、目くじらを立てて「それではダメだ。実際に読経が出来なければ、ダメなのだ」などと言い出しそうですが、私は、全くそんなことはないと思う。

つまり、「在家は無理して読経ができるようにならなくてもOK」という考え方なのである。

前にも書きましたが、池上本門寺のお会式は、それこそ数百年前から今日に至るまで、地域の文化として、地域行事として、完全に根を下ろして定着しているものです。もちろんこれは、「在家・信者は読経せず合掌しているだけ」という形で定着している。これで充分ではないでしょうか。

これが、日蓮正宗や創価学会のように、「在家も読経ができなければダメだ」式に、在家に読経を強制していたら、池上本門寺のお会式は、こんな数百年の間、地域文化として定着しなかったのではないか。

 

それでは、日蓮正宗や創価学会の信者が、毎日欠かさず朝夕の勤行を行っているのかというと、決してそうではない。実際、信者自身が、勤行をよく休んでいることを認めている。こういうのを、定着しているとは言わない。私は、「在家の読経は、文化として根付かない」という説に立っている。

実際は勤行をよく休んでいるのに、さも毎日欠かさず勤行をしているかのように偽るよりも、読経しないという、ありのままの姿で、大衆文化として定着している方が、よほど人間らしいと思う。

誤解のないように附言すると、私は「在家は読経するな」と言っているのではない。それは、在家の方で、読経がおできになる方は、それは素晴らしいと思いますし、そういう方は、読経をおやりになられるのは、結構なことだと思います。

でも、仏教寺院の法要で見聞する限り、そういう方は、非常に少ないです、今でも。

御会式2立て札


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■池上本門寺10(2011年・池上本門寺お会式紀行3)

 

池上本門寺お会式2日めの1012日は、午前10時の大堂での「宗祖御更衣法要」からスタートします。

もちろんお会式の御正当は1013日ですが、一般的に御正当の前日の法要は「御逮夜」と言って、夕方から夜にかけて行う寺院が多いと思うのですが、池上本門寺の場合は、夕方から深夜にかけて、万灯が池上の町内から本門寺境内までを練り歩く「万灯練り供養」の行列が盛大に行われます。そういう関係で、御正当前日の法要も、昼に行われているのだと思われます。

 

その御正当前日の法要は、午前10時からの大堂での「宗祖(日蓮) 御更衣法要」。

これは、大堂の「日蓮聖人御尊像」(木像・祖師像)は、法衣を身にまとっているのだが、この法衣を夏服から冬服に衣替えする法要である。

午前10時すぎ、大堂の須弥壇に向かって右側の出入り口から、「南無妙法蓮華経」(なむみょうほうれんげきょう)と唱えながら、本門寺の僧侶がぞくぞくと出仕。

今回は、僧侶の出仕に際して、大堂の左右に備えられた太鼓を、僧侶が叩いていました。

 

「宗祖御更衣法要」は、大導師・池上本門寺82世・酒井日慈貫首猊下のみで、他本山からの副導師はなし。三角頭巾のような帽子をかぶっていたのは、酒井日慈貫首猊下のみでした。

法要は僧侶の読経からはじまったのですが、法華経序品から読誦がはじまったようすで、方便品・寿量品も読誦していましたが、この他にも提婆達多品、如来神力品等を読誦していたと思います。私は耳をそばだてて読経を聞いていましたが、序品、方便品、提婆達多品、如来寿量品、如来神力品、というのは聞こえたので、わかりましたが、その他の品もなにか読誦していたように思います。

方便品は最初の長行と十如是を読んでいたのは、わかりました。十如是は三回繰り返して読誦。

これは、日蓮宗系各宗派は共通のようです。天台宗の読経も、十如是を三回繰り返して読誦すると聞きました。寿量品は、最初の長行から自我偈まで全てを読誦。

 

僧侶の読経には、マイクを一切使わず、僧侶の一人が、読経の声に合わせて、木魚をボクボクと鳴らしていました。これも、日蓮宗寺院の他、仏教寺院で見かけます。一般的に仏教寺院の読経では、木魚・木証を使うのではないだろうか。

ただし、日蓮正宗や創価学会は、木魚・木証を一切叩かない。日蓮正宗の信者や創価学会員に「勤行の時に木魚を叩かないのか」なんて言ったら、怒るだろうか。()

しかし日蓮正宗、創価学会以外にも、勤行・法要の読経で木魚・木証を叩かない宗派はあるから、彼らも怒ったりしないとは思うが。

御会式12巨塔


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■池上本門寺9(2011年・池上本門寺お会式紀行2)

 

池上本門寺のお会式は、1011日からスタート。午前11時から第1会の報恩法要が大堂ではじまる。

法要は「南無妙法蓮華経」(なむみょうほうれんげきょう)と唱えながら大堂須弥壇の向かって右側から僧侶がぞくぞくと出仕。大導師席には池上本門寺82世・酒井日慈貫首猊下が着席したが、この他に副導師として、鎌倉の本山貫首二名が副導師席に着座。どこの本山だったか、名前は忘れました。片瀬・龍口寺と鎌倉・妙本寺の貫首猊下だったと思ったが。

私も日蓮宗寺院の法要は全て参詣したわけではないが、私が見た限りでは、大導師の貫首は僧侶の出仕行列の中にはいって、いっしょに堂内に出仕してくる。

これは身延山久遠寺の法主の場合も同じだったと思う。

ところがこれが大石寺になると、先に僧侶・信者が堂内に着席した後、僧侶・信者が唱題をする中、法主が仲居僧を従えて、偉そうに出仕してくる。だから大石寺の法主はひときわ偉そうな人物に見える。

さて池上本門寺御会式・第1会の報恩法要の大導師と副導師は、三角頭巾のような僧侶の帽子をかぶり、袈裟・衣も他の僧侶の僧衣と比べて、ひときわ派手。大導師・副導師は、正面向きで着座していましたが、他の出仕僧侶は二列になって向かい合わせに着座。須弥壇に向かって横向きに座る。こういう光景は、日蓮宗の法要の他にも他宗法要でもよく見かける。

出仕僧侶の僧衣は、薄墨色の衣に鼠色の袈裟。僧侶の帽子は、インターネットで調べたところ、帽子と書いて「もうす」と読むとのこと。これが儀式用の正装ということ。

威儀を正すために冠られるぼうしに近い用途のもので、中国の宋代の禅宗に端を発し、鎌倉時代に臨済宗・曹洞宗の伝来と共に日本に伝えられたという。中国の俗服の冠にかえて、僧服にも使用されるようになった。禅衣を用いる宗派では、正装に用いる。

禅宗以外で帽子を着用する宗派は、浄土宗、日蓮宗、時宗、新義真言宗であるということですが、日蓮宗でも帽子を着用しない宗派もある。たとえば日蓮正宗では、法主は帽子を着用しない。

しかし日蓮正宗大石寺法主は帽子を着用しないが、他の富士門流本山の小泉久遠寺、西山本門寺、伊豆実成寺貫首は帽子を着用する。

浄土真宗も帽子は着用しないと思いますね。私は浄土真宗僧が法要で帽子を着用しているのを見たことがありません。

さて法要は、法華経の読経からスタートするのですが、僧侶の読経の声を聞いていても、法華経のどの品のどのあたりを読んでいるのか、ほとんどわかりませんでした。わかったのは、方便品・寿量品以外の品をかなりたくさん読んでいたこと。ただし28品全てを読経していたわけではありません。

御会式21大堂
 

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■池上本門寺8(2011年・池上本門寺お会式紀行1)

 

池上本門寺といえば、毎年10月の日蓮祥月命日忌に行われる「お会式」(おえしき)があまりにも有名。私も今まで、池上本門寺のお会式には何度も行っているのですが、最も直近に行ったのは、2011年のお会式。そこで、池上本門寺のお会式に行ったときのことを書きたいと思います。

池上本門寺のお会式は、東京で行われる祭礼では、まさに最大級のものではないだろうか。

インターネットで調べてみると、池上本門寺のお会式の参詣者数は約30万人ということです。この30万人という数字は、どうやってカウントしたのかはわかりませんが。

毎年、池上本門寺では1011日から13日までの三日間、御会式が行われるが、この3日の参詣が約30万人とのこと。1日平均すれば約10万人ということになるが、ご存じの通り、池上本門寺御会式のメインは1012日の万灯練り供養である。万灯練り供養は1012日の夕方から深夜にかけて行われる盛大な行事だが、この時に集中して池上本門寺に参詣がある。

おそらく1012日の夕方から深夜にかけて、30万人の参詣のうちの三分の二以上が集中しているのではないかと思えるくらい。

とにかく大変な数の参詣がある。ちなみに池上本門寺御会式は、神田祭り、山王祭り、浅草三社祭り、阿佐ヶ谷七夕祭り、高円寺阿波踊り、浅草サンカーニバル、原宿表参道スーパーよさこい、と並ぶ、東京23区で行われる巨大祭りに数えられている。

もっとも阿佐ヶ谷、高円寺、浅草サンカーニバル、原宿表参道の祭りは近現代になってからはじまっったものだから、池上本門寺御会式のほうがはるかに古い。

それと、池上本門寺御会式の30万人の参詣というのは、池上本門寺が参詣目標を掲げて組織的動員を行っているわけでもなく、お会式という行事が地域社会に完全に定着していることによる、自発的な参詣であることは論を待ちません。お会式の行事だけで30万人もの人が池上本門寺に参詣するわけだから、池上駅から池上本門寺周辺は、歩行者天国等の交通規制が敷かれ、本門寺通り等には、テキ屋の賑々しい出店が建ち並ぶ。

しかも池上徳持会館から池上本門寺まで練り歩く「万灯練り供養」は、参詣の人でぎっしり埋まった池上通り、本門寺参道を深夜遅くまで行われる。こういう巨大行事が代々受け継がれて、毎年恒例の行事として行われているわけである。

池上本門寺の周囲はぎっしり住宅やマンションが建ち並ぶ住宅街・商店街になっているのですが、深夜までこういう巨大行事が行われても、誰も文句を言わない。この地域では、この巨大行事が、毎年恒例の行事として、定着しているわけである。そういう意味では、地域文化として深く根付いていると言うべきでしょう。

御会式56総門一方通行
 

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