一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ

「一般社団法人 仏教宗学研究会」とは任意団体として1985年から活動している会の名称。2018年5月に一般社団法人登記。当ブログ名を「仏教宗学研究会のブログ」から「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」に改名。 「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

2013年03月

■京都妙顕寺4(大石寺の客殿・勅使門は妙顕寺の客殿・勅使門のパクリ3)   □往古の昔から勅使門、客殿、庫裡等の堂宇の配置は変わっていない京都妙顕寺   大石寺による京都妙顕寺客殿・勅使門パクリ問題で、私が注目しているのは、勅使門と客殿の位置です。勅使門は ...

■京都妙顕寺3(大石寺の客殿・勅使門は妙顕寺の客殿・勅使門のパクリ2)   □対外的には「不開門」と言い自宗の信者には「勅使門だ」と二枚舌を使って騙している大石寺   前回の大石寺の客殿・勅使門パクリ問題の日記に関連して、賢明なるお方から 「大石寺の勅使門 ...

■京都妙顕寺2(大石寺の客殿・勅使門は妙顕寺の客殿・勅使門のパクリ)   □京都妙顕寺客殿・書院・宝蔵・勅使門の配置が酷似している大石寺客殿・書院・宝蔵・勅使門   「アンチ日蓮正宗」「仏教宗学研究会」で大石寺の他宗派教義・本尊・化儀・堂宇のパクリ問題を取 ...

■京都妙顕寺1(三門の寺号額に皇室の菊花紋章を使っている)   □三門の寺号額に皇室の菊花紋章を使っている日蓮宗七大本山・京都妙顕寺   京都妙顕寺とは、日蓮宗七大本山のひとつで、日蓮から京都弘教を附属された日像が開山となった寺院。具足山妙顕寺という。南北 ...

■東叡山寛永寺4(天璋院篤姫の墓所がある寛永寺)   寛永寺の寺跡調査のもうひとつのポイントは、ここに天璋院篤姫の墓所があること。 篤姫は、日蓮正宗に言わせると、大石寺の信仰をしていた、というのである。ところが篤姫は、寛永寺の五代将軍徳川綱吉の廟の中にいっ ...

■東叡山寛永寺3(室町時代だったら天台宗談義所に日蓮宗僧修学はあり得た)   寛永寺への参詣・見学は、上野駅公園口から上野公園を歩いて行くか、あるいは鶯谷駅から上野公園方面に歩いて行くか。いずれかが定番。「東の比叡山」という意味の山号・東叡山というくらいあ ...

■東叡山寛永寺2(比叡山延暦寺と同じ最澄自作の薬師如来像)   寛永寺の根本中堂は、当初は1698年(元禄11年)に建立。間口25間(45.5m)、奥行き23間(42m)、高さ32mもある大伽藍だったという。 しかし1868年(慶応4年)の彰義隊戦争の際に全山を焼失。現在の寛永寺・根本中堂 ...

■東叡山寛永寺1(比叡山、東叡山、日光山の三山管領の宮)   東京・上野の寛永寺とは、天台宗関東総本山の寺院。正式には東叡山寛永寺円頓院と号する。 1622年(元和8年)、天海大僧正が徳川幕府二代将軍・秀忠と相談して、徳川家の安泰と天下の平安を祈る祈願寺として、 ...

■川越・川越市立博物館2(天台宗檀林・恵心流の謎を追って2)   □寛永の大火で室町期の古文書が焼失してしまっていると明かした市立博物館学芸員   「いやー、どうだろうなあー。わからないこともあるからなあー」と、渋々出てきたという感じの学芸員。「この人、や ...

■川越・川越市立博物館1(天台宗檀林・恵心流の謎を追って)   □女性職員に引っ張られて「わからないこともあるからなあ」と言いながら渋々出てきた学芸員   喜多院で僧侶の話を聞くことはできたのですが、どうも消化不良な感じがぬぐいきれないため、「天台宗檀林に ...

■川越・中院1(天台宗八箇檀林・日蓮伝法灌頂の寺)   □日蓮伝法灌頂の寺院にあった天台宗談義所で日蓮宗僧が修学していた、ということか   恵心流中古天台宗口伝法門や天台宗談義所に日蓮宗僧が入檀していたか、という謎を追って、喜多院の次に、となりの中院を訪ね ...

■川越・喜多院7(恵心流と本仏儀の関連付けを全面否定)   □大石寺9世日有は恵心流を知っていたとしても恵心流から日蓮本仏義を偽作したのではない   「天台宗の談義所に、日蓮宗の僧が入学して修学したかどうか」の話題について、これ以上、この僧侶と話してもムダ ...

■川越・喜多院6(他宗僧の天台宗檀林に入学・修学を否定)   □天台宗談義所が天台宗僧限定になったのは江戸時代以降の可能性が高い   喜多院の受付で売っていた小冊子を買って読みましたが、大まかな歴史の概略は載っていたのですが、恵心流とか日蓮宗の僧が天台宗談 ...

■川越・喜多院5(江戸時代以前の喜多院の歴史)   □鎌倉時代後半から室町時代前半ころが最盛期だった無量寿寺の天台宗談義所   本堂外陣と賽銭箱の間に、受付があり、そこに若手僧侶が二人いて、数珠やお守りの類のものが売られていました。私が軽く会釈をすると、二 ...

■川越・喜多院1(天台宗檀林と日蓮宗1)   喜多院とは、埼玉県川越市内にある天台宗の寺院で、ここと中院はかつて星野山無量寿寺という寺院の子院だった。かつては関東天台宗580余ヶ寺の本山として栄えていた寺院。喜多院の山号は今も「星野山」(せいやさん)といい、星野 ...

■高岡・山町脇・土蔵造り資料館2(蔵造り・土蔵の謎を追って3)   □高岡市土蔵造りのまち資料館に掲示されていた明治の高岡大火と焼け残った土蔵造り   高岡市指定文化財・旧室崎家住宅が、高岡市土蔵造りのまち資料館として、一般公開されている。室崎家は現当主で ...

■伊東葛見神社1・「戒壇大本尊」偽作の楠木調査で訪問した伊東・葛見神社1   □ここでも神木として祀られていた静岡県伊東市・葛見神社の大楠木   静岡県伊東市にある葛見神社にも、国の天然記念物に指定されている大楠の巨木がある、ということで調査に行きました ...

■熱海来宮神社3・「戒壇大本尊」偽作の楠木調査で訪問した熱海・来宮神社3   □楠が神木になっていることが大石寺の「戒壇の大本尊」が後世の偽作である証拠だ   来宮神社の楠木は、「神木」になっているわけですが、この「神木」とは、神体としての木や神聖視され ...

■熱海来宮神社2・「戒壇大本尊」偽作の楠木調査で訪問した熱海・来宮神社2   □神々を敬っていた日蓮が神木になっている楠木を伐採するはずが絶対にない   来宮神社に来ると、まず目につくのは、やはりこの神社にある大楠木に関する看板であり、どれも「国指定天然 ...

■熱海来宮神社1・「戒壇大本尊」偽作の楠木調査で訪問した熱海・来宮神社   大石寺の「戒壇の大本尊」の楠木の調査で、いろんなところに実地調査に行きましたが、その中で静岡県東伊豆地方の楠木調査に行ったときのことをここに紹介します。 静岡県東伊豆地方には、樹 ...

■金沢市安江金箔工芸館4・日有が偽作した「戒壇の大本尊」金箔加工の調査4   □金沢市立安江金箔工芸館・学芸員との単独会見記3   学芸員「もし大石寺の板本尊が、日蓮が造立した板本尊ではないとしたら、誰が造立したのですか。板本尊を造立した人物とは??。その人 ...

■金沢市安江金箔工芸館3・日有が偽作した「戒壇の大本尊」金箔加工の調査3   □金沢市立安江金箔工芸館・学芸員との単独会見記2   私と学芸員との話は、「日蓮は金箔加工が自力でできなかったのか」という話題から、はじまりました。 学芸員「日蓮が自分で金を手に ...

■金沢市安江金箔工芸館2・日有が偽作した「戒壇の大本尊」金箔加工の調査2   □金沢市立安江金箔工芸館・学芸員との単独会見に成功   金沢市立安江金箔工芸館に入って行くと、大まかな金箔工芸の歴史や金箔工芸製造過程の展示が多く、私が見学していると、女性係員 ...

■輪島漆器会館1・大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊」なる板本尊漆塗りの調査4   □漆の基礎知識。漆塗りの工程、漆に関するさまざまな展示を行っている輪島漆器会館   石川県輪島漆芸美術館での四柳嘉章館長との単独会見を終えた私は、徒歩で輪島漆器会館に向 ...

■輪島漆芸美術館3・大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊」なる板本尊漆塗りの調査3   □石川県輪島漆芸美術館の館長室にて四柳嘉章館長との単独会見2   ○「日蓮正宗大石寺の『戒壇の大本尊』なる板本尊は、大きさが縦は約143センチ、横は約65センチ。だいたい畳 ...

■輪島漆芸美術館2・大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊」なる板本尊漆塗りの調査2   □石川県輪島漆芸美術館の館長室にて四柳嘉章館長との単独会見   石川県輪島漆芸美術館は、輪島市にあるのだが、輪島市のターミナルである旧輪島駅からは、ちょっと離れた所に ...

■輪島漆芸美術館1・大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊」なる板本尊漆塗りの調査1   □日本でも漆研究の第一人者が館長を務める石川県輪島漆芸美術館   石川県輪島漆芸美術館とは、石川県は能登半島の端っこの輪島市にある輪島市立の美術館。 ここが開館したの ...

■湯之奥・猪之頭線7・室町時代、日有が往還に使った上人路・「湯之奥・猪之頭線」7   □室町・戦国時代の下部温泉には「湯女風呂」「花街」はあった   室町・戦国・安土桃山時代から江戸時代中期まで、金鉱掘りが行われていた湯之奥金山があった湯之奥地区から、湯 ...

■湯之奥・猪之頭線6・室町時代、日有が往還に使った上人路・「湯之奥・猪之頭線」6   □湯之奥・猪之頭線を実際に車で走って室町時代の大石寺9世日有の足どり調査3   さて湯之奥集落から湯之奥・猪之頭線を逆に下っていくと、下部温泉に着きます。 ここは、古くか ...

■湯之奥・猪之頭線5・室町時代、日有が往還に使った上人路・「湯之奥・猪之頭線」5   □室町・戦国から江戸時代前半まで金鉱掘りの金山衆の町だった湯之奥地区   湯之奥・猪之頭線を下部温泉側から毛無山方面に向かい、切り立った山沿いを車でどんどん走っていくと ...

■湯之奥・猪之頭線4・室町時代、日有が往還に使った上人路・「湯之奥・猪之頭線」4   □毛無山麓に大石寺9世日有が金山衆を引き留める為に創建した日蓮正宗寺院・有明寺   私は、湯之奥・猪之頭線の調査を行っていた時、日蓮正宗大石寺9世法主・日有が創建したとい ...

■湯之奥・猪之頭線3・室町時代、日有が往還に使った上人路・「湯之奥・猪之頭線」3   □湯之奥・猪之頭線を実際に車で走って室町時代の大石寺9世日有の足どり調査2   私は車で、富士宮市猪之頭地区から、国道139号線に出て本栖湖方面に北上。本栖湖畔で国道300号線 ...

■湯之奥・猪之頭線2・室町時代、日有が往還に使った上人路・「湯之奥・猪之頭線」2   □湯之奥・猪之頭線を実際に車で走って室町時代の大石寺9世日有の足どり調査1   さて私は車に乗って、再び県道に出て北上。「林道の入り口っていうのは、ここかな?」と思ったとこ ...

■湯之奥金山博物館8・日有の経済力を解き明かす湯之奥金山博物館8   □何度も足を運んで調査した山梨県JR下部温泉駅前・湯之奥金山博物館   ところで、自分なりに調査・研究していって、どうしても一点、わからなかったことが、この湯之奥金山は、いつから採掘がは ...

■湯之奥金山博物館7・日有の経済力を解き明かす湯之奥金山博物館7   □「戒壇大本尊」を偽作して湯之奥・金山衆の金の供養独占を狙った大石寺9世日有   湯之奥金山の金山衆は、「南無妙法蓮華経」を唱える法華の信者であった。 法華の信者である金山衆たちは、甲斐 ...

■湯之奥金山博物館6・日有の経済力を解き明かす湯之奥金山博物館6   □湯之奥金山の金山衆たちは富士門流の信者が多かった   湯之奥金山遺跡学術調査会・調査団の学術的総合調査によって、湯之奥金山博物館展示図録は、はっきりと中山金山の金山衆たちの菩提寺は、 ...

■湯之奥金山博物館5・日有の経済力を解き明かす湯之奥金山博物館5   □湯之奥金山の金山衆は日蓮宗系・富士門流の「法華の信者」だった2   江戸時代に湯之奥の中山金山に建てられた石塔や茅小屋金山に建てられた墓石に「富士北山村」の文字が見えるものがあることか ...

■湯之奥金山博物館4・日有の経済力を解き明かす湯之奥金山博物館4   □湯之奥金山の金山衆は日蓮宗系・富士門流の「法華の信者」だった1   湯之奥金山で金の採掘・経営を行っていた金山衆は、いかなる信仰をしていたのか。 湯之奥金山博物館の「金山に生きる」のコ ...

■湯之奥金山博物館3・日有の経済力を解き明かす湯之奥金山博物館3   □戦国大名・武田氏の軍役も担っていた湯之奥金山の金山衆   それでは、実際に湯之奥金山で金鉱を採掘し、精錬、経営していた金山衆(かなやましゅう)と呼ばれる人たちは、いかなる人たちだったの ...

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