仏教宗学研究会のブログ

「仏教宗学研究会」とは会の名称。「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

「仏教宗学研究会」とは「アンチ日蓮正宗」管理人が設立した会の名称。この会の中で、「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。富士門流執着軍団批判は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄だが、「日蓮正宗系」以外の富士門流寺院の調査・研究は「仏教宗学研究会のブログ」の管轄。
「仏教宗学研究会」への誹謗中傷に対する反撃・糾弾は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
さらに正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」の公式サイト「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」から、カルト宗教対策、カルト宗教取締特別立法、カルト宗教拡散防止条約制定の活動部分を独立させたものが「国際カルト宗教対策委員会(Icat-Cult)」

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2013年05月

歯の博物館(5)~神奈川県歯科医師会・歯の博物館・大野館長との質疑応答記4

■歯の博物館5(歯の博物館・大野館長との質疑応答記4)

 

○私「入れ歯(義歯)とは、いつごろから、あるのでしょうか」

□館長「現在までに発見された最古の木床義歯は、1538年に74才で没した、和歌山県願成寺の仏姫(尼さん)の上顎の総義歯です。これは技術的に完成されており、こうした義歯制作の技術の発生は、それよりも相当以前のものと思われます。木床義歯の製造は、室町時代末期と思われ、鎌倉時代には全国的に普及していたのではないかと思われます。

鎌倉時代以降には、義歯制作を専業とする『入れ歯師』が現れ、江戸時代になるとその技法は完成されました。

江戸時代、入れ歯を制作した者は、入れ歯師と呼ばれ、香具師(やし)の仲間で入れ歯を作ったものを、入れ歯渡世人と呼ばれました。明治初期になって、西洋の義歯が伝えられてからも、木床義歯が喜ばれたのですが、当時の西洋文化を至上とする風潮から価格も安く、技法がむずかしいことから、次第に姿を消していきました。

木床義歯は、床に『つげの木』が使われました。これは口の中で適合性に優れていたためです。前歯には象牙、蝋石、人や動物の歯が使われました。奥歯には金属の鋲が使われ、ひどく摩耗した鋲が見られることから、咀嚼も充分にできていたと考えられます。」

□館長「日本には縄文時代から木の文化をもっていましたが、日本固有の木で作られた義歯は、現在の義歯と比較して、審美的にも実用的にも、遜色のないものが、数百年前には完成していました。この木床義歯(木の入れ歯)は、仏師の手慰みから生まれたものではないかと考えられます」

□館長「江戸時代に義歯をしていた有名人としては、滝沢馬琴、杉田玄白、本居宣長、平賀源内らがいます。また、江戸時代の初期、遊行寺の貫首が総義歯を入れていたという記録が残っています」

 

○私「その当時は、義歯はいくらぐらいしたのでしょうか」

□館長「1831(天保2)94日の馬琴日記によれば、上下の入れ歯の代金が一両三分(1.75)だったと記してあります」

○私「当時としても、かなり高額なものだったと思われるわけですが、上古の時代、義歯を入れていた人とは、どういう人だったのでしょうか」

□館長「江戸時代でも義歯は、かなり高価なものだったようなので、一般庶民が義歯を入れていたとは考えにくいですね。ただし、滝沢馬琴、杉田玄白、本居宣長、平賀源内らが義歯を入れていたということなので、医師、医学関係者、公家、武家、僧侶は義歯を入れていたと考えられます。」

歯の博物館2 

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歯の博物館(4)~神奈川県歯科医師会・歯の博物館・大野館長との質疑応答記3

■歯の博物館4(歯の博物館・大野館長との質疑応答記3)

 

○私「歯磨きをするときの歯磨き粉は、いつごろからあるのでしょうか」

□館長「歯磨き粉の製法は、特別な技術とか熟練を必要としないため、自家用として色々と工夫されて造られてきていますが、その起源は明らかではありません。

古代中国では、二十日鼠の骨が愛用され、エジプトでは紀元前1500年ころから、粉歯磨、練歯磨があり、緑青、粘土、乳香等が使われました。

日本で歯磨き粉が商品として量産されるようになったのは、江戸時代に入ってからです。その中で一般的だったものは、房州砂に香料を加えたものでした。麝香(じゃこう)と樟脳を混ぜたものは「麝香歯磨」と呼ばれ、その他、竜脳、肉桂、乳香、没薬等も用いられました。

明治になると、日本古来の材料にかわって、炭酸カルシウムや炭酸マグネシウムが原料として用いられました。そして明治21年、資生堂がはじめて練歯磨を発表しました。大正から昭和にかけては、日本の歯磨きの中国市場への進出はめざましく、中国大陸のいたるところで、獅子印歯磨(ライオン)と仁丹の広告が見られました。昭和20年以降は、葉緑素やフッ素入りのものが登場し、昭和30年ころには、粉末の歯磨き粉はほとんど姿を消しました。また、自家製の歯磨き粉としては、塩や米糠を煎ったものが長く用いられました」

 

○私「歯科治療をする歯医者さんとは、いつごろからいるのでしょうか」

□館長「日本の医学はすでに応神天皇の時代からあり、仏教の伝来と中国・朝鮮から日本に渡来する人が医学を伝えており、医者の祖というべき丹波康頼も、この一人でした。

日本の医療衛生が体系を整えたのは、大宝律令の制定からで、医学は大療科(内科)、創腫科(外科)、少小科(小児科)、耳目口歯科の四つでした。養老2(718)の養老律令の四つの医博士のひとつに、耳目口歯科があります。これが日本の歯科治療のはじめと言われています。

丹波康頼は日本ではじめて医学書である「医心方」(いしんぽう)を著し、永観2(984)に、朝廷に奉献しています。江戸時代の官職としての口科医には、禁裏付と幕府の二つがあり、民間では口腔疾患のみ扱う医師を口中医。入れ歯を造る医師を「はいしゃ」と呼んだのです。

 

○私「上古の時代の歯科治療とは、どういう治療を行っていたのでしょうか」

□館長「縄文時代晩期の人骨からは、若いときに歯を抜いた頭骨が発見されています。これには一定の形式が見られ、医療目的ではなく、成人、結婚、喪、迷信、罰といったことが考えられ、こうした習俗は現在も世界各地に残っています。

又、この時代には前歯に刻みを入れたり、唇面に縦に溝をつける研歯という習俗も見られます。この縄文時代の研歯は、中米の原住民にも見られました。」

神奈川県歯科医師会1 

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歯の博物館(3)~神奈川県歯科医師会・歯の博物館・大野館長との質疑応答記2

■歯の博物館3(歯の博物館・大野館長との質疑応答記2)

 

○私「歯磨きをしないと歯周病になる、ということですが、人はいつごろから歯磨きをしているのでしょうか」

□館長「歯磨きは、インドではじまりました。釈迦は僧侶が読経する前に手を洗い、歯木で歯を清掃するよう習慣づけるように指導しました。これは弟子の僧侶の口臭がひどいため、釈迦が戒律として歯を磨くように指導したのです。

釈迦は、歯磨きは、1.口気臭わず、2.味覚がよく、3.熱が消え、4.食が進み、5.眼がよくなる、と五つの利点があると説いたのです。

唐の僧侶・義浄三蔵は、インドで修行して中国に帰り、歯木で歯を清掃する習慣を伝えました。インドでは熱帯性植物『ニーム』という木を使っていましたが、中国には『ニーム』がないため、楊柳が使われて、これが楊枝と呼ばれるようになりました。

中国から朝鮮を経て、552年に日本に仏教が伝来し、釈迦の時代の古法に習って、爵楊枝が日本に紹介されました。歯を磨く習慣が一般庶民にまで普及したのは、17世紀、江戸時代以降のことです。

しかし上古の時代の歯磨きは、歯を清掃するというよりも、身を清めるという意味が強かったのです。だから、昔は、朝に歯を磨いたのです。仏教・曹洞宗では、僧侶の灌頂の儀式の時に、歯木を噛む儀式が残っていますが、これも身を清めるという意味のものです。

口腔衛生上、歯磨きをするという意味で、食後に歯磨きをするようになったのは、明治時代に西洋歯科医療が日本に伝来して以降のことです。」

○私「そうですか。私は子どものころ、両親に朝に歯を磨くように教わりましたですねえ。実家では、私の子どもの頃は、全員が朝方に、歯磨きをしていました」

 

○私「昔の人は、どんな歯ブラシを使って、歯磨きをしていたのでしょうか」

□館長「『好色の家にて口中をたしなむ事、最も業なり。外を繕ひたるも口中無沙汰ならば、色を好むと云い難かるべし』(色道大監)とあるように、江戸時代の中期、安永、明和年間には口臭が問題とされ、歯磨きやうがいが流行ました。食後にお茶を飲み、楊枝を使うようになったのは、このころからです。

楊枝は古代インドより中国を経て、仏教とともに日本に伝えられたというのが、定説になっています。インドでは楊枝は歯木と呼ばれ、その一端をかみ砕いて房状としたもので、水とともに仏教の宗教的儀式に用いられました。『楊枝』は日本では楊、すなわち柳の枝を意味しますが、インドでは菩提樹を用いました。インドの菩提樹は、桑科の常緑樹で、日本で云う菩提樹とは異なります。

房楊枝には色々な種類があり、『はようじ』は黒もじの黒い皮がついたものを用い、打楊枝はのちの房楊枝です。房楊枝が一般的に使われるようになったのは、江戸時代からのことで、種類も豊富になりました。女性用は柳でつくったもの。男性用は肝木の房楊枝とよばれ、穂先をつぶしたもので、柳に比べたら硬いものでした。女性用の房楊枝が柔らかかったのは、『お歯黒』を落とさないためと思われます。」

歯の博物館2 

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歯の博物館(2)~神奈川県歯科医師会・歯の博物館・大野館長との質疑応答記1

■歯の博物館2(歯の博物館・大野館長との質疑応答記1)

 

以下は、神奈川県歯科医師会・歯の博物館においての、大野館長および事務局の方の総合的な見解と言うことで、お酌み取りいただけたらと思う。

 

○私「『日蓮の歯』ないしは『肉牙』と称するものが、関東・東海など東日本各地の日蓮宗寺院や大石寺に格蔵されていると伝承されています。つまり日蓮在世中に、日蓮の歯が抜け落ちた、との伝承です。これが真実だとすると、なぜ日蓮の歯が抜け落ちたと考えられますか」

□館長「歯が抜け落ちる原因は(1)虫歯(2)激しい運動や事故などによる衝撃(3)歯周病が考えられます。歯周病は、ずいぶん昔からの古文書に出てきていまして、古くは『歯がくさい』という意味で、『歯くさ』と呼ばれていました。この『歯くさ』が今の歯周病だと考えられています。

平安時代末期から鎌倉時代初期の『病草子』という文献には、『口くさき女』『歯槽膿漏の男』の絵が出てきます。源頼朝、松尾芭蕉、小林一茶、山頭火らは歯周病だったと考えられています」

○私「日蓮に関しては、激しい運動や事故などによる衝撃による歯の脱落は、考えにくいですね。」

□館長「日蓮の抜けた歯が存在するということは、日蓮は歯周病だった可能性が高いですね」

○私「歯周病の原因とは、何なのでしょうか」

□館長「ひとつは歯周病菌です。もちろん、歯を磨かないと歯周病になりやすいのですが、朝しか歯を磨かないと歯周病に、なりやすいですね。二つ目としては、栄養不足です。栄養不足の人は、歯周病になりやすいですね」

「あとは、歯みがきの問題があります。歯磨きの歴史は古く、すでに釈迦の時代から弟子の僧侶は歯磨きをしていました。釈迦は僧侶が読経の前に手を洗って、歯木で歯を清掃するように指導していました。これは弟子の僧侶の口臭がひどいため、釈迦が戒律として、歯を磨くことをすすめたのです。

唐の僧侶・義浄三蔵は、インドで仏教の修行をして中国に帰り、歯木で歯を清掃する習慣を伝えました。インドでは熱帯性植物『ニーム』という木を使っていましたが、中国には『ニーム』がないため、楊柳が使われて、これが楊枝と呼ばれるようになりました。中国から朝鮮を経て、552年に日本に仏教が伝来し、釈迦の時代の古法に習って、爵楊枝が日本に紹介されました。歯を磨く習慣が一般庶民にまで普及したのは、17世紀、江戸時代以降のことですが、それ以前は、僧侶は歯磨きをしていました。それから考えると、日蓮も歯磨きはしていたと考えられます。

ただし、当時は今のように食後に歯磨きをするのではなく、朝方に歯磨きをしていました。食後に歯磨きをするようになったのは、西洋歯科医療が日本に入ってきてからのことで、これは歯科衛生上、食後に磨くようになったのです。それ以前の時代は、歯科衛生上の理由ではなく、朝に歯磨きをして『身を清める』という意味があったのです。今でも僧侶の灌頂の儀式の時に、歯を磨く習慣が残っている宗派があります。ただし、朝の歯磨きだけでは歯周病になる可能性は高いですね。」

歯の博物館2 

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歯の博物館(1)~日蓮肉牙の謎を追って神奈川県歯科医師会・歯の博物館を訪ねる

■歯の博物館1(日蓮肉牙の謎を追って歯の博物館を訪ねる)

 

仏教の中に、仏歯牙信仰ないしは仏教各宗派の宗祖の歯骨信仰がある。鎌倉・円覚寺や名古屋・日泰寺には仏舎利が格蔵されていると伝承され、日蓮宗における日蓮の歯骨信仰、浄土真宗でも親鸞の歯骨信仰がある。「アンチ日蓮正宗」では、大石寺が格蔵する自称「御肉牙」が、本当に日蓮の歯なのかどうかの検証も行った。

歯牙、肉牙と科学・医学の関係を解明していくならば、歯の歴史、歯科治療の歴史、ないしは歯科治療の専門知識がある程度、必要になる。そこで私は、神奈川県横浜市の旧市街地・馬車道にある神奈川県歯科医師会・歯の博物館を訪問した。

歯の博物館は、神奈川県歯科医師会が運営する神奈川県歯科保健総合センターの中にある。神奈川県は、日本における西洋歯科治療発祥の地ということで、医科医療センターの前には記念碑が建てられている。ここは、昭和 62 1987 )年、神奈川県歯科保健総合センター(神奈川県歯科医師会館)の竣工と同時に歯の博物館がオープンしたというから、かれこれ25年以上の歴史があることになる。

私も、日蓮の歯骨、仏舎利等々の研究を進めていく上で、どうしても歯に関する専門知識が必要になり、近隣の歯科医で話を聞いたりしたのだったが、こういう形で専門知識を得るには、限界があった。そこでいろいろと探したところ、ようやくこの「歯の博物館」を見つけたという次第。

世間一般では、国立・公立の博物館、私立の博物館など、さまざまな博物館、資料館、美術館等があるが、一般的には、どこも開館時間内であれば、自由に入って見学できるし、学芸員に意見を聞くこともできる。

ところが「歯の博物館」は、完全予約制。まずは、神奈川県歯科医師会事務局に、いったん見学の予約をしなくてはならない。そして指定された日時に、まず神奈川県歯科医師会事務局に顔を出して事務局の人といっしょに「歯の博物館」の中に入る。普段は、「歯の博物館」の中はカギがかかって閉められており、事務局の人といっしょではないと、中には入れないという次第。

「歯の博物館」の中に陳列されている資料は、ほとんどがはじめて見聞するものばかりで、どれもこれも専門的なものばかり。どうしても専門的な解説が聞きたいところだが、「歯の博物館」の解説は、大野粛英館長が自ら行ってくれる。事務局の人でも、ある程度までは解説してくれるが、専門知識の質疑応答ということになると、「そういう話しは館長にしてください」となる。

「歯の博物館」館長は、博物館に常勤しているわけではなく、歯科医の先生であるので、普段は歯科治療をしている。そういうわけで、「歯の博物館」で館長の解説を受けるためには、これも予約が必要。これは見学者の予定、館長の予定の両方を調整しなければならないため、事務局が間に入って日程を調整する。そして、決まった日時に「歯の博物館」に行くというスケジュールになる。

神奈川県歯科医師会1 

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