■歯の博物館5(歯の博物館・大野館長との質疑応答記4)
○私「入れ歯(義歯)とは、いつごろから、あるのでしょうか」
□館長「現在までに発見された最古の木床義歯は、1538年に74才で没した、和歌山県願成寺の仏姫(尼さん)の上顎の総義歯です。これは技術的に完成されており、こうした義歯制作の技術の発生は、それよりも相当以前のものと思われます。木床義歯の製造は、室町時代末期と思われ、鎌倉時代には全国的に普及していたのではないかと思われます。
鎌倉時代以降には、義歯制作を専業とする『入れ歯師』が現れ、江戸時代になるとその技法は完成されました。
江戸時代、入れ歯を制作した者は、入れ歯師と呼ばれ、香具師(やし)の仲間で入れ歯を作ったものを、入れ歯渡世人と呼ばれました。明治初期になって、西洋の義歯が伝えられてからも、木床義歯が喜ばれたのですが、当時の西洋文化を至上とする風潮から価格も安く、技法がむずかしいことから、次第に姿を消していきました。
木床義歯は、床に『つげの木』が使われました。これは口の中で適合性に優れていたためです。前歯には象牙、蝋石、人や動物の歯が使われました。奥歯には金属の鋲が使われ、ひどく摩耗した鋲が見られることから、咀嚼も充分にできていたと考えられます。」
□館長「日本には縄文時代から木の文化をもっていましたが、日本固有の木で作られた義歯は、現在の義歯と比較して、審美的にも実用的にも、遜色のないものが、数百年前には完成していました。この木床義歯(木の入れ歯)は、仏師の手慰みから生まれたものではないかと考えられます」
□館長「江戸時代に義歯をしていた有名人としては、滝沢馬琴、杉田玄白、本居宣長、平賀源内らがいます。また、江戸時代の初期、遊行寺の貫首が総義歯を入れていたという記録が残っています」
○私「その当時は、義歯はいくらぐらいしたのでしょうか」
□館長「1831(天保2)年9月4日の馬琴日記によれば、上下の入れ歯の代金が一両三分(1.75両)だったと記してあります」
○私「当時としても、かなり高額なものだったと思われるわけですが、上古の時代、義歯を入れていた人とは、どういう人だったのでしょうか」
□館長「江戸時代でも義歯は、かなり高価なものだったようなので、一般庶民が義歯を入れていたとは考えにくいですね。ただし、滝沢馬琴、杉田玄白、本居宣長、平賀源内らが義歯を入れていたということなので、医師、医学関係者、公家、武家、僧侶は義歯を入れていたと考えられます。」
続きを読む