仏教宗学研究会のブログ

「仏教宗学研究会」とは会の名称。「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

「仏教宗学研究会」とは「アンチ日蓮正宗」管理人が設立した会の名称。この会の中で、「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。富士門流執着軍団批判は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄だが、「日蓮正宗系」以外の富士門流寺院の調査・研究は「仏教宗学研究会のブログ」の管轄。
「仏教宗学研究会」への誹謗中傷に対する反撃・糾弾は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
さらに正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」の公式サイト「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」から、カルト宗教対策、カルト宗教取締特別立法、カルト宗教拡散防止条約制定の活動部分を独立させたものが「国際カルト宗教対策委員会(Icat-Cult)」

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2013年06月

福井・永平寺(6)~日蓮正宗・富士門流の板本尊は曹洞宗・寺位牌・板位牌のパクリである

■福井・永平寺6(日蓮正宗・富士門流の板本尊は曹洞宗・寺位牌・板位牌のパクリ)

 

永平寺には、もうひとつの見所がある。それは寺位牌、板位牌等の「位牌」である。

位牌は、もともと禅宗が中国から日本に伝承せしめたものというのが定説。曹洞宗はもともと曹洞宗(そうとうしゅう)は、中国の禅宗五家(曹洞、臨済、潙仰、雲門、法眼)の一派で、道元禅師が中国から日本に伝えた宗派である。日本においては禅宗(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗・普化宗)の1つである。だから道元禅師は、日本曹洞宗の宗祖とは言えるが、曹洞宗そのものの宗祖ではない。

さてその永平寺の寺位牌、板位牌等の「位牌」なのだが、日蓮正宗や富士門流の板曼荼羅本尊に実によく似ているのである。位牌というと、個人宅の仏壇に祀られている小型の位牌を連想してしまいがちだが、永平寺にある「位牌」は、そんな小型位牌ではない。もっと大型の寺位牌である。

まず永平寺の法堂に巨大な寺位牌が祀られている。永平寺の見解によれば、法堂が仏教寺院の本堂に該当する堂宇ということだが、その法堂の本尊と向かい合う形で、大きな祭壇が設けられて寺位牌が祀られている。この寺位牌の前に、一般家庭の仏壇でも見かける小型の位牌が祀られている。

永平寺42法堂板位牌 





















この永平寺の寺位牌が、日蓮正宗や富士門流寺院で見かける板曼荼羅本尊に実によく似ている。もちろん永平寺にあるのは寺位牌だから、日蓮の曼荼羅は図顕されていないが、寺位牌の形そのものが、富士門流の板本尊に似ているのである。

48世日量・天保11年4月8日板本尊 

さらに永平寺には位牌堂があり、ここにも寺位牌が祀られている他、おびただしい数の板位牌が収蔵されている。永平寺の位牌堂は「祠堂殿」とよばれている。祠堂殿とは全国各地の末寺寺院による壇信徒の入牌、納骨をする堂宇。特別志納の人による全国各地の位牌が祀られ、追善供養の法要も営まれる。

祠堂殿の中には、二体の寺位牌が祀られていて、これは法堂の寺位牌とほぼ同じ。巨大な寺位牌の形は、日蓮正宗、富士門流寺院の板本尊によく似ている。

永平寺63位牌堂寺位牌


永平寺64位牌堂板位牌

永平寺66位牌堂板位牌 









































それと祠堂殿(位牌堂)の中には、所狭しと板位牌が収蔵されている。

寺位牌も板位牌も、黒漆塗りの金文字。板位牌のほうは寺位牌に比べて、やや小さいが、それでも形は、日蓮正宗や富士門流寺院にある板曼荼羅本尊にそっくりである。

永平寺の板位牌には、もちろん曼荼羅は書いていないが、板位牌の表面に曼荼羅を書けば、そっくりそのまま日蓮正宗や富士門流寺院にある板曼荼羅本尊に早変わりしてしまうくらい。

永平寺の板位牌は、祠堂殿(位牌堂)のみならず、道元禅師の霊骨を祀る承陽殿にもある。

 

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福井・永平寺(5)~日本曹洞宗の宗祖・道元禅師の真廟がある永平寺承陽殿

■福井・永平寺5(道元禅師の真廟がある永平寺承陽殿)

 

曹洞宗大本山永平寺には、日本曹洞宗宗祖で永平寺開祖である道元禅師の霊骨が格蔵・祀られている。道元禅師の霊骨が祀られている堂宇は承陽殿という名の堂宇。承陽殿の名は道元禅師が明治天皇より下賜された「承陽大師」号。そして明治天皇より下賜された「承陽」の勅額に由来する。「承陽」の勅額は承陽殿の拝殿に掲げられている。

承陽殿に隣接している孤雲閣は、道元禅師に給仕した永平寺2世孤雲懐弉禅師に由来する。孤雲懐弉禅師は、道元禅師の生前、滅後にわたって側に在って給仕孝順を尽くした。それにちなんで、孤雲閣は、道元禅師真廟に奉仕する修行僧の詰め所になっている。孤雲閣には僧侶が常勤し、未来永世にわたって道元禅師に給仕する姿をあらわしている。

そういえば身延山久遠寺に日蓮の真骨堂があるが、久遠寺法主をはじめ、日蓮宗僧俗が常に日蓮に給仕奉仕する意味があるという。

仏教各宗派の宗祖の真廟・正墓は、宗派にとって最も大切な所であり、各宗派とも宗祖に未来永世にわたって給仕奉仕する意味を持たせているのは、至極当然のことと思う。法然の真廟は京都知恩院の他、数十ヶ寺にあり、親鸞の真廟は西大谷、東大谷、浄興寺等にある。栄西の真廟は建仁寺にあり、日蓮の真廟は身延山久遠寺の他、鎌倉本覚寺、京都妙伝寺等にある。伝教大師最澄の真廟は比叡山延暦寺にあり、弘法大師空海の真廟は高野山にある。

それぞれの仏教各宗派の総本山、祖山といわれる寺院に真廟がある。

永平寺承陽殿は、宗祖・道元禅師の真骨を祀る真廟。明治14(1881)に改築された。

正面壇上奥に道元禅師、永平寺2世孤雲懐弉禅師の像と霊骨を奉安する。さらに永平寺3世、4世、5世ならびに宝山禅師の像を祀っている。承陽殿内には、本山歴代禅師、宗門寺院住職の位牌が祀られている。

 

さて承陽殿下段右側には「玄明首座」という位牌が祀られている。

1247(宝治1)83日、道元は鎌倉に下向し、北条時頼に菩薩戒を授け俗弟子のために説法した。北条時頼は寺院を建立して道元を招請したが、これを辞退。さらに北条時頼は、越前国に2000石の寺領を寄進したが、道元はこれも辞退した。道元に随行した玄明首座は、この寄進状の使いにあてられ、永平寺に帰って自分の売名を大衆僧俗に得意になって語ったという。

これを聞いた道元は、玄明首座の態度を罰し、堂内より擯出し、玄明首座の座禅をしていた僧堂の縁を切り取り、土台の土七尺も掘って捨てたという。

1902(明治35)5月、道元禅師650遠忌に明治天皇より「承陽」の勅額が下賜され、道元650遠忌大法要に出仕した高僧10名が発願して時の永平寺貫首・森田悟由禅師に玄明首座の恩赦を請願。森田悟由禅師が玄明首座に代わって道元禅師真前にて大展懺悔を行った。

これで何と650年ぶりに玄明首座の破門追放が赦免されることになった。

承陽殿に祀られている位牌の裏には、その由来が書かれているという。滅後650年において、後世の貫首によって破門が許されたというのも、珍しいケースであると同時に、注目に値すると思われる。この逸話から、道元禅師という人が、かなり厳格な人柄だったことが窺える。

永平寺52承陽殿 

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福井・永平寺(4)~「なぜ仏教寺院で厳しい修行・難行苦行が行われているのか」について

■福井・永平寺4(なぜ仏教寺院で厳しい修行が行われているのか)

 

仏教界の厳しい修行と言うと、永平寺の修行、比叡山延暦寺の千日参篭、中山法華経寺の百日大荒行とかが話題に上る。この他にも厳しい修行を行っている宗派や寺院があると思う。

私は子どもの頃から、僧侶が身近にいて、「僧侶は厳しい修行をしている」と聞かされた。だから、私は、「僧侶は厳しい修行をしているものなのだ」と、当たり前のように思っていた。

ただし、私の身近にいたのは、永平寺の僧侶ではなく、浄土真宗大谷派(東本願寺)の僧侶。

私は小学生の頃、習字を習っていたが、その習字の先生が真宗大谷派の地元寺院A寺住職。私の祖父の通夜・葬儀が行われたのが、真宗大谷派の地元寺院B寺。葬儀の導師を勤めたのが、金沢市内にある真宗大谷派の寺院C寺住職。さらに毎月1回、実家には真宗大谷派の地元寺院D寺住職がお経をあげに来ていた。そのD寺住職は、私が通っていた中学校の社会科担任教師で教頭だった。高校の社会科教師にも、真宗大谷派の寺院住職がいた。

ただし、永平寺や中山法華経寺と真宗大谷派を比較すると、修行の厳しさが全然違うことを、大谷派住職自らが認めている。真宗大谷派も僧侶は本山に登り、数年間、宗門指定の大学に通って教師になるが、千日の参篭も百日の荒行もない。

北陸地方には真宗大谷派門徒が圧倒的に多く、寺院も無数にたくさんあるが、ほとんどが檀家寺。寺院行事とは言っても、7月のお説教会と11月の報恩講ぐらい。住職も学校の先生兼業で行っている人がかなりいる。私の父ですら「あれじゃあ、門徒は減る一方だろうなあ」と言っているほど。

大谷派住職自身が「昔は南無阿弥陀仏だけでよかったんですが、今はそれだけじゃダメなんですよ」と言っており、いろいろな人の心の悩み事相談に応じる活動等を行っているという。

しかし永平寺や中山法華経寺の厳しい修行・苦行はない。もともと法然・親鸞の教えは「南無阿弥陀仏を唱えれば、どんな悪人でも極楽往生できる」という易行の宗旨だからではないだろうか。

だから私が子どもの頃に聞いた、僧侶の厳しい修行とは、永平寺の修行のことを指していたと思われる。

 

そうすると厳しい仏道修行・難行苦行とは縁遠い世間一般人から見ると

「なぜこんなに厳しい修行をしなければならないのか」「なぜここまで、しなければならないのか」

という疑問が沸く。

永平寺吉祥閣で放映されていたビデオ「永平寺の日々」を観ていたら、永平寺の修行を卒業して下山する若い僧侶が口々に「自分を見つめ直すことができた」「○○ができる人間になった」と言っていた。確かに現代社会では、「自分を見つめ直す」とか「人格を鍛え直す」機会は皆無でしょうね。世間のへそ曲がりな人たちや独善的で心根の曲がった人たちの人格を鍛え直すことができるなら、こういう永平寺の厳しい修行の場に入れてしまうのも一策ではなかろうかと思う。あの「富士門流執着軍団」のへそ曲がりな人たちも、永平寺の厳しい修行によって、少しはまともな人に蘇生できるのではないだろうか。

だから私は、仏教寺院で厳しい修行・難行苦行を行うこと自体、不要とは思わないし、ムダな事とも思わない。心根のねじ曲がった人が、マイナス6度の厳寒の中で、蘇生できたら、こんな結構な話はないではないかと思う。

永平寺21勅使門 

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福井・永平寺(3)~日本仏教界でも厳しい修行を行っていることで有名な永平寺

■福井・永平寺3(厳しい修行で有名な永平寺)

 

永平寺吉祥閣の大講堂のモニターテレビで、「永平寺の日々」と題するビデオが連続して放映されている。これはかつて地元福井県のテレビ局・福井テレビが放映したテレビ番組をそのまま録画・ビデオ放映しているもの。吉祥閣の売店カウンターでも、「永平寺の日々」のビデオが販売されていました。

私はこのビデオ映像を何度も見たのですが、永平寺雲水(修行僧)の修行の過酷さが伝わってきます。あたかも自分が修行僧になったかのように、ビデオ映像の世界に、思わず吸い込まれてしまいそうになってしまいます。かなり過酷な修行のようですね。

吉祥閣の待合ロビーにても、かつて福井テレビが永平寺の僧侶の日々をとりあげた番組の録画映像が放映されています。こちらは永平寺大庫院の厨房で、修行僧の食事を作る僧侶を追った映像。こちらの修行も、大変厳しい修行のようです。

福井テレビは、何度も永平寺の修行をとりあげた番組を放映しているようです。

永平寺は、白山の福井県側の山麓にあり、冬はかなり寒い。2月に永平寺に行ったとき、午前6時の気温がマイナス6度。午前9時の気温がマイナス3度。吐く息は真っ白で、境内に積もっている雪がカチカチに凍っていた。この厳寒の永平寺で、若い雲水(修行僧)200人前後、修行している。永平寺に行くと、修行僧がたくさん見かけるが、ほとんどが若い修行僧。年配の修行僧は、見たことがない。しかし年配の人が、こんな厳寒の寺院で修行すると、かなり危険な気がします。

永平寺の修行が厳しいと言われているのは、冬の厳しい寒さの中で修行していることが挙げられるのではないだろうか。

さて永平寺境内を見学して歩いていると、あっちこっちから若い修行僧の元気のいい声が聞こえてきて、活気を感じる。修行僧と言葉を交わしても、まことに丁寧な話し方で、「さすがは、永平寺で修行を重ねている僧侶だな」と思う。

永平寺の厳しい修行は、曹洞宗のみならず、仏教各宗派の僧侶の間でも、かなり有名な様子。私も、地元で浄土真宗大谷派の寺院住職に、永平寺について尋ねてみたところ、永平寺の修行の厳しさは、北陸地方でも有名だそうです。その住職の話しによれば、「若い僧侶が永平寺で修業するために、永平寺の門をくぐって入門しても、修行僧の約半分は、あまりの修行の辛さに、逃げ出してしまう」とのこと。もちろん、永平寺の修行を卒業しないと、住職にはなれないという。

その大谷派寺院住職の知人に永平寺の修行を卒業した曹洞宗僧侶が居て、今はベンツに乗っている、と言っている大谷派寺院住職。

永平寺の修行の厳しさは、日本の仏教界でも、上から数えて指折りのランキングの中に入るくらい厳しいとのこと。仏教界で厳しい修行で有名なのは、比叡山延暦寺の千日参篭、中山法華経寺の百日大荒行が有名ですが、「それじゃあ、永平寺の修行は、日本の仏教界で一番厳しいのでしょうか」と尋ねると、「そうではない」という。

永平寺5

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福井・永平寺(2)~真冬にはマイナス6度まで気温が下がる厳寒の寺院・永平寺

■福井・永平寺2(真冬にはマイナス6度になる厳寒の永平寺)

 

永平寺は道元禅師の開山で1244(寛元2)年の創建。1372(応安5)年に北朝の後円融天皇から「日本曹洞第一道場」との勅額を受けた。1539(天文8)年、後奈良天皇より「日本曹洞第一出世道場」の追認を受けている。

しかし1574(天正2)年に一向一揆の攻撃で全焼。現在の七堂伽藍は、江戸時代中期に再建されたもの。曹洞宗は全国に15000ヶ寺の末寺、800万の壇信徒がおり、永平寺では約150人もの雲水(修行僧)が修行している。

曹洞宗大本山永平寺は、北陸地方では宗派を超えて有名な寺院であり、修学旅行のコースにも入っている。私も小学校だか中学校だか忘れたが、修学旅行でここに来た記憶がある。北陸地方は、室町・戦国時代以降、圧倒的に浄土真宗が多い地域なのだが、北陸地方の人は、一度は永平寺に参拝しているのではないだろうか。それくらい有名な寺院であり、参拝客が多い寺院である。

私も修学旅行は別にして、何度か永平寺に参拝に来ている。独自に寺跡調査に来ているし、2010年には、あの当時、76才だった父親と二人で永平寺に参拝している。20132月にも、厳寒の永平寺に参拝して、寺跡調査を行った。あの時は、早朝、私の実家から車で行ったのでしたが、永平寺に到着したときの気温は、マイナス6度でした。私は普段、東京に住んでいるのですが、東京は真冬でもマイナス6度まで気温が下がるというのは、あり得ません。真冬の一番寒いときでも、気温0度か、下がってもマイナス1度か2度くらい。だから、永平寺の外気温マイナス6度というのは、かなりこたえました。積もっている雪が凍っていましたから。

 

永平寺に参拝する時は、窓口で参拝券を買って吉祥閣という大きな接待堂宇に入って行く。永平寺発刊の正式文献「永平寺」によれば、吉祥閣は、地下一階、地上四階の鉄筋コンクリート造りで冷暖房付きの近代建築。数十億円の巨費を投じて昭和46(1971)春に完成。一階は総受付と売店、ロビー、応接間、伝道部の勧化室がある。伝道部の勧化室で一般参拝者は、係の僧侶から永平寺の概要を聞いて、その後、拝観に出る。

2010年冬に父親と参拝したときに、これがありました。ただし、単独で参拝したときは、これがなかったこともあり、いつもこれを行っているようではない。人数がある程度、集まって行われるようである。

永平寺21勅使門 

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