一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ

「一般社団法人 仏教宗学研究会」とは任意団体として2005年から活動している会の名称。2018年5月に一般社団法人登記。当ブログ名を「仏教宗学研究会のブログ」から「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」に改名。 「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「一般社団法人 仏教宗学研究会・公式ブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

2013年07月

ご相談やご意見等で、「仏教宗学研究会」管理人のもとに、お電話をいただくことがございます。

管理人は、極力、電話に出るように致しておりますが、どうしても電話に出ることができないことがございます。その理由としましては

1 自動車の運転中の時

2 電車、バス、航空機に乗っている時

3 仕事中の時

4 携帯電話の感度不良の場所にいるとき(山間部、地下、トンネル内、高層ビル、病院、スタジオ、携帯電波を遮断する設備がある所等…)

5 入浴中の時

6 就寝中の時

あとは、セックスしている時でしょうか()

こういったようなことが、あります。ごく一般的な理由かと思います。

夜は22時すぎには、寝てしまうことがよくあります。というわけで、お電話はなるべく夜22時以前の時間帯にお願い致します。

私も20代、30代のころは、深夜の24時すぎまで、よく起きていましたが、今はもう若くありませんので、どうかご了承をお願いします。

 

それと下記のケースは、管理人あてにお電話をいただいても、電話はつながりません。

1 電話番号非通知 □2 公衆電話 □3 電話番号通知不可能

 

これら以外のケースでは、極力、電話に出るように致しております。

尚、ご相談に関しましては、基本的にお電話のみの受付とさせていただいております。メール等でのご相談は受け付けておりません。

電話番号は、今回、facebookページ「仏教宗学研究会」にも載せておきました。

facebookページ「仏教宗学研究会」

https://www.facebook.com/bukkyoushugakukenkyukai

090-8104-2605

よろしくお願い申し上げます。

親鸞2 

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■総持寺祖院2(総持寺祖院にもあった富士門流板本尊の原型・曹洞宗の寺位牌・板位牌)

 

□総持寺祖院にもあった日蓮正宗・富士門流板本尊の原型・曹洞宗の寺位牌・板位牌

 

さて曹洞宗大本山永平寺に行ったとき、永平寺の位牌堂である「祠堂殿」の中に入って、その中にある曹洞宗の寺位牌・板位牌を実見。これらの寺位牌・板位牌が日蓮正宗、富士門流寺院の板本尊によく似ている、ということを書いた。この寺位牌・板位牌は、祠堂殿のみならず、法堂や承陽殿にも多数あった。

元々、位牌というものが、禅宗が中国から日本に伝来せしめたものである故か、曹洞宗寺院の位牌堂に入ると、板位牌や寺位牌が多数収蔵されているのを見かけるわけだが、あまりにも形が日蓮正宗や富士門流寺院にある板曼荼羅本尊に似ていることから、日蓮正宗系・富士門流系の板曼荼羅本尊は、禅宗の寺位牌、板位牌のパクリであろうと考えられる、かつて結論づけた。

つまり何らかの形で日蓮宗系、富士門流系の僧侶が曹洞宗の板位牌、寺位牌を知り、表面に曼荼羅を書いた板曼荼羅本尊を造立したものと考えられるわけである。

それではもうひとつの曹洞宗大本山総持寺の位牌はどうなのか、ということになる。

総持寺の場合は、元々は石川県能登にあったのだが、1898年(明治31年)の火災。1911年(明治44年) 現在地の鶴見に移転した。それで元の能登のほうは総持寺祖院となった。

であるから、明治の移転以前の歴代貫首の位牌、鎌倉、室町、戦国、江戸期といった上古の昔の時代の位牌は、鶴見の総持寺ではなく、能登の総持寺祖院にあると考えられたため、能登の総持寺祖院のほうを見学に行きました。

総持寺祖院の法堂にも、位牌を祀る位牌堂がある。そこには数多くの位牌が祀られている。ここで一番大きな位牌は、特別に祀られている総持寺歴代貫首の位牌。歴代貫首の板位牌は、ひときわ大きい。形としては、まさに日蓮正宗や冨士門流の板曼荼羅本尊にそっくりである。

総持寺祖院の位牌堂は、法堂と隣り合わせになっていて、数多くの大きな位牌が祀られ、その位牌にむかって導師席が設定されている。

総持寺祖院での見学でも、永平寺で見学したときのように、曹洞宗の寺位牌・板位牌は形としては、まさに日蓮正宗や冨士門流の板曼荼羅本尊にそっくりである。よって結論としては、日蓮正宗系・富士門流系の板曼荼羅本尊は、曹洞宗の寺位牌、板位牌のパクリであろうことは変わりないと考えられる。

もちろん道元禅師は、鎌倉時代においてすでに鎌倉に下向して北条時頼に授戒し説法しているので、すでに鎌倉時代から曹洞宗の寺位牌、板位牌は鎌倉地方に伝来していたと考えられる。曹洞宗のほうが先に寺位牌、板位牌を伝承せしめているわけだから、パクリをしたのは日蓮正宗や冨士門流のほうであることは明らかである。

位牌堂1総持寺祖院

総持寺1等身位牌1

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■総持寺祖院1(明治31年まで総持寺祖院の場所にあった大本山総持寺)

 

□元々は明治31年までは現在の総持寺祖院の場所にあった曹洞宗大本山総持寺

 

曹洞宗大本山総持寺は、現在は神奈川県横浜市鶴見区にあるが、元々は石川県能登にあったのだが、明治時代に総持寺が能登から鶴見に移転。その能登の総持寺旧跡が総持寺祖院となった。もちろん曹洞宗大本山としての機能も総て、現在は鶴見の総持寺にある。

なぜ能登から鶴見に移転したのかというと、元は1898年(明治31年)の火災。1911年(明治44年) 現在地の鶴見に移転した。私は能登の総持寺祖院も鶴見の総持寺も両方参詣しているが、鶴見のほうが境内が広大で約50haくらいあるという。しかも鶴見の総持寺は、関東平野にありJR鶴見駅前にあるので交通の便もいい。

一方、能登の総持寺祖院のほうは、切り立った山間部にあり、ここへ参詣する交通の便も極めて悪い。現在でも石川県の県都・金沢市から総持寺祖院に行くだけで大変な時間がかかる。

そういう理由からか、総持寺祖院の周辺には、たくさんの旅館が建ち並んでいる。総持寺祖院のある所は、能登半島の山間部にあり、金沢からの特急バスが発着するバスターミナルがある輪島市中心部からも、能登空港からもかなりの距離がある。ここへの日帰りの参詣は出来ないことはないと思うが、かなりむずかしいでしょうね。せっかく総持寺祖院に参詣したのに、滞在時間がわずかになってしまう。だから旅館に泊まって一泊、ということになるでしょうね。

総持寺祖院周辺は、旅館や商店が建ち並ぶ集落になっていて、今も団体参拝等があって、参拝客は旅館に宿泊している様子。ただし本山機能が鶴見に移転してしまっているので、祖院とはいえ、見ていて何となく寂しい感じがする。

高速バスや航空機、空港機能が発達した現代においてすら、こうであるから、鎌倉、室町、戦国、安土桃山、江戸時代のころに、総持寺祖院に参詣する不便さといったら、今よりもはるかにひどかったと言えるのではないだろうか。

方や鶴見のほうは、鶴見駅前にあり、東京、横浜に行くのに交通の便は格段に良い。すでに当時は東京に遷都しており、しかも関東平野に広大な境内ということになれば、やはり本山機能は鶴見へ、ということになるのが必然だったのではないだろうか。

総持寺を能登の地に開いた開祖は、瑩山紹瑾禅師(太祖・常濟大師)。開祖の瑩山禅師(12681325)は、文永5年に越前国生まれ。8才で永平寺に上山し、永平寺3世徹通義介(12191309)について出家している。

永仁元年(1293)、義介に従って大乗寺(金沢市)に移り、正安2(1300)、日本曹洞宗の法脈を明確にした「伝光録」を著す。これは道元禅師の「正法眼蔵」とともに、曹洞宗の宗旨の根本経典とされている。

総持寺別院14 

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私、hideこと「仏教宗学研究会」管理人は、mixiGREE、ツイッター、facebookおよび「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」にて、「日蓮正宗」系団体のニセ板本尊、ニセ曼荼羅、ニセ文書、ニセ教義、ニセ墓、ニセ肉牙等の問題を追及してきておりますが、ここのところ、あっちこっちの日蓮正宗系、創価学会系、富士門流系のブログや掲示板に、ニセ「hide」が出没して、あたかも私が書き込みをしているかのように、数々の謀略工作を行っていると聞き及んでおります。

又、当「仏教宗学研究会のブログ」においても、ニセ「hide」が出没し、悪質なスパム行為を行ったことがありました。これらは、まことに悪質極まりない策略であります。

まずはっきり明言しておかなくてはならないのは、私は、インターネット上のブログや掲示板に、コメントを残すという活動は、昔も今も全く行っておりません。今後とも、そのようなことを行う予定は、一切ございません。

なぜ行わないのか。

最大の理由は、「本物」と「ニセモノ」の区別をはっきりとするためです。

インターネットのブログや掲示板というものは、まことに便利で優れた長所も多々ありますが、反面、短所もある。

それが、ブログや掲示板における投稿者名が、まさに名乗りたい放題であること。

いくらでも、ハンドルネームなど、変えることが出来るし、まさに「ニセモノ」や「なりすまし」など、やりたい放題にできること。

インターネットの技術は年々進化してきているようですが、この欠点・短所については、ほとんど改善が見られないというのは、まことに遺憾なことであります。

したがって、インターネット上の「本物」と「ニセモノ」の区別をはっきりとするため、私はインターネット上のブログや掲示板に、コメントを残すという活動は、全く行っておりません、ということです。

よって、他のブログや掲示板において、私がコメントをしたい場合は、直接、コメントを残すのではなく、自分が主宰するブログ、mixiGREEのコミュニティの掲示板、ないしは日記に引用して、コメントしております。

 

したがいまして、現在、日蓮正宗系、富士門流系のブログや掲示板に、投稿者名「hide」で、書き込みがなされているものは、全て、あたかも私が書き込みしているかのように偽装するニセ「hide」の謀略工作であると断ずるものであります。

又、私自身は、このような悪質な謀略工作を行うニセ「hide」とは全くの無関係であると、明言しておきます。

おそらく、「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」で批判されて反論不能に陥った「日蓮正宗」系・「創価学会」系の者、「富士門流」執着軍団の者による仕業ではないかと考えられます。

賢明なる皆様方には、このニセ「hide」の謀略工作に充分にご注意いただくよう、お願い申し上げます。

親鸞2 

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■中山法華経寺4(なぜ中山法華経寺で荒行が行われているのか2)

 

□納得してしまった「衆生の苦を知らない僧は衆生を救うことが出来ない」という僧侶の言葉

 

中山法華経寺の塔頭・遠寿院の荒行堂の中をのぞいて見ると、約78人の荒行僧による参拝人の祈祷が行われていました。日蓮宗では、この中山法華経寺の百日荒行を満行した僧は、伝師(でんし)(加持祈祷の師範)から秘法を受け、宗務総長より修法師として任命されるという。

荒行堂は、遠寿院の荒行堂と中山法華経寺本院となりの荒行堂のふたつがある。荒行堂には日程表が掲げられていて、荒行僧と面会日と面会日でない日が決まっている。私が中山法華経寺に参拝に行った日は、ちょうど面会日。そういうことからか、中山法華経寺大荒行堂前も、遠寿院もたくさんの人が詰めかけてきている。

面会日とは、荒行僧と寺族、檀信徒との面会が許される日。そういうわけで参詣人のための祈祷が遠寿院で行われていたということか??

遠寿院前に掲示されていた荒行の日程を見ると、午前2時半に起床し、午後11時就寝。ということは睡眠時間が3時間半しかない。1日の食事は2食で、粥食。あとは水行と読経三昧の修行。

過酷な修行ですね。この荒行の中、死亡してしまう僧が出ることもあるという。その場合は荒行満願の日を待って、荒行満願僧といっしょに荒行堂を出ると聞きました。

まさに荒行堂に入るということは「死」を覚悟して入るということ。そこまで意を決しないと、とても過酷な修行を行う荒行堂には入れないでしょう。

では、なぜここまで過酷な修行をしなければならないのか。

ある人曰く「衆生の苦を知らない僧は衆生を救うことが出来ない」という意味のことを言った人がいた。過酷な修行・難行苦行に身を投じて苦を知るのだという。私は「なるほど」と納得してしまいました。

たしかに僧侶の厳しい修行・難行苦行の苦と、一般衆生の苦は違うという意見もあるかもしれない。が、自ら苦を知ろうと厳しい修行・難行苦行に身を投じる僧を衆生は心から崇拝するのではないだろうか。ということは、難行苦行に身を投じるということは大きな徳行だということでしょう。

中山法華経寺の荒行僧は、大半が若手の僧侶。こういう厳しい修行を満願した僧侶と話をすると「やはり、どこか違うな」と思うことが多々あります。難行苦行に身を投じたたけ、徳を積んでいるということなのでしょう。

荒行2 

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■中山法華経寺3(なぜ中山法華経寺で荒行が行われているのか1)

 

□中山法華経寺塔頭遠寿院前にあった荒行堂ができた歴史的経緯を記す看板

 

中山法華経寺で有名なのは、荒行である。荒行堂は中山法華経寺本坊横と塔頭・遠寿院にある。「荒行」とは、過酷なほど厳しい修行ということだが、インターネットで調べると、中山法華経寺の荒行、比叡山延暦寺の千日参篭、インドのヨーガが世界三大荒行として出てくる。

中山法華経寺の荒行よりも比叡山延暦寺の千日参篭のほうが古いようで、源頼家の次男・公暁も千日参篭を行っていたということが1979(昭和54)年に放映されたNHK大河ドラマ「草燃える」に出てくる。岩下志麻演じる北条政子が「どうしてそんなに厳しい修行をしなければならないの」と言って公暁をいたわるシーンが出てくるのが印象に残る。

昨今、浄土真宗大谷派住職と懇談する機会があり、その中で仏教寺院の修行の話が出た。

大谷派住職は、日本仏教界で厳しい修行を行っている寺院として、福井・永平寺、比叡山延暦寺、そして中山法華経寺の荒行を挙げる。中山法華経寺の荒行が「最も厳しい修行だ」という。この住職が「最も厳しい修行だ」というのは、批判して言うのではなく、評価して言うのである。

そこで「浄土真宗はどうなんですか」と聞くと、真宗の場合は、宗門指定の学校、大学で数年間勉強するのが主であるという。「水行とか、滝に打たれるとか、厳しい修行はないのですか」と聞くと、「それはないねえ」との返答。

浄土真宗の場合は、葬儀、法事、命日の月参りで住職が来て読経する「檀家寺」が主であるようで、寺院の法要に参拝する熱心な門徒(信者)は、そんなには聞かない。私の祖母は熱心に真宗寺院の法要や行事に行っていたが、父母の代になると、葬儀、法事や命日の月参りに住職が来るだけになった。

祖母は熱心だったとは言っても、昔からの菩提寺の住職を嫌っていて、祖母の代でも父母の代でも菩提寺住職とトラブルがあった。父母の代になると、菩提寺住職とケンカをして離檀を宣言。その後、葬儀、法事や月参りには、他寺の住職が来ている。

私は特にどこの寺院に帰依するとか、どこの宗派に帰依するという気は全くないので、父親が他界した後は、葬儀にはどこかの寺院住職が来るようにはなると思うが、従前からの住職との繋がりも終焉になると思われる。

僧侶の修行という観点からすると、真宗住職も認めているように、浄土真宗で厳しい修行を行っているなどとは聞いたことがない。もっとも浄土宗、浄土真宗の宗旨は、南無阿弥陀仏を唱えれば極楽往生するという教え。難行苦行を積み重ねて成仏するという宗旨ではないから、そういう厳しい修行は行われていなかったのだと思われる。

それでも真宗大谷派住職の話しに依れば「昔はそれ(南無阿弥陀仏と唱える修行)でよかったんだけども、今はそれだけではダメなんですよ」ということで、いろいろな人生相談に応じたりという活動を行っているという。

遠寿院11荒行堂 

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■中山法華経寺2(中山の鬼子母神信仰について)

 

□日蓮の守護神として大衆信仰を集める中山の鬼子母神は偽作・贋作とは次元が異なる

 

中山法華経寺本院から中に入っていくと、中山法華経寺の総受付があり、ここで御開帳、参拝、お札の申し込み。祈願は交通安全に丸印。志料は3000円。

本院から鬼子母神堂へは渡り廊下でつながっていて、徒歩で鬼子母神堂へ。鬼子母神堂の一番奥の間に入って行くと、すでに23人の参詣人が座っていた。中山法華経寺の鬼子母神は、日蓮が小松原法難のとき、鬼子母神が現れて日蓮を守護し、難をのがれたことにちなみ、その後、富木常忍邸に日蓮が滞在中に、日蓮自らが親刻した像と伝承されている。

鬼子母神堂の須弥壇は帳が下がっていて、鬼子母神の姿は見えない。しばらく鬼子母神堂の中で座っていると、後ろからどんどん参拝人が入ってきて、狭い鬼子母神堂の中が、あっという間に満員になった。

その後、若手の僧侶が一人入場してきて、読経、唱題がはじまる。読経していたのは御開帳の導師を務める僧侶だけで、参拝人は皆、だまってすわっている。唱題の時、南無妙法蓮華経と唱えた参拝人が数人いたのみ。

読経がはじまると、須弥壇の帳が開いて鬼子母神が姿を現す。形が小さくてよく見えないのが残念。導師の僧侶は、鬼子母神が祀られている須弥壇に登り、厨子にむかって左側に着座。東側を向いて読経。唱題の後は僧侶の祈祷。参拝人ひとりひとりの名前を僧侶が読み上げて、祈祷の内容を読み上げる。私の所は「英昭彦殿 交通安全…」とこんな感じ。御開帳終了後、導師の僧侶からお札を直接、手渡されました。

日蓮宗新聞社が発行する「日蓮宗本山めぐり」によると、中山法華経寺は日蓮聖人「五勝具足」の法華道場として、日蓮宗では最も古い寺院であるとしている。中山の鬼子母神として有名な鬼子母神像については

「文永元年(1264)、房州小松原において、聖人は地頭、念仏者による襲撃、小松原法難にあわれ、鬼子母神の出現によって一命を救われた。日蓮は中山の地に逃れ鬼子母尊神像を御親刻されたと伝える」

と記している。日蓮宗寺院で鬼子母神像を祀っている寺院は、他にもあり、日像開山の京都妙顕寺、天目開山の佐野妙顕寺にも鬼子母神堂がある。この他、法華宗寺院にも鬼子母神を祀る寺院がいくつも見られる。日蓮宗寺院や法華宗寺院になんで鬼子母神堂があるのかと最初は不思議に思ったが、どうやらこれは、小松原法難で日蓮が東条景信に殺傷されかかったときに、鬼子母神が現れて日蓮を守護したという伝説によるもののようである。

中山法華経寺30本院 

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■中山法華経寺1(鬼子母神、日蓮真蹟の格蔵、大荒行で有名な中山法華経寺)

 

富木常忍(日常)開基・日蓮百日百座の説法・本化菩薩の初転法輪の霊跡の中山法華経寺

 

中山・法華経寺は、千葉県市川市中山二丁目にある日蓮宗七大本山の寺院で、正式な名前は正中山法華経寺。中山という地にあることから、通称・中山法華経寺と言われている。鎌倉時代の文応元年(1260年)創立とされている。開基檀那は富木常忍。日蓮・松葉ヶ谷法難の後、富木常忍邸に滞在して百日百座の説法を行ったことから、本化菩薩の初転法輪の霊跡という。

布教活動の中で幾度と無く迫害を受けた日蓮を、下総国千葉氏の家臣であった富木常忍と太田乗明は自分達の所領のある八幡荘に暖かく迎えた。富木は日蓮のために所領の若宮に寺を造営したが、法華寺と名付けられた。又、隣の中山の領主であった太田も自家の持仏堂を寄進し、これは本妙寺と名付けられた。天文14年(1545年)古河公方足利晴氏より「諸法華宗之頂上」という称号が贈られ、この時に法華寺・本妙寺を合わせた「法華経寺」という寺名が誕生。以後、両寺は事実上統合され、「法華経寺」という一つの寺院として認識されるようになっていった。

中山の鬼子母神として、古くから多くの参詣があり、立正安国論や観心本尊抄などの日蓮真蹟を多数所蔵する寺院として、あまりにも有名である。かつて中山法華経寺では、これらの国宝、重要文化財のものを含めた日蓮真筆は、113日、文化の日に年一度だけの「お風入れ」の儀が行われていたが、ここ数年、お風入れの儀は行われていない。まことに残念なことである。

境内地には、「中山大仏」と呼ばれる巨大な釈迦牟尼の仏像や富木常忍(日常)の像がある。フリー百科事典・Wikipediaによると、ここの本尊は祖師堂の日蓮像と鬼子母神堂の鬼子母神ということになっている。

 

富木常忍は千葉氏の文吏としても活動していたために日蓮に紙筆を提供し、その執筆を助けた。日蓮の遺文が同寺に多く遺されているのはその縁であると言われている。中山法華経寺では、百数十にものぼる日蓮真筆の遺文(御書)を格蔵していて、そのうち、重要文化財に指定されているものが61点。中でも観心本尊抄(日蓮真筆)と立正安国論(日蓮真筆)は国宝に指定されている。これらの日蓮真筆は、境内地の聖教殿と呼ばれる堂宇に格蔵されている

中山法華経寺は日蓮筆遺文 56巻を格蔵しているという。

ここに格蔵されている日蓮真筆の遺文の中には、日蓮正宗や創価学会の信者が「戒壇の大本尊」なる板本尊の文証として、金科玉条のように引っ張りだしてくるあの「聖人御難事」も含まれている。それにしても大石寺は、「聖人御難事」という日蓮の遺文が、日蓮の出世の本懐を説き表わすほど重大な遺文なら、どうして日興をはじめ歴代法主は、大石寺のもとに留めようとしなかったのか。「富士一跡門徒存知事」という文書によれば、日興は日蓮の重要な遺文を結集しようとし、それらの存在している場所を書き記しているが、この中に「聖人御難事」は入っていない。「聖人御難事」という遺文は、日興の眼中にはなかったのである。「聖人御難事」が中山法華経寺に格蔵されていること自体、大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊とは、何の関係もないということを物語っているではないか。

中山法華経寺39聖教殿

中山法華経寺37聖教殿 

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20122月にスタートさせた「仏教宗学研究会のブログ」も、20136月で10pvを突破しました。ありがとうございました。

■仏教宗学研究会のブログ

http://bukkyoshugakukenkyukai.doorblog.jp/

 

もうひとつの同じく20122月からスタートさせた「アンチ日蓮正宗オフィシャルブログ」ですが、20136月で20pvを突破しました。ありがとうございました。

■アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/

 

ふたつあわせてアクセス数が30pvを突破したことになります。

今後とも、ますますのご愛読をいただけますよう、よろしくお願い申し上げます。

親鸞2 

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