仏教宗学研究会のブログ

「仏教宗学研究会」とは会の名称。「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判・糾弾は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」が管轄。「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。「仏教宗学研究会」と「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」は表裏一体の同体異名。日蓮正宗、創価学会・SGI・顕正会・正信会、さらに富士門流執着軍団…らを批判する主旨は同じ。 (背景写真は高野山真言宗総本山・高野山奥の院灯籠堂参道)

「仏教宗学研究会」とは「アンチ日蓮正宗」管理人が設立した会の名称。この会の中で、「日蓮正宗系」と富士門流執着軍団の批判は正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
「仏教宗学研究会のブログ」は「日蓮正宗系」以外の仏教・宗教・各宗派の調査・研究部門を直轄管轄。富士門流執着軍団批判は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄だが、「日蓮正宗系」以外の富士門流寺院の調査・研究は「仏教宗学研究会のブログ」の管轄。
「仏教宗学研究会」への誹謗中傷に対する反撃・糾弾は「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」(アンチ日蓮正宗)が管轄。
さらに正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」の公式サイト「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」から、カルト宗教対策、カルト宗教取締特別立法、カルト宗教拡散防止条約制定の活動部分を独立させたものが「国際カルト宗教対策委員会(Icat-Cult)」

□正式名「アンチ日蓮正宗・アンチ創価学会・アンチ顕正会・正信会」略称名「アンチ日蓮正宗」(アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ)
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2013年10月

京都・鹿苑寺金閣(4)~井沢元彦氏が「逆説の日本史」で書く『天皇になろうとした男』足利義満と鹿苑寺金閣2

■京都・鹿苑寺金閣4(天皇になろうとした男・足利義満と金閣2)

 

□井沢元彦氏が「逆説の日本史」で書く『天皇になろうとした男』足利義満と鹿苑寺金閣2

 

鹿苑寺金閣は、日本国王・足利義満の宮殿だったという井沢元彦氏。そうなると、金閣が建立されることになった根源は、足利義満が「源道義」の名前で明国皇帝から「日本国王」に封じられたことになる。ではなぜ、足利義満は、明国の冊封体制の中に入る屈辱外交で明との国交を開き、明国皇帝から「日本国王」に封じられて日明貿易をはじめたのか。この淵源について、井沢元彦氏は、南北朝の紛争で、南朝の皇子で九州を一時征服した懐良親王が明国と結んで、明国の冊封体制の中に入る屈辱外交を行ったからだとする。「逆説の日本史」から要旨を引用してみる。

-----「日本は、遣唐使の廃止(894)以降、中国とは貿易はするが正式な国交は持たなかった。貿易ならば中国の宮廷を通さなくても民間商人を相手にすれば可能だからだ。日本人の『実力者』にとって、中国と正式な国交に踏み切るのはタブーであった。なぜタブーであったかは、中国は外国との対等な関係を認めないから、国交を開きたければ卑弥呼のように、皇帝に貢ぎ物を奉り『あなた様の家来でございます』と言わねばならない。この『屈辱的』な外交を、久しぶりに展開したのが、南朝の皇子で九州を一時征服した懐良親王。国が二つに割れた場合、権力者が絶対にしてはならないことが一つある。それは外国勢力と結ぶことである。言うまでもなく、それをやれば外国の介入を招き、最悪の場合、領土が奪われることになる。イギリスが、自分の国よりはるかに大きなインドを征服したのも、このやり方であり、こういう措置が不幸を招いた例は数限りない。いかに苦し紛れとはいえ、足利幕府憎しとはいえ、外国に『臣従』を誓ってはいけない。こういう形をとれば、いずれ『日本国王からの要請があった』という口実で、中国は日本に軍を派遣できる。しかし、足利義満の最初の外交課題は、『日本国王』を懐良親王から奪うことであった。

足利義満は、なぜ懐良親王の持つ『日本国王』の称号を狙ったのか。一つは、南朝が明と結んだら大変なことになるという危機感である。明は超大国である。その超大国が懐良の要請を聞き、日本に攻めてきたら、まさに元寇の二の舞になってしまう。しかしそれだけではない。それだけなら、『日本国王』懐良だけを討ってしまえばそれで済む。足利義満が『日本国王』の座を狙った、もうひとつの目的は、天皇家を乗っ取ってしまうためである------「逆説の日本史」7巻主旨)

足利義満は、『日本国王』を懐良親王から奪うため、天皇家を乗っ取ってしまうために、まず南朝と北朝の二つに分かれていたのを、合一させる「南北朝の合一」からはじめた。なぜ「南北朝の合一」からはじめなければならなかったのか。それは南朝が持っていた「三種の神器」「錦の御旗」を北朝に取り返させるためだと、井沢元彦氏は「逆説の日本史」で書いている。

逆説の日本史7 

(井沢元彦氏の著書『逆説の日本史』)

 

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京都・鹿苑寺金閣(3)~井沢元彦氏が「逆説の日本史」で書く『天皇になろうとした男』足利義満と鹿苑寺金閣1

■京都・鹿苑寺金閣3(天皇になろうとした男・足利義満と金閣1)

 

□井沢元彦氏が「逆説の日本史」で書く『天皇になろうとした男』足利義満と鹿苑寺金閣1

 

今の鹿苑寺舎利殿(金閣)は、1955(昭和30)年に再建された堂宇だから、再建後、まだ60年弱。室町時代の創建当初のころの金箔も、こんな感じだったのだろうかと考えてしまう。フリー百科事典・Wikipedia「鹿苑寺」で、金閣焼失前の白黒写真を見たが、堂宇も金箔も、永年の風雪でかなり色あせて見える。金沢市立安江金箔工芸館で購入した書籍によれば、再建金閣に張ってある金箔は、金沢産の金箔であるとのこと。さてこの金閣再建費用は、どれくらいかかったのか。

「金についての豆知識」によれば、こんなことが書いてある。

「金閣寺の総費用額…

…この金閣寺は足利義満によって1397年に建立されましたが、当時の建物は1950年に火災で炎上、現在の建物は昭和30年に再建されたものです。費用は30年当時のお金で7億4000万円。外壁に張った金の量は約20キログラムとの事です。これを1グラム、1000円で換算すると、2000万円となります。現在使われている金箔は通常の金箔より厚くなっています。金箔の厚さは通常、0.1ミクロンですが現在の金閣寺は0.45~0.55ミクロンと通常の金箔の約5倍の厚さになっています。…」「金についての豆知識」

http://www.kaitoru.jp/blog/%E9%87%91%E9%96%A3%E5%AF%BA%E3%81%AE%E7%B7%8F%E8%B2%BB%E7%94%A8%E9%A1%8D/

この金閣は、室町幕府三代将軍・足利義満が建立した堂宇だが、井沢元彦氏が著書「逆説の日本史」の中で、注目すべき独自説を唱えている。それは天皇家ではないのに「天皇になろうとした人物」という説である。井沢元彦氏は、かく書いている。井沢元彦氏の文はとても長いので、文の要点を当方でまとめた。

「足利義満は、日本史の一大特徴である『天皇』を語るのに欠かせない。つまり『天皇になろうとした将軍』だからなのである。もちろんこれは歴史上唯一人だ。それは天皇家の出身でないにもかかわらず、天皇になろうとした、ということである。人によって弓削道鏡を思い浮かべるかもしれないが、あれはそうではない。道鏡が、というより称徳女帝が道鏡をそうさせたかったのは、むしろ『皇帝』なのである。歴代将軍つまり幕府(武家政権)の主に限ってみても、天皇になろうとした男など、足利義満の他には一人もいない。結論を言ってしまえば、義満はとうとう天皇にはなれなかった。言ってみれば『あすなろ天皇』である」---「逆説の日本史」7p236237)

「平将門は確かに新皇(新しい天皇)になろうとした。だが、将門は坂東(関東)八カ国の独立が目的であって、いわば西の天皇に対して東の天皇になろうとしたのだ。また、将門には、自分が桓武天皇五世の孫という誇りもあった。…」---「逆説の日本史」7p255)

逆説の日本史6

(井沢元彦氏の著書『逆説の日本史』)

 

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京都・慈照寺銀閣(1)~慈照寺観音殿には全く銀箔が貼られていないのになぜ通称「銀閣」と呼ばれているのか

■京都・慈照寺銀閣1(全く銀箔が貼られていない銀閣)

 

□京都・東山で京都駅からのアクセスがかなり不便な所にある足利義政の山荘・慈照寺銀閣

 

慈照寺とは、室町幕府八代将軍・足利義政が鹿苑寺舎利殿(金閣)を模して造営した観音殿・銀閣、観音殿を含めた寺院全体は銀閣寺として知られる寺院で、鹿苑寺と同じく臨済宗相国寺派の寺院。ここも「古都京都の文化財」の一部として世界遺産に登録されている。

ここは、室町時代後期に栄えた東山文化を代表する建築というふうに言われるように、京都・洛東の東山になるが、同じ東山でも知恩院、南禅寺、平安神宮、祇園がある東山三条からは、かなり離れている。ここはJRや地下鉄の最寄り駅はかなり遠く、京都駅からのアクセスがなかなか不便。ここへは、修学旅行で来ているほか、自分で旅費を支弁した個人旅行で最初に来たのは、1988(昭和63)年に四国旅行に行く途中。1993(平成5)年の全国旅行でも慈照寺に来ている。これらの個人旅行は自家用車で来たのでしたが、寺跡調査で2008年に慈照寺に来たときは、京都駅から銀閣寺前行きのバスに乗った。しかしこのバスは、京都駅からの所要時間が長い上に、バスの中が大混雑で、始発から終点まで、ずーっと立ち席。かなりきつかったですね。さらにその上に、銀閣寺前バス停で下車してから、慈照寺総門までの距離が長い。しかも、ゆるい登り坂になっているので、京都駅から慈照寺に着いた頃は、かなり体力的に、へばってしまった。バスでここに行くのは、かなりきついものがありますね。

バス停から総門につづく参道脇には、料理店、そば店、露天風の店、みあげもの店、定食店などが軒を連ねている。フランクフルトを売っている店もありましたが、表示は「ウインナー」。京都では、フランクフルトのことを、ウインナーと言うらしい。そういえば、私の子どもの頃、私の母親が「ウインナー」という言葉を使っていた様な気がする。2008年に慈照寺に来たときは、銀閣は修復工事中であった。

通称・銀閣とよばれる堂宇・観音殿は、鹿苑寺金閣と比べたら、実にこじんまりした山荘に見える。一見して、中世の上流階級の山荘か、別荘に見える。名前は「銀閣」と言うが、ここに金箔や銀箔が貼ってあるわけではない。観音殿(銀閣)の後方は、山肌になっていて、月待山の山肌には、展望所があり、山の上から慈照寺銀閣を見下ろすこともできる。慈照寺にも日本庭園が広がっているが、こちらの日本庭園は、鹿苑寺の日本庭園と比べたら、こちらは狭く感じる。

慈照寺銀閣2 













(慈照寺観音殿・銀閣)

慈照寺銀閣4 











(慈照寺総門)

 

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京都・鹿苑寺金閣(2)~2008年、2010年は鹿苑寺に来る観光客の半分以上が中韓・台湾・欧米からの外国人観光客

■京都・鹿苑寺金閣2(金閣の絶景・外国人観光客)

 

□人工的な景観美としてはこれ以上のものは他にないと思える鹿苑寺金閣の絶景

 

鹿苑寺金閣の歴史について、鹿苑寺が発行した公式パンフレットによれば、次のようにある。

「お釈迦様のお骨をまつった舎利殿『金閣』が特に有名なため、金閣寺とよばれていますが、正しくは『鹿苑寺』と言い、臨済宗相国寺派の禅寺です。(1994年、世界文化遺産に登録されました。)

この地は、鎌倉時代に西園寺公経の別荘・北山第が在りましたが、足利三代将軍義満が大変気に入り、応永4(1397)に西園寺家から譲り受け、山荘北山殿を造りました。金閣を中心とした庭園・建築は極楽浄土をこの世に現したと言われ、後小松天皇(一休禅師の父)をお招きしたり、又、中国(明国)との貿易を盛んにして文化の発展に貢献した所で、この時代の文化を特に北山文化と言います。義満の死後、遺言通り夢窓国師を開山(初代の住職)とし、義満の法号・鹿苑院殿から二字をとり、鹿苑寺と名付けられました。」(鹿苑寺が発行した公式パンフレット)

舎利殿(金閣)についての鹿苑寺の見解は、以下の通りである。

「二層と三層は、漆の上から純金の箔が張ってあり、屋根は椹(さわら)の薄い板を何枚も重ねたこけら葺で、上には中国のめでたい鳥といわれる鳳凰が輝いています。一層は寝殿造で法水院、二層は武家造で潮音洞とよばれています。三層は、中国風の禅宗仏殿造で究竟頂とよばれ、三つの様式を見事に調和させた室町時代の代表的な建物と言えます。昭和62(1987)秋、漆の張り替えや金箔の張り替え、更に天井画と義満像の復元を行いました。又、平成15(2003)春、屋根の葺き替えを行いました」(鹿苑寺が発行した公式パンフレット)

 

金箔が張り巡らされた楼閣である舎利殿(金閣)は、外から拝観するだけで、中に入ることはできない。鹿苑寺を訪れた大勢の観光客は、あらかじめ決められたルートを歩いて見学するだけである。しかし、金箔が張り巡らされた建物を直に、間近で見ると、その金箔の迫力に圧倒されてしまう。間近で見ると、やはりすごいですね。金閣は、鹿苑寺の広大な日本庭園の大きな池・鏡湖池のほとりに建っており、遠くから見ると、池のほとりにポッカリと浮かんでいるかのように見える。遠くから見ても、近くで見ても、金閣の景観は、何度見てもまさに絶景。人工的な景観美としては、これ以上のものはないのではないかと思うくらいである。

私はこの鹿苑寺金閣には、何度も来ています。最初に来たのは、確か修学旅行の時だったと思うが、自分で旅費を支弁した個人旅行で最初に来たのは、確か1988(昭和63)年に四国旅行に行く途中、京都見学をしたとき。その後、1993(平成5)年の全国旅行でも鹿苑寺に来ているし、1994(平成6)年ころ、京都要法寺等に寺跡調査に来たときにも、ここ鹿苑寺金閣の見学に来ている。寺跡調査で京都に行ったときは、特に鹿苑寺金閣に来る予定はなかったのだが、つい自然に足が鹿苑寺金閣のほうに、向いて行ってしまった。その後は2008年と2010年に鹿苑寺金閣を拝観している。

鹿苑寺金閣3 

(鹿苑寺金閣)

 

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京都・鹿苑寺金閣(1)~三層部分に仏舎利(釈迦如来の骨)が祀られていると伝承される鹿苑寺舎利殿(金閣)

■京都・鹿苑寺金閣1(仏舎利が祀られている舎利殿)

 

□三層部分に仏舎利(釈迦如来の骨)が祀られていると伝承される鹿苑寺舎利殿(金閣)

 

鹿苑寺金閣とは、一般的には「金閣寺」の名前で知られている。寺号は金閣寺ではなく、鹿苑寺という。鹿苑寺とは、臨済宗相国寺派の寺院。相国寺派とは1392年、夢窓疎石により創始された宗派で、大本山は室町幕府三代将軍・足利義満により建立された京都の相国寺。末寺は日本各地に約100か寺ほどあり、有名な鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)はこの相国寺派の寺院である。「鹿苑寺」の寺号は、足利義満の法号である鹿苑院殿に因んでいる。正式寺号は北山(ほくざん)鹿苑寺という。

鹿苑寺が発行した公式パンフレットによれば、「お釈迦様のお骨をまつった舎利殿『金閣』が特に有名なため、金閣寺とよばれていますが…」とあり、鹿苑寺の舎利殿『金閣』には、釈迦如来の骨が祀られていると書いてある。フリー百科事典・Wikipedia「鹿苑寺・舎利殿(金閣)」の項目を見ると、「三層は禅宗様の仏殿風で『究竟頂』(くっきょうちょう)と称し、仏舎利を安置する」とあり、金閣の三層に仏舎利が安置されていると、書いてある。ただし、鹿苑寺が発行した公式パンフレットにもフリー百科事典・Wikipediaにも、鹿苑寺金閣の仏舎利(釈迦如来の骨)が、どのような経緯で鹿苑寺に伝承されるようになったのか、という「伝承の経緯」については、一言も触れていない。

鹿苑寺金閣は、応仁の乱、天文法華の乱、禁門の変の戦災を免れ、明治維新・廃仏毀釈の破脚を免れたが、1950年(昭和25年)72日、学僧・林承賢(21)の放火により全焼してしまった。

金閣に祀られている仏舎利は、金閣全焼以前から祀られていたのか。金閣全焼の時に、仏舎利も全焼したのか。金閣再建後、どのような経緯で金閣に仏舎利が祀られたのか、等々について、鹿苑寺が発行した公式パンフレットにもフリー百科事典・Wikipediaにも記載がない。

鹿苑寺金閣の正式名は「舎利殿」という。これは仏舎利を祀るに因んだ名前だと思われる。ただし鹿苑寺の参拝客は、舎利殿(金閣)の中に入ることができないので、金閣の中に入って仏舎利に参拝することはできない。金閣の外側から拝観するのみである。

というか、鹿苑寺金閣の拝観に行っても、漆地に金箔を押した豪華絢爛な三層宝形造の金閣の建物そのものに圧倒されてしまって、中にある仏舎利のことまで関心が向かない。私も何度か鹿苑寺金閣の拝観に行っているのだが、鹿苑寺が発行した公式パンフレットを見て、はじめて金閣に仏舎利が祀られているのを知ったくらい。そしてここに来ると、ものすごい数の観光客が来ており、特に1994年に世界文化遺産に登録されて以降、鹿苑寺金閣を訪れる外国人観光客が激増。2011年の東日本大震災、2012年の竹島・尖閣諸島問題が起きる前は、中国人、韓国人観光客が多かった。2008年、2010年に鹿苑寺に行ったときは、金閣の前で中国人、韓国人をはじめ、外国人観光客が撮影する合間をかいくぐって、金閣を撮影することに神経が集中してしまう。しかも鹿苑寺の境内は一方通行で、金閣の拝観が終わると、庭園方向にどんどん進んで行かなくてはならない。

 

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