■池上本門寺13(2011年・池上本門寺お会式紀行6)

 

さて、池上本門寺の法要でも、読経が終わると、次は唱題がはじまる。つまり「南無妙法蓮華経」(なむみょうほうれんげきょう)を反復的に繰り返し唱えるわけですが、内陣の左右両サイドに、大きな太鼓があり、若い僧侶が、それぞれ、唱題の声にあわせて、太鼓を叩いていた。

日蓮宗では、行道僧や万灯行列で、鼓を叩きながら唱題して歩くのは有名ですが、寺院の法要では、大きな太鼓がしつらえてあって、僧侶が太鼓を叩いていました。これは、日蓮宗の寺院における他の法要でも同じですねえ。もちろん太鼓を叩くのは、唱題の声をそろえるためなのでしょう。

ところで、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)と唱える日蓮正宗の寺院の法要や勤行でも、唱題するときは、僧侶が太鼓を叩きます。住職しかいない寺院では、住職夫人や有力信者が太鼓を叩いていたのを見たこともある。太鼓を叩くのは、日蓮宗も日蓮正宗も共通している。

ただし太鼓を叩くのは共通していますが、太鼓を叩くフシ(音調)がちがっています。それでは「どうちがうのか説明せよ」と言われても、このちがいを文章で書くのは、むずかしい。

 

読経のとき、日蓮宗では僧侶が木魚を叩いて読経の声をそろえますが、日蓮正宗では、木魚という仏具を全く使いません。「では日蓮正宗では、どうやって読経の声をそろえるのか」というと、副導師がマイクを使って、僧侶・信者の読経をリードする、というやり方をする。

日蓮正宗の法要の読経では、導師のみが声を出す箇所がありますが、その時のためか、導師席にマイクがしつらえてあります。これは大石寺も末寺も同じ。

よって導師席にマイクがあり、さらに副導師席にも、信者の読経をリードするためのマイクがしつらえてあります。これは大石寺の正本堂、奉安殿、奉安堂、客殿、御影堂、広布坊などの諸堂宇、塔中から末寺に至るまで全て同じです。

 

池上本門寺の法要で、マイクを使うのは、注意事項や法要の説明をする、マイクの司会者のみで、それ以外は、全くマイクを使いません。池上本門寺大堂の大導師席や副導師席にも、マイクは備えつけられていません。

こういうふうに、仏教各宗派や各寺院の法要に出てみると、日蓮正宗寺院の法要や勤行の読経で、木魚を叩かない、というのは、まことに不思議に思えます。昔、マイクやスピーカーがなかった時代、読経の声を唱和させるのに、どうしていたのかということになるわけです。

昔は、勤行にしても法要にしても、ほんの少人数の僧侶のみが読経していただけだったから、木魚は必要なかった、ということだろうか。

 

今の大石寺は日興門流。池上本門寺は日朗門流。今の日蓮宗には、日昭門流、日朗門流、日向門流、中山門流の他、日興門流の一部、日什門流の一部等々が混在している。

日興門流と他門流が別れてから七百年以上が経過しているわけだが、それだけの長い年月が経過する中で、化儀・化法というものは、ずいぶんと相違がでてしまうものだと感じた。

大堂3