■正倉院展1(63回正倉院展を見学1)

 

20111112日に父と二人で奈良国立博物館の第63回正倉院展の見学に行き、mixiボイスでつぶやきを書いたところ、たくさんの方からイイネをいただきましたのと、この正倉院展の具体的な内容について、いくつかの質問・問い合わせをいただきました。それで、正倉院展見学に行ったときのことを書こうと思います。

正倉院展2

 

東大寺・正倉院に収蔵されている宝物は通常時、非公開。正倉院そのものは東大寺の境内にあるが、正倉院の管理は宮内庁が行っており、正倉院の中に一般は入れず、もちろん、見学もできない。その正倉院展に収蔵されている宝物が毎年、年1回、奈良国立博物館で一般公開される。

しかし管理する宮内庁が整理済みの正倉院宝物だけで約9000点に上るが、このうち正倉院展で公開される宝物の品目は毎年変更され約70点のみであるとのこと。

フリー百科事典・Wikipediaによれば、正倉院宝物が一般公開される最初は、1875年~1880年、毎年開催された奈良博覧会の一環として、東大寺大仏殿回廊で、一部が一般に公開されたことだという。1889年~1940年には、正倉院の曝涼(宝物の「虫干し」のこと)の際に、限られた人々に拝観を許していたのが、正倉院展のはじまりと言われている。

「正倉院」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%80%89%E9%99%A2

 

正倉院展という催しは毎年、奈良国立博物館で行われているが、第63回正倉院展は20111029()1114()まで無休で開催され、私は1112()に行ってきました。今回の最大の見所は、14年ぶりに出展されたという「蘭奢待」(らんじゃたい)です。

蘭奢待とは香木の一種で、正式名称は黄熟香(おうじゅくこう)。「蘭奢待」という名は、その文字の中に"東・大・寺"の名を隠した雅名です。

これは元々、東南アジアで産出される沈香と呼ばれる高級香木で、日本には9世紀頃に中国より伝えられたとされる説が有力。一説には『日本書紀』や聖徳太子伝暦の推古天皇3年記述を云う説もあります。

普段は、奈良市の正倉院・中倉薬物棚に納められており、これまで足利義満、足利義教、足利義政、土岐頼武、織田信長、明治天皇らが切り取って、この高木の香りを楽しんだと伝えられており、古くから日本の権力者にとても重宝がられた香木として有名。

足利義政、織田信長、明治天皇が切り取った跡には、紙箋がありますが、学者の研究によれば、もっとたくさんの人物によって、数百箇所以上、切り取られているといいます。

蘭奢待2
 

これに行くことが決まった最初のきっかけは、約2ヶ月以上も前に読売新聞に出た「第63回正倉院展」の公告でした。読売新聞が第63回正倉院展の後援をやっているとのことですが、私には14年ぶりに蘭奢待が出展されるという記事が目にとまりました。

これを父に話したところ、「ぜひ行って見てみたい」とのこと。

私の父は、若い頃から分厚い日本史の百科事典を買い込んで読んでいて、時折、私に蘭奢待の話しをしていました。しかし父は、分厚い百科事典で読んだだけで、実際に蘭奢待は見たことがないとのこと。私も見たことはありませんでした。

 

今回、14年ぶりに出展されると言うことなので、今回を逃すと、次回はまた1015年後になってしまうでしょう。父は2011年で77才。次回の出展時には90才前後になっており、生きているかどうかもわかりません。仮に生きていても、奈良まで来るのはむずかしくなっているおそれがあります。今回のチャンスを逃すと、父は蘭奢待を見学する機会を永久に失ってしまう可能性が高いわけです。私だって、次回の出展時には60才を超えています。

そういうわけで、父と二人で正倉院展を見学しに行くことになったわけです。

 

旅行の工程としては、まず私が東京駅から上越新幹線に乗り、越後湯沢で特急はくたか号に乗って金沢へ。実家で一泊。

翌日の早朝、父を車に乗せて私が運転し、金沢から北陸自動車道~名神高速道路~京滋バイパス~京奈和自動車道を突っ走って奈良へ。

早朝5時すぎに車で出発したのですが、途中、何度も休憩をとりながら走ったため、奈良・木津インターに着いたのは午前930分をまわっていました。

さて奈良市内に入って、奈良県庁西にある駐車場に入って車を停め、父を車いすに乗せて、私が奈良国立博物館まで押していきました。

私の事前下調べでは、奈良国立博物館から一番近い駐車場は、県庁西にある駐車場とのことでした。(奈良国立博物館に駐車場はないとのこと)

 

ここの駐車場には、次から次へとどんどん車が入ってきていました。みなさん、車をここに停めて奈良国立博物館に行くようです。

しかしこの駐車場は、奈良国立博物館から一番近いということでしたが、私は父の車いすを押していったせいか、けっこう遠く感じました。

正倉院展7