■成田山新勝寺1(初詣で約298万人の参詣)

 

成田山新勝寺といえば、関東地方の初詣のメッカとして有名な寺院。

関東地方の初詣は、1位・明治神宮が約320万人、2位が成田山新勝寺で約298万人、3位が川崎大師・平間寺で約296万人と言われています。面白いことに2位と3位がともに真言宗智山派の大本山になっている。

これは正月三が日の参詣人の数だから、かなりの人数である。成田山新勝寺でも、お正月は1日約100万人の参詣がある、ということになる。これはたいへんな数である。

だから初詣のときは、JR成田駅、京成成田駅から新勝寺までの参道はまさに大混雑である。とても見学どころではない。お賽銭を投げ入れて参拝したら、あとは帰路につくしかないくらいである。

あと初詣のメッカにしては、東京からのアクセスがいいとは言えない。

JR東京駅から総武線快速電車で行くと1時間以上かかる。京成線のほうも、以前は特急スカイライナーが京成成田駅に停車していたが、2010年にスカイライナーが成田スカイアクセス線経由になり、京成成田駅を通らなくなった。

その替わりとして、特急シティライナーが運行されたが、東日本大震災の電力使用制限令で12往復まで削減され、そのままの状態がつづいている。

正月は、JRでも成田エクスプレスの一部が成田駅に停車したり、初詣臨時列車を運行しているが、それでもアクセスがいいとはいえない。

 

真言宗智山派とは、弘法大師空海を始祖、真言宗中興の祖・興教大師覚鑁(1095-1144年)を開祖とする新義真言宗と呼ばれる宗派の中の一つ。

天正5年(1577年)に根来山の学頭職となった玄宥(1529-1605年)が、天正13年(1585年)、豊臣秀吉による紀州征伐で焼き滅ぼされた根来山・智積院を、慶長6年(1601年)、徳川家康の許可を受け寺領を拝受し復興させたことを端緒に創建された宗派。

といっても、なかなかわかりにくい。

真言宗智山派総本山は、京都市東山区にある智積院。総本山智積院の歴代化主が智山派管長を務めている。

大本山が神奈川県川崎市川崎区大師町の川崎大師平間寺、東京都八王子市高尾町の高尾山薬王院、そして千葉県成田市の成田山新勝寺の三寺院。

この他に別格本山として東京都日野市の高幡不動金剛寺と愛知県名古屋市中区の大須観音宝生院がある。大本山・別格本山の5寺院のうち、4寺院が関東地方にある。

真言宗というと、高野山真言宗が有名で、智山派といっても、あまりなじみが薄い名前ですが、数年前、mixiで、あの「桜千歳」なる者が所属している宗派として、有名になった宗派。

それと、成田山新勝寺は、屋号「成田屋」の市川團十郎、市川海老蔵が成田山の不動明王を信仰していることでも有名である。

 新勝寺1

成田山新勝寺の総門をくぐり、仁王門をくぐって石段を登っていくと大本堂に。

大本堂は昭和43(1968)建立となっていますが、なかなか真新しい堂宇に見えます。

大本堂が成田山新勝寺の中心堂宇で、最も重要な護摩祈祷を行う。須弥壇に祀られているのは、不動明王を中心に四大明王、平成大曼荼羅が祀られている。

つまり成田山新勝寺の本尊は不動明王ということになる。真言宗の本尊とは大日如来ではないのか。そうすると、実は大本堂のちょうど裏手に光明堂という堂宇があり、ここが大本堂が落慶する以前、本堂だった堂宇。いわゆる旧本堂である。

ここの須弥壇中央に大日如来、左右に不動明王と愛染明王が祀られている。

ではなぜ大本堂の本尊が不動明王なのか。

成田山新勝寺の説明によれば、この大本堂に祀られている本尊・不動明王は、嵯峨天皇の勅願により弘法大師空海が自ら敬刻して開眼・護摩法を修した像であるとのこと。

元々は京都神護寺に祀られていたが、天慶2(939)の平将門の乱で朱雀天皇の密勅を受けた寛朝大僧正が、この不動明王像とともに関東に下り、成田の地で21日間、護摩法を修める。

平将門の乱平定後、新勝寺の寺号を朝廷から下賜されて成田山新勝寺が開山された縁起によるという。

新勝寺13

 

大本堂の賽銭箱がある所を境界にして、ガラスで仕切られており、賽銭箱の位置からは、須弥壇の本尊はよく見えない。護摩を修する時刻に、大本堂に昇殿した上で拝さないと見えません。

大本堂では、土曜・日曜・祝日には、午前9時から午後3時の間は、1時間毎に護摩が修せられている。平日でも、2時間毎に護摩が修せられていて、普段の日でもかなり多くの参詣があるようです。