■成田山新勝寺2(新勝寺表参道)

 

真言宗智山派大本山・成田山新勝寺への表参道は、JR成田駅、京成成田駅の中間にある交差点から新勝寺総門にむかって伸びている。そしてこの表参道の両側には、所狭しと商店、食堂、レストラン、喫茶、カフェ、みあげもの店等々が軒を連ねている。

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まず私の目に付いたのは、この表参道がとても綺麗に舗装され、整備されていること。

新勝寺商店街7


そして表参道の両側に軒を連ねる商店等が、どの店もきちんとした店舗を構え、しかも新築した店舗が多いこと。見た感じとしては、どの店も商売繁盛している様子。

新勝寺商店街8


参道で目を引いたのが、高級うなぎ料理の店が数軒あること。

メニューに出ている、うなぎ料理を見てみると、これがビックリするくらいの高級うなぎ。一食がなんと3000円から4000円するものまである。

東京都心の繁華街、銀座、赤坂、六本木、新宿、渋谷、恵比寿、八重洲、上野界隈にも、こんな高級ウナギを取り扱っている料理店があっただろうかなあ、と思ってしまうくらい。しかもそれが一軒や二軒ではないから、なおさら驚いてしまいました。

 

もちろんこういう高級料理店だけではなく、大衆料理店もたくさん軒を連ねています。

私も、とある大衆料理店に入って食事。入ってみると昭和のころの大衆食堂そのものといった感じ。まるでタイムスリップして昭和時代に戻ったかのような錯覚になりそうです。

私が店に入ったのは、ちょうど夕食の時間帯で、参詣客のグループが2グループほど座って、ビールや日本酒を呑みながら、ずいぶんと話しが盛り上がっている様子。見た感じ、この店のなじみ客のようで、店員とも親しげに話していた。

 

それと、もうひとつ目を引いたのが旅館。おそらく成田山新勝寺参詣の人が宿泊するのでしょう。

電車は東京からJR線と京成線があり、高速道路も東関東自動車道があるが、いかんせん、どのルートでも所要時間が1時間以上かかる。時間かかりすぎですね、これは。

それと成田山新勝寺大本堂の朝の護摩が午前6時からはじまるため、これに参詣するには、新勝寺の近辺に宿泊しないと無理です。6時の護摩もさることながら、9時の護摩に参詣するにも、新勝寺近辺に宿泊しないと無理なのではないか。

それとどの旅館も、外から見た限りでは、立派な建物を構えた高級旅館。すごいですね。

成田山新勝寺参詣でこれらの旅館に宿泊する人が、いかに多いかと言うことでしょう。

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□江戸時代の深川・永代寺での出開帳の成功で江戸・東京に定着した成田山新勝寺詣で

 

JR成田線にしても京成線にしても、東京と成田山新勝寺を結ぶ目的で敷設された鉄道ということで、昔から東京から成田山新勝寺への参詣客はかなりたくさんいたと思われる。

ではどうしてこんなに成田山新勝寺詣でが多いのか。

 

歴史家・安藤優一郎氏の著書「大江戸お寺繁盛記」によれば、江戸出開帳の成功だという。成田山新勝寺が、はじめて江戸で出開帳を行ったのが1703(元禄16)のこと。

ではなぜ成田山新勝寺が江戸で出開帳を行ったのか、というと、その当時、成田山新勝寺は本堂(現光明堂)建立費などによる借財を500両も抱えていた。その借財返済のために、出開帳が企画された。

開帳とは秘仏を期間限定で公開する宗教行事であるが、開帳には、秘仏を格蔵する寺院で行う居開帳と、他の寺院の境内を借りて行う出開帳の二種類有る。

江戸は、当時から人口百万都市であったので、江戸で出開帳すれば、巨大市場がある故に、短期間の出開帳で大幅な収益が期待できた。だから成田山新勝寺をはじめ地方寺院は先を争って江戸で出開帳を企画。

成田山新勝寺が出開帳を行った場所は深川・永代寺で、ここに小屋を建てて本尊・不動明王を祭って参拝を受けた。1703(元禄16)4月から約2ヶ月間、成田山新勝寺は江戸深川の永代寺で出開帳を行い、これで2000両以上の収入をあげた。借財を返済したのみならず、鐘楼などの建立費まで捻出できた。

この成功の裏には、成田不動を信仰していた江戸歌舞伎の代表格・「成田屋」こと初代市川團十郎が、開帳中、歌舞伎の舞台で成田不動を演じていた。この舞台を見た観客が本物の成田不動を拝もうと、深川の出開帳に押し寄せた。この効果が絶大だったというわけである。

成田山新勝寺の江戸出開帳は、1703(元禄16)を初回として都合10回行われているが、いずれの江戸出開帳の時も、市川團十郎は成田不動を演じつづけ、二代目以降にも引き継がれていった。こういったことが「大江戸お寺繁盛記」という本に書いてあります。

 

この江戸時代の出開帳の成功が、成田山新勝寺詣でを江戸・東京に定着せしめた、ということのようです。

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