■宇治平等院1(平安時代の創建当初の堂宇)
平等院とは、京都府宇治市にある摂関家・藤原氏ゆかりの寺院で、鳳凰堂が十円硬貨の表の絵柄として、あまりにも有名。私も寺跡調査で、何度か来ています。
平等院は、周書異記の末法初年説である1052年(永承7年)に、関白・藤原頼通が父親・藤原道長から譲り受けた別荘を寺院に改めて創建したのがはじまり。
平安貴族が夢見た極楽浄土を形にした鳳凰堂は、創建の翌年、1053年(天喜元年)、阿弥陀如来像を安置する阿弥陀堂として建立されたもの。
当初、平等院は広大な境内と伽藍を持つ大寺院であったが、たび重なる戦火によって焼失。現在、残っている創建当初の堂宇は鳳凰堂のみ。観音堂は鎌倉時代の堂宇、塔中の浄土院は明応年間(1492年 - 1501年)、最勝院は承応3年(1654年)の創建とされている。
平安時代の平等院には、阿弥陀堂の他、金堂、講堂、法華堂、宝蔵等があったとされる。
鳳凰堂は、正式には阿弥陀堂と言うが、なぜ鳳凰堂と言うかというと、まず阿弥陀堂の屋根に鳳凰が乗っていること。
そして建物全体が両翼と尾を伸ばしたような形になっているため、あたかも鳥が羽を広げたようにも見えることから、鳳凰堂と呼ばれるようになった、ということ。
阿弥陀如来像も阿弥陀堂も、堂内の壁画等もすべて、国宝に指定されている。本尊である阿弥陀如来像は、仏師定朝の最高傑作とされる。
平等院見学の大きなポイントは、鳳凰堂の見学であることは、言うまでもありません。鳳凰堂の見学に入ったのは、2010年に平等院参拝に行ったときのことです。
鳳凰堂の見学は、事前申し込み制で、50人1グループによる見学。つまり1回の見学で申し込みが50人を超えた段階で締め切りになり、次の時間の見学に回されてしまう。
鳳凰堂入り口のすぐ近くに見学受付があり、拝観料200円を支払って見学を申し込むと、○○時△△分と書いた見学券をくれる。
境内を見学した後、集合時間5分前に鳳凰堂入り口に行くと、すでに長蛇の列ができていました。
私は15時50分からの見学。
見学開始に当たって、鳳凰堂に入る前に係員から注意事項の説明があった。内容は
○写真撮影、ビデオ撮影、スケッチ等はすべて禁止。ご遠慮くださいとのこと
○堂内の立ち入り禁止エリアには絶対に入らないでください、とのこと。
○鳳凰堂は国宝なので、柱や壁にもたれかかったり、物を置いたりしないでください。国宝、文化財保護のために、ご協力をお願いします。
とまあ、こんなような内容の注意事項。何か特別なお達しでもあるのかな、と思って聞いていましたが、きわめて当たり前の内容でした。
□僧侶の導師席もなく信者・参拝客が座るスペースもほとんどない平等院鳳凰堂内部
この注意事項の説明の後、係員の先導で鳳凰堂の中に入って行きました。
渡り廊下から阿弥陀堂前の玄関で靴を脱いで、阿弥陀堂の中へ。阿弥陀如来像が祀られている本堂(阿弥陀堂)の中に入った後、係員から説明がありました。
さて阿弥陀堂・本堂とは言っても、堂内には巨大な阿弥陀如来像が祀られていますが、その本尊の前に、人が座るスペースがほとんどない。これは奈良・平安時代の寺院建築、本堂建築の特徴である。
寺院の本堂と言うと、須弥壇中央に本尊が祀られ、その前に内陣・外陣というふうに、僧侶・信者・参拝客が座るスペースがあると連想しがちである。
しかし平等院鳳凰堂の中は、ほとんどが本尊・阿弥陀如来像が祀られているスペースで占められており、僧侶や参拝客が入るスペースがほとんどない。
見学に入ったときは、見学客が50人全員が立ち見。係員の説明の時は、50人全員を無理矢理にでも阿弥陀堂の中に入れたという感じ。おそらく椅子を並べて座ったら、その半分も座れないと思われる。
ましてやここで儀式や法要をやるとなったら、阿弥陀堂内に10人入れるだろうか、と思われるような感じ。ましてや僧侶の導師で、そのうしろに信者が参拝するという形式にしたら、阿弥陀堂の中に入れるのは、導師の僧侶だけで、参拝者は全員、外に出て参拝しなくてはならくなると思われる。
よって阿弥陀堂内には、僧侶が座る導師席など一切設置されていない。
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