■池上本門寺34(南谷檀林・照栄院2)

 

□池上本門寺照栄院に板頭寮のみが残る南谷檀林

 

池上本門寺塔中・照栄院は、江戸時代は南谷檀林が置かれていた子院。そうすると多くの学僧が修学していたわけですから、かなり大きな塔頭なのかな、と思ってしまうのですが、現在の照栄院の堂宇の大きさは、池上本門寺の他の塔頭の堂宇の大きさと、大差はない。

これは一見して不思議に思えます。今の堂宇に、多くの学僧が修学していた南谷檀林があったとは思えない。

ところが、この謎を解明するヒントが、照栄院前にある大田区教育委員会の立て看板「南谷檀林『板頭寮』遺構」に書いてありました。そこには、こんなことが書いてある。

 

「大田区文化財 南谷檀林『板頭寮』遺構 (非公開)

南谷檀林は、池上本門寺に付属する僧侶の学校として、元禄期(16881704)に、本門寺の南方(寺窪、南窪と称せられる地)に開創された。

『新編武蔵風土記稿』によれば、檀林は、講堂、方丈、玄寮、板頭寮、首座寮、所化寮、談合場、食堂、妙見堂等の施設を備えていた。

現存している建物は、檀林の事務所に当たる『板頭寮』で、板頭(事務経営の長)の居室でもあったとされる。江戸後期の天保7(1836)、池上山内の木を用いて建てられたと伝えられる。

当院の庫裡(寺の台所、居室)、書院として利用されてきたため、増改築が行われているが、屋根は昭和50(1975)、保護のため銅板で覆う工事が行われるまで、茅葺きであった。

昭和50319日指定  大田区教育委員会」

南谷檀林6

 

これによれば、南谷檀林は、本門寺の南方、寺窪、南窪と称せられる地に開創されたとある。

現存しているのは、『板頭寮』のみ。かつては講堂、方丈、玄寮、板頭寮、首座寮、所化寮、談合場、食堂、妙見堂等の施設を備えていたというから、かなり大規模な檀林だったことが、うかがえる。

ではなぜ、講堂、方丈、玄寮、首座寮、所化寮、談合場、食堂等の施設がなくなってしまったのか。もっとも檀林が廃止になって学僧が来なくなれば、檀林の堂宇も必然的に消滅してしまう運命にあるのかもしれないが、檀林の施設が今日に遺っていないというのは、残念なことである。

今の照栄院は、江戸時代の南谷檀林の面影はほとんど残っていない。

照栄院4