■三縁山増上寺1(徳川将軍家の菩提寺として繁栄)

 

増上寺とは、東京・芝公園にある浄土宗大本山の寺院で、正式には三縁山広度院増上寺という。

浄土宗とは法然を開祖、本尊は阿弥陀如来。教義は専修念仏を中心とする宗旨で、浄土専念宗とも呼ばれる。

浄土宗は京都市東山区の知恩院(華頂山知恩教院大谷寺)を総本山とする浄土宗鎮西派、長岡京市の粟生光明寺を総本山とする西山浄土宗、京都市左京区の永観堂禅林寺を総本山とする浄土宗西山禅林寺派、京都市中京区の誓願寺を総本山とする浄土宗西山深草派がある。

増上寺は、知恩院を総本山とする浄土宗の大本山で、世間一般では、単に「浄土宗」と言うと、この宗派のことを指す場合が多い。

この増上寺は、江戸時代は上野・寛永寺と並んで徳川将軍家の菩提寺だったことで、あまりにも有名。増上寺には、徳川将軍15代のうち、6人の将軍(秀忠、家宣、家継、家重、家慶、家茂)が葬られている。もうひとつの菩提寺である寛永寺墓地には、徳川将軍15人のうち6人の将軍(家綱、綱吉、吉宗、家治、家斉、家定)が眠っている。

のこる3人の将軍のうち、初代徳川家康、三代徳川家光は日光東照宮に葬られ、十五代徳川慶喜は東京谷中霊園に葬られている。

増上寺の徳川将軍家霊廟は、普段は非公開。年に数回、限られた期間限定で「特別公開日」が決められ、その期間のみ、一般公開される。この徳川霊廟特別公開日には、一度、見学に行ったことがあります。

増上寺12徳川家廟公開
 

場所的にも、増上寺があるところは東京・芝公園で、東京タワーのすぐそば。東京都心にあり、アクセスもJR浜松町駅、地下鉄・大門駅、地下鉄・赤羽橋駅が歩いて行ける所にある。増上寺三門も、都心の幹線道路・日比谷通りに面している。というわけで、ここは普段から参拝客が多く、参拝客の中には、ビジネスマンやサラリーマン風の人も見かけます。

私も仕事等で増上寺近辺に来る機会がかなりあり、ここは何度も来ています。

新年の初詣にも、たくさんの人が参拝に来ています。

増上寺の開創は明徳4(1393)に西誉聖聰によって江戸貝塚(現東京都千代田区平河町)に開山されたこととしている。しかし増上寺が徳川将軍家の菩提寺になるまでの歴史、なぜ増上寺が徳川将軍家の菩提寺になったのか、については明瞭ではなく、増上寺が発刊している小冊子「浄土宗大本山増上寺」を紐解いても、増上寺が徳川将軍家の菩提寺になった縁由について

「天正18(1590)、徳川家康公が関東八カ国に封ぜられ江戸に入国すると、当時の住職、源譽存応上人と親しく交わり、増上寺を徳川家の菩提寺としました」

と記すのみ。

増上寺31三門
 

増上寺は今でも、東京都心の一等地で広大な境内を持つ大寺院で、周囲を芝公園に囲まれている。ところが江戸時代は、この芝公園全体が増上寺の境内だったというから、相当な広さの大寺院だった。

今でも芝公園の中には、東京タワー、東京プリンスホテル、ザ・プリンスパークタワー、芝中学校・高等学校、正則高等学校、港区立御成門小学校等々があるくらいだから、江戸時代の増上寺の繁栄ぶりは、どれくらい凄まじかったのだろうか。

増上寺が発刊している小冊子「浄土宗大本山増上寺」には、江戸時代の増上寺の繁栄ぶりについて

「江戸期には徳川将軍家の菩提寺として、また関東十八檀林の筆頭として隆盛をきわめました。17世紀中頃の増上寺は、広大な寺有地に120以上の堂宇、100軒を超える学寮が甍を並べ、3000人の学僧のお念仏が全山に鳴り響く巨刹でした」

と記している。

120以上の堂宇、100軒を超える学寮、3000人の学僧とは、まさに桁違いの規模です。現代日本に「120以上の堂宇、100軒を超える学寮、3000人の学僧」がいる大寺院は、ちょっと聞かない規模です。

関東十八檀林とは、江戸時代初期に定められた関東における浄土宗の檀林(僧侶の養成機関・学問所)18ヶ寺のこと。内訳は

増上寺(東京都港区) 伝通院(東京都文京区) 霊巌寺(東京都江東区)霊山寺(東京都墨田区)

幡随院(東京都小金井市)蓮馨寺(埼玉県川越市)勝願寺(埼玉県鴻巣市)

大善寺(東京都八王子市)浄国寺(埼玉県さいたま市岩槻区)光明寺(神奈川県鎌倉市)

弘経寺(茨城県結城市)東漸寺(千葉県松戸市)大巌寺(千葉県千葉市)弘経寺(茨城県常総市)

大光院(群馬県太田市)善導寺(群馬県館林市)常福寺(茨城県那珂市)大念寺(茨城県稲敷市)

18寺院。

元禄14年(1701年)3月に江戸下向した勅使が増上寺を参詣する時、畳替えをしなければならないところ、高家の吉良義央が勅使饗応役の浅野長矩に畳替えの必要性を教えず、これが314日の江戸城殿中刃傷事件の引き金になったという逸話が、大石内蔵助の吉良邸討ち入りを描いた時代劇『忠臣蔵』で有名。