■三縁山増上寺2(日本で弘まり中国では弘まらなかった浄土宗)

 

東京芝・増上寺は、かつて芝公園一帯全てが境内であったが、明治維新、廃仏毀釈、太平洋戦争等で境内は狭められた。しかんしそれでも増上寺の境内は広い。

増上寺の中心堂宇は大殿で、これが仏教寺院一般の本堂に該当する。そういう意味で、増上寺が発行する正式文献「浄土宗大本山増上寺」には、「大殿(本堂)」となっています。

今の大殿は昭和49(1975)落成。もちろん、戦前から増上寺に大殿はあったのですが、太平洋戦争の東京大空襲による戦災で焼失。

そこで新たに近代的な設計のもとに、鉄筋コンクリート造りの大殿が再建された。石段を登った二階が本堂。三階に道場。一階に壇信徒控え室。地下に三縁ホールがある。

本堂には、本尊として阿弥陀如来が祀られ、両脇壇には高祖善導と宗祖法然の像が祀られている。

高祖・善導とは、中国浄土宗の僧。「称名念仏」を中心とする浄土思想を確立したとされている。

称名念仏とは、浄土宗においては「南無阿弥陀仏」の名号を口に出して称える念仏(口称念仏)のこと。『佛説無量寿経』には「南無阿弥陀仏」と念仏を称えれば、阿弥陀仏の浄土(極楽浄土)へ往って、阿弥陀仏の元で諸仏として生まれることができると説かれている、とされる。

善導が、『観無量寿経疏』(『観経疏』)を撰述して、『仏説観無量寿経』は「観想念仏」ではなく「称名念仏」を勧めている教典と解釈した。こうして「称名念仏」を中心とする浄土思想が確立する。

しかし中国ではその思想は主流とはならなかった。

つまり善導の中国浄土宗は、中国では大衆文化として定着しなかった。

善導の『観経正宗分散善義』巻第四(『観無量寿経疏』「散善義」)の中の、

「一心に弥陀の名号を専念して、行住坐臥に、時節の久近を問はず、念々に捨てざる者は、是を正定の業と名づく、彼の仏願に順ずるが故に」

という文に影響されて、日本で専修念仏を唱道したのが浄土宗宗祖・法然。

専修念仏とは、仏の救いは念仏を唱える「称名念仏」によって得られるという思想。即ち、ただひたすらに念仏をを唱えることで、いつでも、どこでも、誰でもが平等に阿弥陀仏によって救われて極楽浄土に往生できるという教えは、日本の大衆の心をとらえて、日本全土に弘まった。

浄土宗の寺院・信者は、どれくらいあるのか。201172日号「週刊ダイヤモンド」誌によれば、浄土宗の寺院は6880寺、信者数6021900人。

法然の弟子・親鸞を宗祖とする浄土真宗の寺院数は18847寺。信者数は12474151人。

これは、寺院所属の信者数で、元々は江戸時代の「宗門改」による寺檀制度にまでさかのぼる。

浄土宗・浄土真宗が日本全国に弘まったのは、江戸時代よりももっと前。すなわち鎌倉時代、室町時代、戦国時代にかけてのことである。特に中でも浄土真宗本願寺派が室町時代、戦国時代にかけて大きく教線を拡大した史実は、あまりにも有名である。

増上寺16


浄土宗・浄土真宗の教線拡大により、日本全土に「称名念仏」が弘まり、ここから「死んだ人は皆、仏様」という日本人の生死観が生まれた、というのが定説になっている。

日本人の生死観は「死んだ人は皆、仏様」だから、どんな極悪人でも死刑が執行されたら、それ以上は追及しない。実質的にその時点で免罪されてしまう。

 

方や中国ではどうして「称名念仏」の浄土思想が弘まらなかったのか。それは中国文化の主流は仏教ではなく儒教、道教といった中国生まれの思想であるから、というのが定説。

中国人の生死観は「善人は天に昇り、悪人は地獄に堕ちる」という思想で、これは「称名念仏」により誰でもが平等に阿弥陀仏によって救われて極楽浄土に往生できるという教えとは、全く正反対のものである。だから浄土思想は中国では弘まらなかったとされる。

中国人の生死観は「善人は天に昇り、悪人は地獄に堕ちる」というものだから中国人は、犯罪人、売国奴、侵略者といった「極悪人」の罪を死刑になっても何があっても永久に追及しつづける。

したがってここに日本人の生死観と中国人の生死観が全く異なっている。

日本人の生死観は、日本の伝統文化として大衆に深く定着している。源流を法然・浄土宗とすれば少なくとも800年以上の歴史がある。

この生死観・「死んだ人は皆、仏様」がいかに定着しているかを象徴するもののひとつが靖国神社である。靖国神社は、明治以降の戦争で戦死した日本の軍人、軍属等を主な祭神として祀っている。この靖国神社の根底の思想は、まさに日本人の生死観・「死んだ人は皆、仏様」である。

「死んだ人は皆、仏様」だから、東条英機、小磯国昭ら極東国際軍事裁判で死刑になったA級戦犯も祭神として祀る、ということになる。

だから靖国神社はまさに日本の伝統文化そのものであり、その生死観は、日本人に深く定着している「死んだ人は皆、仏様」という生死観である。

ところが「善人は天に昇り、悪人は地獄に堕ちる」という生死観の中国人から見ると、この靖国神社は、まことに気にくわない存在に見えるようである。だから、あれこれと靖国神社にいちゃもんをつけようとする。

しかし靖国神社そのものは、日本人の伝統文化、日本人の生死観、日本人の戦死者追悼の念から生まれたものなのであって、他国から内政干渉される筋合いのものではない。全く筋違いな話しである。

その日本人の生死観と中国人の生死観の違いの源流は何か、ということになると、そのひとつに、中国では「称名念仏」を中心とする浄土思想が弘まらなかった、ということが挙げられるのではないだろうか。