■湯之奥金山博物館8・日有の経済力を解き明かす湯之奥金山博物館8

 

□何度も足を運んで調査した山梨県JR下部温泉駅前・湯之奥金山博物館

 

ところで、自分なりに調査・研究していって、どうしても一点、わからなかったことが、この湯之奥金山は、いつから採掘がはじまったのか、ということである。

湯之奥金山の採掘がいつからはじまったのか、ということは、大石寺の「本門戒壇の大御本尊」なる板本尊が、日有によって偽作されたことを証明する大きなポイントになる。

日有が大石寺法主であった期間は141984 - 1467年、1472 - 14829月であり、京都天奏が1432年、「本門戒壇の大御本尊」偽作が1445年だとすると、少なくとも15世紀前半には、湯之奥金山での金の採掘がはじまっていなくてはならない。15世紀後半ということだと、湯之奥金山の金による「本門戒壇の大御本尊」日有偽作の根拠が大きく薄れてしまうことになる。

そこのところを展示を見学したり、売店で館長の著書を買ったり、記念講演・公開講座の記録集等々を買って読んだのだが、ここのところが、どこにも出ていないのである。

「湯之奥金山博物館・展示図録」の中のコラムで、堀内亨氏という人が

「発掘調査の結果、中山金山の操業の始期は15世紀後半、黒川金山のそれは16世紀初頭と推定されている」(p38)と書いている。15世紀後半と推定と書いているが、操業とならなくても、湯之奥金山に人が入って金を掘り始めたのはいつなのか。これが私は知りたかった。

 

まずは湯之奥金山博物館の受付カウンターにいた、中年の男性係員に率直に質問をぶつけてみた。ところが、この人は、私の質問に対して、とおり一辺倒のマニュアル的な答えをするだけで、私が求めた「いつから湯之奥で金の採掘がはじまったのか」という質問に対する答えが出てこない。

私が、突っ込んで聞くと、わからないという。

「それでは館長に聞いてください」と要求すると、もじもじ渋っていたが、「今、館長はいないんですか」と押すと、今、館長が館長室にいることを告白。

男性係員は、「では館長室に行って聞いてきます」と行って、二階に上がって行ったのである。

私はてっきり、この男性が館長に聞いて、下に降りてくるものだとばかり思っていた。すると何と、谷口一夫館長が自ら下に降りてきたのである。

思わぬ形で、湯之奥金山博物館の谷口一夫館長と単独会見が実現することになったのである。

谷口一夫館長が自ら下に降りてきて、思わぬ形で、湯之奥金山博物館の谷口一夫館長との単独会見が実現することになったのである。

谷口館長は「何か?」という感じで、私の前に現れた。私はこの時が千載一遇のチャンスととらえ、質問をストレートに谷口館長にぶつけた。

湯之奥金山博物館2 

 

□湯之奥金山に最初に人々が入って金鉱を掘り始めたのは15世紀前半と回答した谷口館長

 

○「湯之奥金山博物館の展示や谷口館長が書かれた本を見させていただいたのですが、湯之奥金山ではいつから金山衆が山に入ったのか。人々が湯之奥金山に入って金鉱を掘り始めた最初はいつなのか。いつから金鉱の採掘がはじまったのか、ということがわかりません。

湯之奥金山に最初に人々が入って金鉱を掘り始めたのは、いつのことなのでしょうか」

館長「あー、それね」「それは15世紀前半からです」

その後、館長は「それじゃあ、資料を持ってきますから」と言って、再び館長室に上がっていき、しばらくしてまた下に降りてきて、私に、コピー用紙にプリントした資料を渡してくれた。

館長「湯之奥金山で最初に金の採掘がはじまったのは15世紀前半ですね。そのころの陶磁器が湯之奥で発見されています。少なくとも15世紀前半には、金山衆が湯之奥に入り、金鉱を掘っていたと考えられます。そして15世紀後半には、本格的な金採掘の操業が行われていたと考えられます」

○「そうですか。15世紀前半には湯之奥で金鉱の採掘が行われていたということですね。そのころには商業生産も行われていたと言うことでしょうか」

館長「商業生産と呼んでいいかどうかは、わかりませんが、15世紀前半には、湯之奥に金山衆が入り、金鉱を採掘していたということです」

 

この谷口館長の明快な回答で、私は目の前が開けたような気持ちになりました。

湯之奥金山、なかんずく中山金山では、15世紀前半には、金の採掘・生産が行われていたものと考えられる。大石寺9世日有が大石寺法主に登座したのが1419(応永26)日有の法主在位が14191482年。日有の京都天奏が1432年。「戒壇の大本尊」偽作が1445年。だから、この15世紀前半というのは、まさに日有が日蓮正宗大石寺の法主になった時期と全く符合する。

湯之奥の史料と、大石寺の史料が見事に合致したことになる。まさに湯之奥金山が発見されて間もなくの頃に大石寺9世日有が大石寺法主に登座し、金山衆が湯之奥に入って金鉱の採掘を始め、大石寺9世日有の元に金がもたらされたという説がこれで成り立つことになる。

谷口館長の明快な回答は、私の疑問を氷解させ、「戒壇の大本尊」大石寺9世日有偽作説を見事に立証せしめてくれたようなものでした。

谷口一夫館長「また、わからないことがあったら、いつでも来て下さい」

谷口一夫館長は、著書があるりっぱな学者ですが、知識人的な親切さがにじみ出たような人でした。最後に、私が片手に谷口一夫館長の著書「武田軍団を支えた甲州金」を持っていたので、谷口館長が、その本の裏表紙に「著者 谷口一夫」と署名をしてくれた。

私は、谷口一夫館長と直接会見して、湯之奥金山でいつから金鉱の採掘がはじまったのか、ということを聞いて、その疑問が氷解したため、この谷口一夫館長のサインが、この時の記念として、あるいは証拠品として、後々に残るものとなっている。

谷口一夫著書2

谷口サイン3