■湯之奥・猪之頭線2・室町時代、日有が往還に使った上人路・「湯之奥・猪之頭線」2

 

□湯之奥・猪之頭線を実際に車で走って室町時代の大石寺9世日有の足どり調査1

 

さて私は車に乗って、再び県道に出て北上。「林道の入り口っていうのは、ここかな?」と思ったところを左折したのですが、再び細い農道の袋小路のような所に迷い込んでしまいました。

それでも眼前に毛無山が見えたので、毛無山の方向に狭い農道に沿って車を走らせて行くと、なんと農道が行き止まりになってしまいました。「あれれ、また道を間違えたかな」と思って、車をUターンさせて引き返し、途中、畑仕事をしていた老人に道を尋ねました。

○「山梨県の湯之奥に抜ける林道は、こちらではないのですか」

地元の人B「あー、それはこっちじゃないんだよ。もう一本、むこうの道なんだなあ」

○「もう一本むこうですか」

地元の人B「そうだあ」

○「その林道を走ってトンネルを抜ければ、山梨県の湯之奥まで、抜けられるんですよね」

地元の人B「んー、普段は抜けられるんだけども、ここんところ、台風やら大雨やらで、がけ崩れが起こっているみたいだからねー。今日は走れるかどうか、わからないよ」

○「がけ崩れですか」

地元の人B「そう。大雨が降ると、よくがけ崩れがおこる所だからねー。よしんばトンネルまでは抜けられても、山梨に入ってからが道が悪いからね-。行けるかどうかは、わからないよ。湯之奥に行きたいんだったら、遠回りだけども、本栖湖のほうから行ったほうがいいよ」

 

こんなやりとりがあって、私は三たび、県道に引き返しました。県道に引き返して、三たび北上。林道の入り口を探したのですが、しばらく走ると「湯之奥・猪之頭線林道入り口」と書かれた標識を見つけました。「あー、やっと見つけた」と思って、ようやく県道から林道・湯之奥・猪之頭線へと左折。すると前方から、地元の中年女性二人が歩いてきました。二人は地元では見かけない、品川ナンバーの車が走ってきたので、珍しそうに私が乗っている車をジロジロと見ていました。「ちょうどいい。この人たちにも聞いてみよう」と思い、見を聞いてみることにしました。

○「この道をまっすぐ行くと、湯之奥に抜けるトンネルに出るんですよねえ」

地元の人C「あー、出るけんどねえ。ここのところの大雨やら、台風やらで、がけ崩れがおこっているから、行かないほうがいいよ」

 

こんな感じで制止されてしまいました。私がここに来る数日前に、台風の影響によるものすごい豪雨が数日つづき、がけ崩れが起こっているということでした。しかし、私のほうも、せっかくここまで来て、引き返したのでは納得がいきません。そういうわけで、ここは地元の人たちの制止を振り切って、林道を毛無山に向かって走っていくことにしたわけです。

湯之奥線7 

 

□「鹿、熊が出没」する山間部を山梨県側に抜けていく往古の上人路・湯之奥・猪之頭線

 

そういうわけで、地元の人たちの制止を振り切って、林道・湯之奥・猪之頭線を毛無山にむかって車を走らせて行きました。農家の集落を抜けると、平原になり、さらに鬱蒼とした雑木林を抜けて、ひたすら毛無山へ。

「ここは富士宮市が管理する林道」という立て看板が見えてきたりしましたが、しっかり道路はつながっていて、がけ崩れの跡らしきものは見当たりませんでした。そう思って、どんどん車を走らせて行くと、ついにがけ崩れの現場に遭遇したというわけです。しかも前方右側には、「鹿、熊が出没。一般車進入禁止」の立て看板も。がけ崩れもさることながら、熊出没というのは、まずいですねえ。こんなに路面が悪い道路で熊に遭遇したら、それこそひとたまりもないでしょう。

湯之奥線3


まあ、林道・湯之奥・猪之頭線は、トンネルを抜けて、山梨県湯之奥地区に抜けられることは確認できたので、一旦、引き返すことにしました。

それにしても、熊出没の立て看板には、いささか驚きました。今の林道・湯之奥・猪之頭線は、農業や林業に携わる人が通行するのみ。猪之頭地区から離れてしまうと、民家は全くと言っていいほど見当たりません。このあたりは、富士山麓の平原で、鬱蒼とした森林になっている所も多いようです。だから熊などの動物が出没するのだと思われますね。

しかし日蓮正宗大石寺9世法主・日有が在世の1400年代から戦国時代、安土桃山時代、江戸時代前半まで、この毛無山一帯では、中山金山、茅小屋金山、富士麓金山といった、いくつもの金山で金鉱掘りが行われ、今の静岡県側からも、さかんに金山衆(かなやましゅう)やその関連の人たちが、毛無山に登り、往還がさかんだった所です。現に今でも、林道・湯之奥・猪之頭線の他に、静岡県富士宮市側から毛無山への登山道がいくつも残っているくらいです。

こういったことから、私は、今の林道・湯之奥・猪之頭線が、往古の昔、大石寺9世日有が大石寺と湯之奥金山、下部温泉、有明寺を往還したという「上人路」(しょうにんみち)に、間違いないと思いました。毛無山の山道も、大石寺9世日有は輿に乗るか、馬にまたがって行ったのでしょう。

少なくとも輿は、鎌倉時代にすでに存在しており、身分の高い人、高貴な人は輿に乗っていました。朝廷の皇族、公家、貴族は、牛車に乗って遠方に出かけていました。時代劇でも、こういうシーンは出てきますねえ。湯之奥金山の金を手に入れて、莫大な経済力を持っていた大石寺9世日有にとって、牛車や輿に乗ることぐらい、簡単なことだったでしょう。

湯之奥線5