■金沢市安江金箔工芸館1・日有が偽作した「戒壇の大本尊」金箔加工の調査1

 

□金箔に関する工芸館としては全国でも珍しい博物館・安江金箔工芸館

 

□大石寺の『戒壇大本尊』は9世日有の偽作だ

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_161878.html

□戒壇大本尊は9世日有の偽作だ001080

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_628700.html

□戒壇大本尊は9世日有の偽作だ081150

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_628705.html

□戒壇大本尊は9世日有の偽作だ151200

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_628708.html

日蓮正宗大石寺の「戒壇の大本尊」なる板本尊の偽作問題を掘り下げて研究していく上において、「金箔加工」「金」は、研究の大きなテーマである。それは、「戒壇の大御本尊」なる板本尊は漆塗りの上に、文字の部分が金箔加工が施されているからである。

鎌倉時代の身延山中で、日蓮は極貧の生活をしていた。これは日蓮の遺文に明らかである。

「飢渇申すばかりなし。米一合も売らず。餓死しぬべし。此の御房たちもみなかへして、ただ一人候べし」(『富木殿御書』・御書全集p730・日蓮53才・文永11517)

日蓮54才の時の「乙御前御消息」(御書全集p898899・建治元年84)では

「日蓮を不便(ふびん)と申しぬる弟子どもをも、たすけがたからん事こそ、なげかしくは覚え候へ」

日蓮57才の時に書いた「兵衛志殿御返事」(弘安元年1129)では

「雪かたくなる事金剛のごとし。今に消ゆる事なし。昼も夜も寒く冷たく候事、法にすぎて候。酒は凍りて石のごとし。油は金に似たり。鍋・釜に小水あれば凍りて割れ、寒いよいよ重なり候へば、着物うすく、食乏しくして、さしいづるものもなし」・・・・(御書全集p1294)

「坊は半作にて、風、雪たまらず、敷物はなし。木はさしいづるものもなければ火もたかず。古き垢づきなんどして候、小袖一つ着たるものは、其の身の色、紅蓮・大紅蓮のごとし。声は波々大波々地獄にことならず。手足寒じて切れさけ人死ぬことかぎりなし」 (御書全集p1295)

「去年の十二月の三十日より、はらのけ(下痢)の候ひしが、春夏やむことなし。秋すぎて十月のころ大事になりて候ひしが、少しく平癒つかまつりて候へども、ややもすれば起こり候に・・・」

「此の二つの小袖なくば、今年は凍死に候ひなん」・・・・ (御書全集p1295)

日蓮58才の時には「上野殿御返事」(弘安21227)の中で次のように述べている。

「・・・五尺の雪ふりて本よりも通わぬ山道ふさがり、訪いくる人もなし。衣も薄くて寒ふせぎがたし。食たへて命すでに終はりなんとす・・・」(御書全集p1437)

日蓮・草庵跡5 

その日蓮に、金を入手したり金箔加工を行う経済力がなかったことは明らかであり、「戒壇の大本尊」なる板本尊に金箔加工が施されていること自体、後世の偽作である証拠に他ならない。

しかしこの偽作論を掘り下げて行くに当たっては、金や金箔、金箔加工について、科学的・学問的に研究を積み重ねて行かなくてはならない。それは、いつ、誰が、どうやって、「戒壇の大本尊」を偽作したのか、という謎の解明に繋がっていくからである。

金について科学的・学問的に研究をしていく上で、訪問したところは、けっこうたくさんあります。

石川県金沢市の安江金箔工芸館、新潟県佐渡市の史跡佐渡金山・金山資料館、山梨県身延町の湯之奥金山博物館、栃木県日光市の足尾銅山観光・銅山資料館、東京都中央区の日本銀行金融研究所貨幣博物館、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館、宮城県仙台市の東北歴史博物館、秋田県鹿角市の史跡尾去沢鉱山・鹿角市鉱山博物館、静岡県伊豆市土肥金山黄金館、兵庫県朝来市の生野銀山・鉱山資料館…等々である。

安江金箔工芸館は、これらの研究の一環として訪問しました。

 

この安江金箔工芸館とは、金沢で一、二といわれた金箔打ち立て師であった安江孝明氏が、私財を投じて金沢市北安江の地に金箔に関する工芸館を建設し、氏が収集した美術工芸品や金箔製造用具を一般に公開したのがはじまり。当初は、本館1棟で開館したのだが、入館者の増加とともに建物が狭溢になり、1980(昭和55)年、新たに増築して私立の博物館として開館した。

そしてこの施設を公の施設として運営すべく財団法人安江金箔工芸館として登録。

さらに1982(昭和57)年には、金箔に関する工芸館としては、全国でも珍しい博物館として、博物館法による財団法人安江金箔工芸館として登録。

1985(昭和60)年、財団法人安江金箔工芸館理事長で創設者の安江孝明氏が、本館、敷地、美術工芸品、金箔道具、製品見本等々の所蔵品一式を金沢市に寄贈。

これ以降、金沢市立安江金箔工芸館として開館している。

私がここを訪れ、館内の展示もさることながら、ここの学芸員の方と単独会見したことが、金の研究、偽作論の展開にとって、大きな前進になったのであった。

 

ところで金沢市立安江金箔工芸館は、201010月、装いも新たに金沢市北安江から東山に移転オープンしている。私がはじめて安江金箔工芸館を訪問したのは、移転オープンする前の、北安江にあったときのことである。

北安江という所は、金沢駅西口から、そんなに遠くない所。1990年代に入って北陸新幹線・金沢駅建設工事で、金沢駅西口周辺が整備されましたが、安江金箔工芸館は金沢駅西口周辺が整備される以前からあったようです。