■金沢市安江金箔工芸館3・日有が偽作した「戒壇の大本尊」金箔加工の調査3

 

□金沢市立安江金箔工芸館・学芸員との単独会見記2

 

私と学芸員との話は、「日蓮は金箔加工が自力でできなかったのか」という話題から、はじまりました。

学芸員「日蓮が自分で金を手に入れて、その板本尊に金箔加工をしたということはあり得ないのですか」

○「それは絶対にあり得ません。その第一の証拠が、日蓮自らが書き記して今日に残っている遺文(御書)です。その中には、身延入山後、日蓮が極貧の生活をしていたことが書き記されています。

「飢渇申すばかりなし。米一合も売らず。餓死しぬべし。此の御房たちもみなかへして、ただ一人候べし」(富木殿御書・御書全集p730・日蓮53才・文永11517)と述べている。

つまり「飢餓状態はひどいものだ。米一合も売ってもらえない。餓死するかもしれない。ここにいる僧たちも養うことができないので、皆、里へ帰した。今はただ一人この山にいる」と言っている。

日蓮54才の時の「乙御前御消息」(御書全集p898899・建治元年84)では

「日蓮を不便(ふびん)と申しぬる弟子どもをも、たすけがたからん事こそ、なげかしくは覚え候へ」

日蓮55才の時の「南条殿御返事」(御書全集p974・建治2年閏324)では

「各々も不便(ふびん)とは思へども、助けがたくやあらんずらん」と述べている。

さらに日蓮57才の時に書いた「兵衛志殿御返事」(弘安元年1129)では、

「雪かたくなる事金剛のごとし。今に消ゆる事なし。昼も夜も寒く冷たく候事、法にすぎて候。酒は凍りて石のごとし。油は金に似たり。鍋・釜に小水あれば凍りて割れ、寒いよいよ重なり候へば、着物うすく、食乏しくして、さしいづるものもなし」・・・・ (御書全集p1294)

「坊は半作にて、風、雪たまらず、敷物はなし。木はさしいづるものもなければ火もたかず。古き垢づきなんどして候、小袖一つ着たるものは、其の身の色、紅蓮・大紅蓮のごとし。声は波々大波々地獄にことならず。手足寒じて切れさけ人死ぬことかぎりなし」 (御書全集p1295)

「去年の十二月の三十日より、はらのけ(下痢)の候ひしが、春夏やむことなし。秋すぎて十月のころ大事になりて候ひしが、少しく平癒つかまつりて候へども、ややもすれば起こり候に・・・」

「此の二つの小袖なくば、今年は凍死に候ひなん」・・・・  (御書全集p1295)

 

「富木殿御書」「乙御前御消息」「兵衛志殿御返事」「上野殿御返事」…これらの日蓮の遺文(御書)によれば、米一合もない。餓死するかもしれない。僧たちも養うことができないので、皆、里に送り返した。 食は乏しく信者から供養もない。下痢が起こっている。小袖がなかったら、凍死していたかもしれない。・・・ まさに日蓮は飢え死寸前の状態だったということです。 そのような人物に金を入手できる経済力はなかったことが明らか。金を入手していたら、こんな極貧・飢え死寸前の生活をしているはずがありません」

日蓮・草庵跡5 

学芸員「誰かが、たちえば日蓮の弟子とかが、日蓮に金を供養したということは、あり得ませんか」

○「あり得ません。日蓮は弟子や信者からなにがしかの供養を受け取ると、その返礼に手紙を書いており、それが今日、遺文(御書)として残っているわけですが、日蓮が金の供養を受けて、その返礼に書いた遺文(御書)は、ひとつもありません。

金銀の貨幣化は、甲斐の国(山梨県)の戦国大名・武田信玄が湯之奥金山など自国の領地内にあった金山から産出した金を使って「甲州金」という貨幣制度をつくった室町時代後期以降のことで、鎌倉時代の金銀は、まだ素材価値的商品の域を脱していませんでした。それは、中世中期までは、社会全体がまだ一般に自給自足的荘園経済の上に立っており、土地こそが社会の経済的基礎であり、個人にとっては財産そのものの代表的形態であったためです。もちろん、時代が進むにつれて商業が発展し、それにともなって商品・貨幣の流通化は進んで行ったとはいえ、全国的に見れば、その取引規模はきわめて限られており、したがって、巨額の通貨はまだ不要で、取引の手段は、銅銭で十分賄いうるものでした。

金銀は、当時の日本においても貴重な財貨ではありましたが、しかしそれらはもっぱら天皇・皇族・貴族・将軍家・得宗家・武家・富豪等の権威・財力・経済力の象徴か、贈答・進献用、または中国の銅銭(宋銭)輸入の対価物の域にとどまり、国内一般社会において流通機能を果たしたのは、主に銅銭です。日本からの有力な輸出品であった金を産出する陸奥の国の産金地帯は、鎌倉幕府は直轄領としており、特に執権・北条氏は得宗家の得宗領としていました。鎌倉時代において、金の権益は、鎌倉幕府が実質的に独占していました。鎌倉時代の当時、金は今日のように自由に流通しておらず、金は鎌倉幕府の北条得宗家が独占していました」

学芸員「鎌倉幕府が日蓮に金を供養したということはあり得ませんか」

○「それは、あり得ません。日蓮は宗旨建立以来、一貫して鎌倉幕府とは敵対関係にありました。それは身延山に入山した後も同じです。そのような日蓮に、鎌倉幕府が金を供養するなどということはあり得ません。日蓮が、鎌倉幕府から金を供養されたという文献、史料、証拠はひとつもありません。日蓮が、鎌倉幕府から金を供養されていたら、日蓮が身延山中で極貧の生活をするはずがありません。又、身延山中で極貧生活をしていたと遺文(御書)に書き残すはずがありません」

学芸員「日蓮が、それだけの信仰心を持っていたのですから、その信仰心を以て、どこからか金を入手した可能性はありませんか」

○「それはあり得ません。私は、あくまでも科学的、学術的な証拠を求めており、ここへ来たのも、その証拠を求めてのことです。科学的、学術的な証拠から言えば、日蓮が書き残した遺文(御書)からして、日蓮が金を全く入手していなかったことは明らかです。又、日蓮は、金の権益を独占していた鎌倉幕府とは終始、敵対関係にあり、金を入手することは不可能でした」