■川越・喜多院6(他宗僧の天台宗檀林に入学・修学を否定)

 

□天台宗談義所が天台宗僧限定になったのは江戸時代以降の可能性が高い

 

喜多院の受付で売っていた小冊子を買って読みましたが、大まかな歴史の概略は載っていたのですが、恵心流とか日蓮宗の僧が天台宗談義所に来ていたとかは載っていなかったので、「やはり僧侶に聞いてみるしかないな」と思い、再び慈恵堂(本堂)へ。

まずは正面のお賽銭箱に賽銭を入れて合掌・参拝。

本堂横の受付に行くと、先程の若い僧侶が二人。お守りを売っていたので、まずは「勧学除災お守り」を購入。すると若い僧侶が「これは学生さん用ですよ」

?。一般の人が買っちゃいけないんですか」

「いえ、そういうわけではありませんが」

こんなやりとりがあって、結局、お守りを購入。こういう話しから僧侶に質問。

 

○「先程、庫裡の受付で売っているとおっしゃっていた本は、これですね」

僧「そうです。それですね」

○「この本の中に、かつて喜多院には、室町時代の頃、天台宗談義所があり、無量寿寺は関東地方の天台宗総本山であったと書かれていますが、この天台宗談義所に、日蓮宗などの他宗の僧侶が入学して修学したということは、あったのでしょうか」

僧「んー。談義所というのはここだけではなく、となりの中院もありますし、今は廃寺となった南院もありましたから」

 

なんとなく僧侶の会話の姿勢が、逃げかかっているのがわかりましたから、ここでちょっと強めにプッシュしました。

 

○「そりゃ確かに、中院や南院もあったでしょうが、しかし喜多院も中院も南院も、関東天台宗総本山の無量寿寺の子院だったわけでしょう」

僧「…」

○「質問の主旨はこういうことです。実は、室町時代の日蓮宗・富士門流の本山法主の座に登り詰めた複数の人物が、修行僧(所化僧)だったころに、武州仙波の天台宗檀林で修学したと書いてある古文書があるのです。仙波というのは、ここ川越でしょ。川越の天台宗談義所といったら、無量寿寺の喜多院か、中院か、それしかないじゃないですか。そこを確認したいのです。

これが天台宗の古文書に書いてあるなら、わざわざここに来て確認する必要はありません。しかし日蓮宗側の古文書に書いてあるので、ここに確認に来たわけです」

僧「いやー、天台宗の檀林というのは、あくまで天台宗の僧侶が学問する所ですから。他宗の僧侶は来ていないはずです。それに、だいたい日蓮宗の僧侶が、天台宗の教学を修学するというのは、どうなんでしょうか」

喜多院4


○「日蓮宗という所は、宗派は関係なく、僧侶は天台宗の教学を修学している所です」

僧「あー、そういえば、そんな話しを聞いたことがあります。たしか戦前までは日蓮宗の僧は天台教学を勉強していたと聞きました。

しかし天台宗の檀林というのは、あくまで天台宗の内々の学問所ですから、天台宗以外の僧が入学して修学したとは考えにくいですね。入ったとしてもよほど天台宗僧侶と繋がりの深い浄土宗の僧とか。ほんのごく一部に限られた話しだと思います。」

 

日蓮宗や富士門流、日蓮正宗の僧が天台教学を修学しているのは、何も戦前までの話しではなく、今でもそう。

喜多院の僧侶は、他宗他門流の僧侶が天台教学を修学しているのは認めるにしても、天台宗の檀林に入学して天台教学を修学することは、とても考えられないと強く否定する見解であった。

この僧は、私の質問に対して率直な所感を述べたものだと思う。

「天台宗の談義所に、天台宗以外の僧が入学して修学したとは考えにくい」との見解は、室町時代のことというより、むしろ日蓮宗や各宗派で談義所や檀林がさかんに設立された江戸時代以降のことなのではないだろうか。

日蓮宗でも京都、千葉県あたりを中心に安土桃山時代から江戸時代にかけて、たくさんの檀林が設立され、ここで多くの学僧が修学している。江戸時代になると、それこそ日蓮宗の中でも、どの門流はどこの檀林ということがほぼ決まっていた。だから各檀林に入学していた学僧は、それぞれの檀林を経営・運営していた門流の学僧である。

だから「天台宗の談義所に、天台宗以外の僧が入学して修学したとは考えにくい」との見解は、江戸時代以降のことなのではないか。

私が聞きたかったのは、そういう日蓮宗の檀林が各地に開設される以前の室町時代の話し。

喜多院の僧侶は、ウソは言っていないと思いますが、しかし私としては、この僧侶との質疑応答で、少しフラストレーションが高まりました。

ただし、この「室町時代から戦国時代にかけて天台宗檀林に日蓮宗僧が入学して修学していたのか」については、ここで終わったのではなく、さらにその後、検証がつづいていく。