■川越・中院1(天台宗八箇檀林・日蓮伝法灌頂の寺)

 

□日蓮伝法灌頂の寺院にあった天台宗談義所で日蓮宗僧が修学していた、ということか

 

恵心流中古天台宗口伝法門や天台宗談義所に日蓮宗僧が入檀していたか、という謎を追って、喜多院の次に、となりの中院を訪ねました。堂宇は、喜多院、仙波東照宮、中院というふうに並んで建っている。中院の正式名は星野山無量寿寺中院で、今も無量寿寺の寺号を残している。

中院は、星野山無量寿寺の仏地院だった所で、ここに天台宗談義所が置かれていた。

ただは中院の場所は、当初から当地にあったのではなく、今の仙波東照宮があった所にあり、仙波東照宮ができるに当たって、今の地に移転したもの。

喜多院が栄えるようになったのは、江戸時代に天海大僧正が再興して以降であり、もともとの天台宗談義所は仏地院(中院)にあった。

そういうことから中院も訪問。

中院の三門には「元関東八箇檀林」「天台宗別格本山」という看板が出ている。

この関東八箇檀林なのですが、中世の天台宗檀林は

長野県・津金寺、埼玉県川越市・中院、埼玉県児玉郡・大光普照寺、千妙寺、茨城県桜川市・月山寺、茨城県稲敷市・江戸崎不動院、栃木県芳賀郡・宗光寺、茨城県水戸市・薬王院、逢善寺、千葉県長生郡・長福寿寺、群馬県前橋市・龍蔵寺、群馬県渋川市・真光寺、滋賀県米原市・円乗寺にあったとのこと。

関東八箇檀林というからには、八箇所の檀林だったと思われるのだが、しかし、埼玉県、茨城県、千葉県、栃木県、群馬県にあった天台宗檀林は少なくとも九箇所以上ある。

ということは、1ヶ寺が関東八箇檀林に入っていないと言うことになるが、どれが入っていないのか、不明。詳しい方、教えていただけたら幸いです。

 

さて中院の三門前には、「日蓮上人伝法灌頂之寺」と書いた石塔が建っています。

中院6 





















伝法灌頂とは、僧侶の阿闍梨号を授与する儀式のこと。

「伝法灌頂」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9D%E6%B3%95%E7%81%8C%E9%A0%82

「日本密教では、四度加行(しどけぎょう)という密教の修行を終えた人のみが受けられる。正しくは金胎両部伝法灌頂(こんたいでりょうぶ・でんぽうかんぢょう)という。ここで「金・胎」とは、中期密教の宇宙的世界観を表す金剛界(こんごうかい)と胎蔵界(たいぞうかい)を意味する。

インドに始まり、日本密教や中国密教、チベット密教においては、この灌頂によって、密教の奥義がすべて伝授され、弟子を持つこと(教師資格)が許される。また、密教においては仏典だけに捉われず、口伝や仏意などを以って弟子を指導することができることになる。更には、正式に一宗一派を開くことが出来るともいわれ、それ故、阿闍梨灌頂、または受職灌頂ともいう」

 中院1








フリー百科事典・Wikipediaの情報ですが、こんな感じで載っています。

灌頂(かんじょう)とは、主に密教で行う、頭頂に水を灌いで緒仏や曼荼羅と縁を結び、種々の戒律や資格を授けて正統な継承者とする為の儀式。

「灌頂」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%8C%E9%A0%82

「伝法灌頂(でんぼうかんじょう)、金胎両部伝法灌頂

阿闍梨という指導者の位を授ける灌頂。日本では、鎌倉時代に興教大師の十八道次第を先駆とし成立した「四度加行」(しどけぎょう)という密教の修行を終えた人のみが受けられる。ここで密教の奥義が伝授され、弟子を持つことを許される。また仏典だけに捉われず、口伝や仏意などを以って弟子を指導することができ、またさらには正式に一宗一派を開くことができるともされる」

 

つまり日蓮は、中院で尊海より伝法灌頂を受けたとされている。

日蓮が伝法灌頂を受けたということは、日蓮は天台宗の阿闍梨号を持っていたということになるが、日蓮の阿闍梨号は何というのか。どこかで「日蓮阿闍梨御房」と書いた遺文があったと思うが、日蓮の名は阿闍梨号ではないでしょう。

日蓮は、安房・清澄寺で出家得度し、その後、長く比叡山延暦寺や南都六宗等々で修学しているわけだから、比叡山延暦寺で授戒・灌頂したものと考えられる。

しかし阿闍梨号の伝法灌頂は中院で授けられた、ということか。

実際に日蓮が中院で伝法灌頂を受けたのか、単なる寺伝として今日に伝わっているのか、そのあたりのところは定かではない。

しかし仮に寺伝であったにせよ、「日蓮が無量寿寺の仏地院(中院)で伝法灌頂を受けた」ということが、日蓮宗各門流に伝播され、そのように日蓮宗僧が認識していたとすれば、無量寿寺の天台宗談義所に日蓮宗僧が入檀・修学していた、というのが、わかるような気がする。

日本仏教界では、聖武天皇の時代から中世のころまで、日本三戒壇、延暦寺、唐招提寺の戒壇で授戒した僧のみが、朝廷に僧として認められる、ということが長くつづいた。

平安時代から鎌倉・室町時代にかけて、「勅願寺」「祈願寺」という形で朝廷公認の宗旨が像化していく。日蓮宗では京都・妙顕寺がはじめて日蓮宗として「勅願寺」になっている。

日蓮宗の檀林が関東・京都周辺の各地に設立されていくのは、室町時代後期以降のこと。

それまでの間、日蓮宗僧は天台宗檀林で修学した。宗祖日蓮も延暦寺で修学し、天台宗で授戒・伝法灌頂を受けた。

天台宗で授戒、天台宗檀林で修学し、天台宗で伝法灌頂を受けたということならば、その僧が天台沙門と名乗るのは、普通の道理ということになる。

中院3