■川越・川越市立博物館1(天台宗檀林・恵心流の謎を追って)

 

□女性職員に引っ張られて「わからないこともあるからなあ」と言いながら渋々出てきた学芸員

 

喜多院で僧侶の話を聞くことはできたのですが、どうも消化不良な感じがぬぐいきれないため、「天台宗檀林に日蓮宗僧が入学して修学していたのか」「大石寺の日蓮本仏義は本当に中古天台宗教学『恵心流』のパクリなのか」の謎を追って、私は川越の小江戸巡回バスに乗って、川越市立博物館に入りました。

川越市立博物館とは、川越城の北側にあり、二の丸跡地に川越市制60周年を記念して建てられたもの。外観は、川越の蔵造りの家をイメージしたような建物になっている。実際の蔵造りは黒っぽい家ですが、ここは全体が白っぽい色になっている。

博物館に行けば学芸員がいるはずだし、川越の歴史を織り交ぜて、学芸員から話が聞けるのではないかと思い、けっこう期待して博物館の中に入っていった。

川越市立博物館の建物は、けっこう真新しい建物。中の常設展示は、まことにわかりやすい展示が、所狭しと並んでいる。かなり資金を掛けて造られているのがわかる。

常設展示室は、大小5室ぐらい。広い部屋にも小さい部屋にも、川越に関するさまざまな展示が、ぎっしりと並んでいて、あっちこっちで博物館の女性係員が、見学者に対して熱心に説明している姿が目を引いた。

「熱心な人たちだな」と思いました。見学者も熱心だし、係員の方も熱心。私もいろいろな博物館や史料館・資料館を見学に行きましたが、あまりこういう熱心な光景は、見かけませんでした。

無量寿寺、喜多院、中院は、もちろん川越市内にある寺院。中世のころは、天台宗580余寺の本山だったというから、当然、学者としての学芸員の視点や見解があるはず。

その前に、博物館内の常設展示をひととおり見学。

常設展示は、縄文・弥生・大和・奈良・平安・鎌倉・室町・江戸・明治と時代毎に展示が別れていたが、展示の中心は、どうも江戸時代という感じがする。

もっとも喜多院が最も栄えたのが江戸時代だし、代々の川越城主は、幕府の大老、老中をつとめた人物が何人もいるとのこと。

さらに新河岸川を使って江戸に米が運搬されていたということで、水運を中心にした経済が栄えたと言うことで、まず川越市立博物館の常設展示のメインは、江戸時代のもの。

次いでメインは明治時代。明治に川越の大火があり、その時に蔵造りの家が焼けずに残ったということで、川越復興にあたり、次々と蔵造りの家ができた。これが川越の伝統的建造物保存地区になっているということで、明治時代の川越の大火に関する展示もメインのひとつ。

その他の時代に関しては、わりと簡単に済ませている感じがする。

川越市立博1 

鎌倉・室町時代における尊海の無量寿寺の再建に関しても、無量寿寺が再建されて、仏地院(中院)に談義所がおかれて、学僧を輩出し、関東天台宗500余寺の本山になったということが書いてあるだけ。

それ以上の詳しい展示・説明はなし。

「これじゃあ、学芸員に聞いてみるしかないな」と思い、博物館内にいた女性職員に

「これ以上の詳しい事情を知りたいのですが」

と聞いてみると、職員は

「申し訳ございません。これについては専門の学芸員がおりますので、学芸員をよんで来ます」

と言って、奥の方に引っ込んでいって、学芸員を呼びに行った様子。

専門的な説明のために学芸員が出てくる、というのは、博物館や資料館での定番である。

私としては、ここで学芸員の話が聞けるなら、学者としての視点の専門的見解が聞けるのではないかと期待したわけです。

ところが女性職員に引っ張られて、中年男性の学芸員が出てきたのですが、この人、最初から

「いやー、どうだろうなあー。わからないこともあるからなあー」

という感じで、渋々出てきたという感じ。

一見して「やる気あるの」というふうに見えました。