■京都妙顕寺1(三門の寺号額に皇室の菊花紋章を使っている)

 

□三門の寺号額に皇室の菊花紋章を使っている日蓮宗七大本山・京都妙顕寺

 

京都妙顕寺とは、日蓮宗七大本山のひとつで、日蓮から京都弘教を附属された日像が開山となった寺院。具足山妙顕寺という。南北朝時代、朝廷から日蓮大菩薩、日朗菩薩、日像菩薩号が下賜され、日蓮宗で唯一の勅願寺になっている寺院である。

日蓮宗七大本山とは、池上本門寺、小湊誕生寺、千光山清澄寺、中山法華経寺、北山本門寺、京都本圀寺、京都妙顕寺の七ヶ寺。身延山久遠寺は祖山・総本山。日蓮宗七大本山のひとつということで、かつて京都妙顕寺貫首が日蓮宗管長になったこともあった。

妙顕寺、妙覚寺、立本寺の三寺で「龍華の三具足(りゅうげのみつぐそく)」と呼ばれている。龍華とは、開祖・日像の「肥後阿闍梨龍華院」から来ている。

平成25(2013)に大覚大僧正650遠忌を迎えるということで本堂が工事中でありました。

大覚(12971364)とは妙実ともいい、妙顕寺4世。

1358年(延文3年)後光厳天皇の命により、雨乞いの祈祷を行い効験が現れた。この功績により、日蓮に大菩薩号、日朗に菩薩号、日像に菩薩号が下賜され、大覚は大僧正に任じられた。

大覚は備前法華の祖と仰がれている。

ここは日蓮宗唯一の勅願寺ということで、三門の寺号額には、皇室の菊の紋章が使われている。菊の紋章は、勅使門にも使われている。

「菊花紋章」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E8%8A%B1%E7%B4%8B%E7%AB%A0

鎌倉時代には、後鳥羽上皇がことのほか菊を好み、自らの印として愛用した。その後、後深草天皇・亀山天皇・後宇多天皇が自らの印として継承し、慣例のうちに菊花紋、ことに十六八重表菊が皇室の紋として定着した(「十六弁菊は南朝の紋で、三十二弁菊(十六弁八重菊)は北朝(および現皇室)の紋である」との説明も見かけるが根拠不明である)。

江戸時代には幕府により葵紋とは対照的に使用は自由とされ、一般庶民にも浸透し、この紋の図案を用いた和菓子や仏具などの飾り金具が作られるなど各地に広まった。

菊紋のうち、八重菊を図案化した菊紋である十六八重表菊は、日本の天皇及び皇室を表す紋章である。俗に菊の御紋とも呼ばれる。親王などの皇族はこの紋の使用が1869年(明治2年)の太政官布告をもって制限され、1926年(大正15年)の皇室儀制令(大正15年皇室令第7号)13条発布を経て「十四裏菊」や「十六裏菊」に独自の図案を加えたもの(有栖川宮家・伏見宮家など)や「十六八重表菊」を小さな図案によって用いたもの(秩父宮家・三笠宮家・久邇宮家など)を各宮家の紋としている。

妙顕寺2


 




















1867年(慶応3年)328日の太政官布告第195号で、提灯・陶器・貢物などに菊紋を描くことを禁止され、1869年(明治2年)825日の太政官布告第803号で、社寺で使用されていた菊紋も、一部の社寺[6] を除き一切の使用が禁止された。「十六八重表菊」が公式に皇室の紋とされた。

1871年(明治4年)617日の太政官布告第285号で、皇族以外の菊花紋の使用が禁止され、同第286号で、皇族家紋の雛形として十四一重裏菊が定められた。その後、徐々に社殿の装飾や幕・提灯に菊紋の使用を許され、1879年(明治12年)522日の太政官達第23号で、一般の社寺でも神殿・仏堂の装飾として使用することが許されている。

現在でも日本の在外公館の玄関には、国章の代わりとして菊花紋章の浮き彫りがある。また、日本国発行の旅券の表紙にも菊花紋章をデザイン化したものが使われている[10]。国会議員の議員記章には「十一菊」の図案が使用されている。自民党の党章も、「陰十四菊」の中央に“自民”の文字を入れたものである。そのほか、菊花紋は日本の勲章の意匠にも取り入れられるなど、菊は桜と並び、国花に準じた扱いを受ける。日本の国章に準じた扱いを受け、法的には国旗に準じた扱いを受けるため、それに類似した商標等は登録できない(商標法第4条第1項第1号)。国際的にも、十六八重表菊は、工業所有権の保護に関するパリ条約第6条の3に基づいて、1967年に同条約の同盟国に通知されており、これらの国では商標登録をすることができない。

「菊花紋章」

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E8%8A%B1%E7%B4%8B%E7%AB%A0

 

日本国内では、菊の紋章は、一般的には「皇室の紋章」として有名。今は、豊島区の旗に使われており、日本国旅券の表紙に使われている。

皇室や国以外では、天台宗が宗章として使っており、街宣右翼も菊の紋章を使っている。

日蓮宗では、菊の紋章を伽藍堂宇に使っている寺院は、他に見かけないですね。菊の紋章を使っていると、見る人は、ここは「特別な寺院」という印象を持つと思います。

 

妙顕寺の堂宇は、本堂、三菩薩堂、鬼子母神堂、御真骨堂、書院、庫裡、勅使門、大客殿、塔頭等がある。塔頭は久本院、十乗院、泉妙院、法音院、恩命院、善行院、本妙院、實成院、教法院の九院ある。妙顕寺の場合、日蓮木像、日朗木像、日像木像を祀る三菩薩堂が、他の日蓮宗寺院の祖師堂にあたる。

妙顕寺は、京都市の市街地の中にあるのですが、勅願寺、日蓮宗七大本山といわれるだけあって、境内は広い。しかし京都の市街地であるため、妙顕寺の周囲は、民家やビルが所狭しとぎっしり建ち並んでいる。だから、一般的な寺院のイメージである人里離れたところにある寺院というイメージはない。

妙顕寺22三門