■京都妙顕寺3(大石寺の客殿・勅使門は妙顕寺の客殿・勅使門のパクリ2)

 

□対外的には「不開門」と言い自宗の信者には「勅使門だ」と二枚舌を使って騙している大石寺

 

前回の大石寺の客殿・勅使門パクリ問題の日記に関連して、賢明なるお方から

「大石寺の勅使門はその頃(大石寺9世日有の代)からあったのですか?

また当時勝手に勅使門の五本線の使用をして、処罰の対象となったりはしないのでしょうか?

寺社奉行などは当時誰だったのでしょうか?

門跡でもないのにこれほどまで身勝手な建立などにも目が届かなかったのでしょうか?」

との、まことに鋭いご質問を頂きました。まことにありがたいことであります。ここにご質問に対しまして、ご回答いたしたいと思います。

 

□大石寺の勅使門はいつごろからあったのか

 

大石寺の公式見解では、勅使門の創建時期については「創建は明らかではない」としています。

大石寺の最も古い古図は、室町時代の大石寺14世日主の古図ですが、これを見ると、今の大石寺の鬼門、客殿、勅使門、大坊・内事部、大書院、宝蔵、奉安殿がある一角が、まとめて「大坊」となっており、この時期に勅使門があったのかどうかは不明。これは江戸時代の古図も同じです。

つまり大石寺の文献を見ても、勅使門がいつ創建されたのかどうかが、不明のままです。

しかし、「戒壇の大本尊」大石寺9世日有偽作説などを追及していく中で、大石寺の勅使門は大石寺9世日有が、京都妙顕寺の客殿・勅使門のパクリで創建した、という結論に至りました。

では、なぜ大石寺の勅使門が大石寺9世日有が創建したと言えるのか。

1に、大石寺の68人の法主の中で、唯一、京都天奏の経験があること。なかんずく、「天皇の勅使がまみえて、そのために勅使門が必要」というシステムを知っていたことです。

もちろん、現代であれば、こういうことは、ちょっと研究している人であれば、誰でも知っていることです。しかし、天皇が完全な雲の上の神様のような存在で、殿上人しか天皇に拝謁できなかった時代の人が、はたしてどれだけの人が、このシステムを知っていただろうか。

つまり大石寺9世日有は、実際に京都に行って天奏を行った経験があったからこそ知っていたのではないかと考えられるわけです。

2に、勅使門がある寺院は、京都妙顕寺の他、臨済宗建仁寺派大本山・建仁寺、京都市右京区嵯峨野の天台宗寺院・二尊院、臨済宗天龍寺派大本山・天龍寺、真言宗御室派総本山・仁和寺、臨済宗大徳寺派大本山・大徳寺、臨済宗妙心寺派本山・妙心寺、臨済宗東福寺派大本山・東福寺、臨済宗南禅寺派大本山・南禅寺、曹洞宗大本山永平寺など、大石寺、永平寺を除けば圧倒的に京都にある寺院です。臨済宗の寺院が多いのですが、しかし鎌倉にある臨済宗大本山である建長寺、円覚寺には、勅使門がありません。したがって、京都天奏ならずとも、京都に行った経験がなければ、勅使門の存在すら知り得なかったのではないかと考えられます。

妙顕寺10勅使門 

 








3に、これは「勝手に勅使門の五本線の使用をして、処罰の対象となったりはしないのでしょうか?寺社奉行などは当時誰だったのでしょうか?門跡でもないのにこれほどまで身勝手な建立などにも目が届かなかったのでしょうか?」との質問とも関連しますが、中央政府の軒局が弱体化していた室町時代であったからこそ、「勅使門の無断パクリ」ができたのではないかと考えられます。これが安土桃山時代や江戸時代以降、中央政府の権力・統制が強力だった時代に、勅使門の無断パクリを行おうものなら、仰るように、たちまち処罰されたことで、ありましょう。

で、ありますから、大石寺の勅使門無断パクリは、中央政府の権力・統制が強力だった安土桃山時代や江戸時代以前の室町時代に行われたものと、考えられます。

4に、大石寺9世日有が勅使門無断パクリを行った根拠は、日有が偽作した「日興跡条条事」第二条の「弘安五年の御下文」の文です。これは「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」の

□大石寺の『日興跡条条事』は大石寺9世日有の偽作だ

http://anti-nichirenshoshu.doorblog.jp/archives/cat_193002.html

こちらを御覧ください。

 

□勅使門の無断パクリは処罰の対象にならなかったのか

 

ここが大石寺の狡猾なところだと思います。

大石寺の勅使門の場合は、正式名称「不開門」で、別名「勅使門」であること。つまり、大石寺に言わせると「広宣流布の暁は、天皇が帰依して勅使が大石寺に来る。それまで決して開けられることがないから不開門という。大石寺に来た勅使は、不開門を通るので、ここが勅使門とも言う」と、こういう言い方をしています。大石寺の正式文献を見ても「不開門」という名前で載っており、別名「勅使門」となっています。

それと、大石寺は勅使門(不開門)には、菊花紋章を使っていません。五本線というのは、記憶にありません。菊花紋章を使っていないというのは、仰る「処罰逃れ」の可能性が高いと思われます。現代では菊花紋章の使用は、表向きは自由になっていますが、民間人が菊花紋章を使うと、宮内庁から「問い合わせ」が来るとのこと。実質的に「勝手に菊花紋章を使うな」という圧力だと言われています。

つまり大石寺は、対外的には「不開門」と言いながら、自宗の信者には「勅使門だ」と言う二枚舌を使っている、ということです。これは大石寺の得意技のひとつです。

例えば、大石寺の自称「日蓮の墓」もそうです。対外的には「三師塔だ」「廟だから墓ではない」と言いながら、自宗の信者には「あれは日蓮大聖人の御墓です」と言っている。大石寺得意の欺瞞であります。