■京都妙顕寺4(大石寺の客殿・勅使門は妙顕寺の客殿・勅使門のパクリ3)

 

□往古の昔から勅使門、客殿、庫裡等の堂宇の配置は変わっていない京都妙顕寺

 

大石寺による京都妙顕寺客殿・勅使門パクリ問題で、私が注目しているのは、勅使門と客殿の位置です。勅使門は、臨済宗建仁寺派大本山・建仁寺、京都市右京区嵯峨野の天台宗寺院・二尊院、臨済宗天龍寺派大本山・天龍寺、真言宗御室派総本山・仁和寺、臨済宗大徳寺派大本山・大徳寺、臨済宗妙心寺派本山・妙心寺、臨済宗東福寺派大本山・東福寺、臨済宗南禅寺派大本山・南禅寺、曹洞宗大本山永平寺にもありますが、勅使門の位置が京都妙顕寺や大石寺とは異なっている。臨済宗大本山の場合は、勅使門、三門、法堂、方丈が一直線上に建ち並んでいますが、京都妙顕寺や大石寺の場合は、客殿の前に勅使門があり、客殿と方丈(大坊)が並んでいる。

そして客殿の奥に宝蔵、書院がある、という並び方。これが京都妙顕寺と大石寺に共通している。

さて数年前に京都妙顕寺を訪問した折、庫裡の中に入って、客殿、勅使門を見学させていただくことができました。あいにく、京都妙顕寺は大覚大僧正六百五十回遠忌の本堂修復工事中で、勅使門の写真は、外からではなく、内側の客殿の側から撮影した写真です。

妙顕寺10勅使門


庫裡に入って行ったところ、京都妙顕寺の若い僧侶が、客殿の中のほうへ案内してくれて、いろいろと説明していただけました。僧侶の話では、本堂が修復工事中であるため、本堂に参詣する参拝客や信者は、一旦、庫裡に入って、庫裡から本堂に入って行っているのだという。

京都妙顕寺の僧侶の説明に依れば

○「京都妙顕寺の勅使門は、基本的に勅使がお通りになる場合以外には開けない」

○「勅使は勅使門を通って客殿に入り、客殿でもてなしを受けるようになっている」

○「客殿は、普段は行事等は行われておらず、団体参拝の信者の接遇など゜に使われている」

○「京都妙顕寺は室町時代から、応仁の乱、天文法華の乱や比叡山延暦寺宗徒の焼き討ち等々の戦乱で何度も焼失しているが、勅使門、客殿、庫裡等の堂宇の配置は変わっていないと考えられる」

 

概ね、このような説明がありました。

堂宇の配置の問題ですが、江戸時代の京都妙顕寺の古図が、インターネット上にアップされていますが、これを見ても、現在の京都妙顕寺の堂宇の配置と大差がない。

http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/nitiren.htm

http://www.nihonnotoba3.sakura.ne.jp/2003toba/myokenji31.jpg

http://www.nihonnotoba3.sakura.ne.jp/2007to_0//myokenji92.jpg

よって「京都妙顕寺の勅使門、客殿、庫裡等の堂宇の配置は昔から変わっていないと考えられる」という僧侶の説明は、間違っていないと思われます。

妙顕寺11客殿 

 

客殿という伽藍は、もともとは京都・貴族の屋敷や寺院などで、客を応対するために造った殿舎で、仏教寺院にある客殿は、賓客をもてなすための堂宇、ないしは参拝信者をもてなす堂宇として使われる場合が多い。

勅使とは、皇帝・天皇・王など国の元首が出す使者のことで、日本では一般的に天皇の使者のことを言う。主に鎌倉幕府成立以降、勅使は将軍宣下や勅令、官位任命の伝達を主として担った。勅使を迎える者が、たとえ官位において勅使よりも上位であったとしても、天皇への臣礼同様、敬意を払うこととされた。たとえば、徳川二代将軍秀忠に官位任命の伝達で京都から江戸城に下向した勅使は、勅使が上座で将軍が下座に座った。又、京都二条城で行われた徳川家康、秀忠、家光への将軍宣下も、勅使が上座で将軍が下座に座った。映画や大河ドラマ等の時代劇の時代設定もこうなっていて、勅使が上座で将軍が下座に座るシーンが出てきます。つまり、勅使は、天皇と同等のもてなしを受けた、ということである。

ただし、徳川四代将軍家綱以降、江戸城で将軍宣下が行われるようになると、勅使は下座に坐し、将軍が上座に坐すという変則が常態化した。しかしこれも幕末になると尊王思想の浸透により公武の権威がふたたび逆転、勅使が上座、将軍が下座となったという。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%85%E4%BD%BF

 

賓客をもてなす堂宇としての客殿で、代表的なのは奈良の法隆寺西園院客殿である。法隆寺の西園院とは、貫首の住居であり、仏教本山寺院で言えば大坊・大奥に相当する。つまり西園院客殿とは、貫首が賓客をもてなすための堂宇ということである。

これに対して、行事を行う客殿があり、古いものとしては園城寺勧学院客殿がある。

勧学院客殿の中は、表列(南側)、中列、奥列(北側)に各3室、39室からなり、表から奥にすすむにしたがい、公的な対面所から私的な部屋になる。ただし、各室の襖を開放すれば大部屋になり、勧学院、つまり学問所として対応できるしくみになっている。

大石寺では「信者は『戒壇の大本尊』の客人である」などという意義を言い出して、「戒壇の大本尊」なる板本尊を格蔵する宝蔵の前に客殿を創建した。大石寺に供養をもってくる信者は、「戒壇の大本尊」の客人であるとして、その客人をもてなす堂宇が客殿である、というわけである。

大石寺の客殿では、信者が参詣して丑寅勤行の他、興師会、目師会、御虫払い法要などの行事が行われている。

客殿の機能としては、大石寺9世日有は、京都妙顕寺の他、賓客をもてなす堂宇としての客殿である奈良の法隆寺西園院客殿、行事を行う客殿である園城寺勧学院客殿等々の寄せ集めパクリで、大石寺客殿を創建したと考えられる。

 

妙顕寺13客殿