■鎌倉妙本寺3(『臨滅度時の本尊』を格蔵する鎌倉妙本寺)

 

□池上本門寺からの分骨か(?)鎌倉妙本寺に格蔵される日蓮の真骨(頂骨5片)

 

池上本門寺と妙本寺は、両山一首制で一人の住職が管理していた。江戸時代には池上本門寺に貫首がおり鎌倉妙本寺は司務職として本行院住職が代理として管理していた。両山一首制は1941年(昭和16年)まで続いたが、平成16(2004)4月に鎌倉妙本寺は由緒寺院から霊蹟寺院に昇格している。現住職は大田区本妙院より晋山した第80世早水日秀貫首で、池上法縁五本山の一つに数えられている。

妙本寺の広大な境内には、本堂、祖師堂、比企一族の墓、一幡の袖塚といったものがある。

総門をくぐり、境内坂道の参道を登った二天門奥の大きな瓦葺きの建物は「祖師堂」で日蓮像が祀られている。

祖師堂は十二間四方の建物で、これは、大きな寺ゆえに大勢の参拝者があるので、できるだけたくさんの人が上がってお参りできるようにという配慮からということである。

祖師堂での行事は、千部会(4月13日)と御会式(9月13日)の二回で、このときは日蓮像がご開帳される。千部会(せんぶえ)は、『阿弥陀経』、『法華経』、『般若心経』などひとつの経典を、省略せずに1000部読経することである。1人で1000部読経することもあれば、100人が10部ずつ計1000部読経することもある。

 

霊宝殿には、日蓮・日朗ゆかりの寺宝が納められている。また霊宝塔には、日蓮の真骨(頂骨5片)が納められているという。

かつて両山一首制であった池上本門寺は、日蓮入滅・火葬・葬送の霊跡であり、池上本門寺の日蓮祖師像には、日蓮の灰骨が納められている。はっきりとした見解は聞いたことはありませんが、池上本門寺の日蓮灰骨の分骨である可能性が高いと言えよう。

日蓮灰骨は身延山久遠寺に格蔵されているのは、あまりにも有名ですが、日蓮宗各寺院には、いろいろと「分骨」されて、いろいろな寺院に日蓮灰骨が格蔵されている。

身延山久遠寺以外では、池上本門寺(日蓮祖師像の胎内)、大坊本行寺、鎌倉妙本寺、鎌倉本覚寺、京都妙伝寺、佐野妙顕寺、京都妙顕寺である。

妙本寺15祖師堂 

 

□鎌倉妙本寺に日蓮真筆本尊、池上本門寺は模刻板本尊が格蔵される「臨滅度時の本尊」

 

鎌倉妙本寺で有名なのは、日蓮が池上宗仲邸(現在の本行寺)で臨終の際に枕元に掛けられたものと言われている「臨滅度時の本尊」と呼ばれている漫荼羅本尊である。

この「臨滅度時の本尊」というのは、よく写真などで紹介されているのを見かけるが、私はこの「臨滅度時の本尊」の実物を、ここではなく、2002年の「大日蓮展」で見た記憶がある。

たしか、1981年の日蓮七百遠忌を記念して製作された映画「日蓮」の臨終のシーンにも、この「臨滅度時の本尊」が登場します。けっこう有名な本尊です。

池上本門寺と鎌倉妙本寺が両山一首制だったころ、江戸時代には池上本門寺に貫首が当住して、鎌倉妙本寺には司務職が当住していた。つまり池上本門寺が本で、鎌倉妙本寺が傍ということになる。

ところが六老僧・日朗授与が伝承される「臨滅度時の本尊」は、日蓮真筆が鎌倉妙本寺に格蔵されていて、池上本門寺大堂や大坊本行寺ご臨終の間には、「臨滅度時の本尊」を板に模刻した板本尊が祀られている。つまり本と傍が逆になっているのが、何とも興味深い。

 

「これはなぜかな」と不思議に思いますが、しかし鎌倉・室町時代の政治・社会情勢を鑑みれば、容易に察しが付くのではなかろうか。

つまり池上本門寺は、たしかに日蓮入滅・火葬・葬送の霊跡ではあるのですが、今でこそ、首都東京にある日蓮宗大本山として大勢の参詣者が訪れていますが、鎌倉・室町時代の池上本門寺周辺は、単なる農村地帯。むしろ鎌倉が、関東地方の政治・経済・文化の中心である大都市であった。池上本門寺周辺に町並みができはじめたのは、徳川家康が江戸に入り、征夷大将軍になって江戸幕府を開き、江戸が日本の政治・経済・文化の中心になった江戸時代以降のこと。

そうすると、日朗をはじめとする池上本門寺・鎌倉妙本寺歴代貫首は、農村地帯にあった池上本門寺よりも、鎌倉・室町時代は人口が多かった鎌倉にある妙本寺に「臨滅度時の本尊」を移し、鎌倉妙本寺で開帳するなどして、供養金集めを行っていたのではなかろうか。

池上本門寺には、日蓮七回忌の時に造立された日蓮祖師像が祀られているため、人口が多かった鎌倉の妙本寺に、「臨滅度時の本尊」を移したという解釈も成り立つ。

妙本寺20日蓮像