■佐野妙顕寺1(「日蓮宗の戒壇」という著書をもつ斉藤日軌猊下)

 

□「日蓮宗の戒壇」という著書をもつ斉藤日軌猊下が第49世貫首として当住する佐野妙顕寺

 

佐野妙顕寺とは、栃木県佐野市堀米町にある、日蓮宗の本山・由緒寺院で、正式名は開本山妙顕寺。ここは1294年(永仁2年)に日蓮の中老僧・天目が開創した寺院として有名である。日蓮宗本山に格付けされている。

天目(12561337・延元2年)は、勤行の時に法華経方便品を読誦すべきか、するべきでないかという方便品読不読論争で、方便品不読を主張したことで有名。

日向天目問答や日仙日代問答における方便品読不読論争を、本迹勝劣論争と混同している論調が一部にあるが、これは誤りである。日向天目問答や日仙日代問答における方便品読不読論争とは、あくまでも勤行の時に方便品を読誦すべきかどうかの論争であって、本迹に勝劣があるかどうかの論争ではない。

歴史上はじめて「本迹勝劣」を説いたのは、法華宗陣門流の門祖・日陣(13391419)1396(応永3)年に著した「選要略記」であり、1406(応永13)年、日陣が京都・四条堀川に本禅寺を創建したことで、京都で本迹論争が約8年間にわたって起きたのが、歴史上最初の本迹勝劣論争、いわゆる本迹論争である。

天目は、佐野妙顕寺の他に、鎌倉本興寺・品川妙国寺・小勝本門寺などを創建。常陸国笠間にて寂し小勝本門寺に葬られた。著書に『円極実義抄』・『本迹問答七重義』などがある。

小勝本門寺とは、茨城県東茨城郡城里町小勝857にある寺院で、現在は修多羅寺と改名している。正安2年(1300年)開山。徳川光圀の時、寺領5石の朱印が与えられ、毘沙門天が寄進され、寺号を修多羅寺と改名。水戸家武運長久の祈願所となった寺院である。

私が佐野妙顕寺に着目した理由は、天目開山ということもあるが、現貫首である佐野妙顕寺49世斉藤日軌猊下の著書「日蓮宗の戒壇」という本である。戒壇とは、もちろん、日蓮の「三大秘法」のひとつ、戒壇である。

なぜ「日蓮宗の戒壇」という本に着目したのか、というと、まず日蓮宗の正式見解として、日蓮が説いた戒壇については、「題目を唱える人の住処が戒壇」とは言うが、はっきりとした見解を出していない。何がはっきりしていないのかというと、「三大秘法抄」に説かれる戒壇とは、一体どういう戒壇なのか。ということ。

日蓮宗は「三大秘法抄」の真偽そのものについては、今は真書ということで見解がまとまりつつある。実際に、斉藤日軌猊下も「三大秘法抄」は日蓮真筆である、という見解。

日蓮宗の見解がはっきりしないというのは、「三大秘法抄」の真偽ではなく、「三大秘法抄」の戒壇、本門戒壇がどういう形で建立されるのか、という具体性、現実的解釈の話し。

こんなことを書くと、19701990年代に、日蓮正宗、創価学会、顕正会で激しい論争になった「三大秘法抄」の戒壇の解釈問題、正本堂の意義付け問題を連想してしまうが、あれとは別であり、全く異なる問題である。

斎藤戒壇本1 





















 

なぜ異なるのか、というと、大石寺が言う戒壇とは、大石寺9世日有が偽作した「戒壇の大本尊」を祀る「事の戒壇」のことであり、これは日蓮の遺文ではなく、大石寺9世日有が偽作した

「四十二、下種の弘通戒壇実勝の本迹、 三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり」

(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂「富士宗学要集」1p18)

「又五人並に已外の諸僧等、日本乃至一閻浮提の外万国に之を流布せしむと雖も、日興嫡嫡相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべきなり」

(日蓮正宗大石寺59世法主堀日亨編纂「富士宗学要集」1p21)

「国主此の法を立てられば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ・事の戒法と謂ふは是なり、」

 (日蓮正宗大石寺59世堀日亨編纂『富士宗学要集』2p183184)

「一、日興が身に充て給はる所の弘安二年の大御本尊、日目に之を相伝する。本門寺に懸け奉るべし」(大石寺版・平成新編御書全集p1883)

と、大石寺9世日有が偽作した「百六箇抄」「二箇相承」「日興跡条条事」に出てくる戒壇で、大石寺9世日有が偽作した「事の戒壇」。これは日蓮が説いた戒壇とは、全く別個の戒壇である。

 

そういったようなことがあり、斉藤日軌猊下に「日蓮宗の戒壇」についての見解を聞いてみたかったこと。

二番目には、佐野妙顕寺公式ウェブサイトに「日蓮大聖人御真骨奉安」と出ていたため、佐野妙顕寺が格蔵する日蓮真骨についての見解を聞きたかったこと。

三番目には、大石寺の偽書「御本尊七箇相承」に載っている天目命名の謂われの真偽について、天目開山の佐野妙顕寺猊下に見解を聞きたかったこと。

とっかかりは、佐野妙顕寺に電話をしたことから、はじまりました。

「貫首猊下の著書『日蓮宗の戒壇』は、そちらで売っていますか」と聞くと、寺院の受付にて販売しているとのこと。それで電話の応対に出た若い僧侶に、斉藤日軌猊下の著書『日蓮宗の戒壇』についての見解を尋ねると

「私はその本をよく読んでいないので、直接、貫首猊下にお聞きになって下さい」との返事。

「佐野妙顕寺に行けばお会いできるのですか」と聞くと、「明日は予定は入っていない」との返事。「貫首猊下にお会いできるのなら、明日お伺いさせていただいても、よろしいですか」という話しになり、約束がまとまって、早速、支度を調えました。こうして佐野妙顕寺への訪問記がはじまりました。