■佐野妙顕寺5(斉藤日軌猊下・拝謁記3)

 

さて話題は、最後の質問である佐野妙顕寺に格蔵されているという日蓮真骨について。

 

○私「佐野妙顕寺さんの公式ウエブサイトによれば、佐野妙顕寺さんには、日蓮聖人の御真骨が格蔵されているとのことですが、これはどのような縁由によるものなのでしょうか」

□猊下「それはねえ、日蓮聖人の御火葬のときに、天目上人が手を突っ込んで持ってきたものなのです。それが原因で、天目上人は手が曲がってしまったんだなあ。佐野妙顕寺の御真骨が、玉沢・妙法華寺、中山法華経寺に分骨されたということですが、今はもう、ほとんど残っていないんだけれどもねえ」

○私「日蓮聖人の御真骨を格蔵していると伝承される寺院は、あっちこっちにありますねえ。私が調べた限りでも、身延山久遠寺、池上本門寺の他、身延山から分骨された鎌倉本覚寺、京都妙伝寺。その他にも鎌倉妙本寺、京都妙顕寺にも御真骨があると伝承されています」

□猊下「そうだね。『○○身延』という名前がついている寺院には、御真骨があると伝承されているんじゃないかな」

○私「あの大石寺も、御真骨があると自称していまして、身延離山のときに日興が身延山久遠寺から大石寺に移したと言っていますが、これは全く信憑性がありません。『一跡門徒抄』『五人所破抄』『日尊遺誡』等の文献からして、日興は身延離山の時に、御真骨を大石寺に移していません。よって、大石寺が『御真骨』と称しているものは、後世に偽作されたものと考えられます」

□猊下「そのとおりである。『一跡門徒抄』『五人所破抄』を読んでおられるとは、なかなか詳しいですな」

 

庫裡の中の座敷で斉藤日軌猊下への「目通り」の席は、けっこう長時間続きました。私が、日蓮の御真骨や遺文の話題を出したので、猊下はいろいろな話しをされました。

 

□猊下「昔の人は、曼荼羅をちょんまげの中に入れていたりしたんです」

「日蓮聖人の御遺文を刻んで水の中に入れて、その水を飲んだりしていたんです。それで各地の寺院に御遺文の断簡が残っているんだなあ」

「佐野妙顕寺も、今は塔頭がなくなってしまっていますが、昔はここにも塔頭坊がたくさん建ち並んでいて、けっこう大規模な本山だったようですねえ」

「北山本門寺も『戒壇』のことを研究しているんじゃないかな。『日蓮宗の戒壇』の本を出版したとき、北山本門寺からたくさんの注文が来て、大量に発送しましたがねえ」

斎藤戒壇本1 





















 

斉藤日軌猊下から、さまざまなお話を聞くことが出来て、実に有意義な拝謁のひとときとなりました。本山貫首猊下に拝謁できるということだったので、あらかじめ白い包紙に御布施を入れて貫首猊下に。猊下は驚いた様子で、猊下から、お返しの品をいただきました。

又、佐野妙顕寺で斉藤日軌猊下の著書を購入した上で、実に有意義なお話をお聞かせ頂けたので、記念として、著書の巻末に猊下のサインをお願いしたところ、快く御承諾をいただき、巻末に毛筆の御署名・花押と印を押して頂けました。

斎藤戒壇本2






















猊下の揮毫に「英昭彦先生へ」と書かれていたので、こちらがビックリ。さらに猊下への拝謁が終了して、庫裡玄関まで、猊下、僧侶、受付の寺族の方が、お見送りをしていただけたのですが、寺族の方が、私に合掌礼をされていたので、これを見てまたビックリ。

インドでは、挨拶がわりに合掌礼をするらしいですが、私は署名・揮毫で「先生」と呼ばれたのも始めてのことですし、合掌礼をされたのも、生まれてはじめてのこと。何やら、恥ずかしくなって、全身から冷や汗が出てきそうになりました。

私なんぞは、合掌礼をされる資格もなければ、先生と呼ばれる資格もないことは、私自身が一番よく知っています。しかし、このことが私の心の中に大きな衝撃となり、佐野妙顕寺からの帰途、ずいぶんと考え込んでしまいました。

 

そういえば、自分の宗派の僧俗に合掌礼をさせて悦に入っている人物が静岡県富士宮市に住んでいるし、「先生」と呼ばせて悦に入っている人物が、東京・信濃町に住んでいる。東京・常盤台だか埼玉県・大宮にもいますね。

私も、生まれて初めて合掌礼をされて、先生と呼ばれて、考え込んでしまったのですが、本来だったら、自分で深く反省しなければいけないんではないだろうか。「自分は合掌礼をされる資格があるのか」とか「先生とよばれる資格があるのか」とか「合掌礼をされ、先生とよばれるほどの修養を積み、徳を積んでいるのか」というふうにです。

私は、「アンチ日蓮正宗」や「仏教宗学研究会」の関連で、いろいろ調べごとをしたり、寺院巡りに行ったり、いろいろと研究したりはしていますが、修行もしていなければ、修養も積んでいません。

私が「合掌礼」「先生」と縁が出来たのは、これが最初で最後になるだろうから、あまり深く考え込まないほうがいいのかもしれませんが、しかし、私の心の中に大きな衝撃があったのは事実。

少なくとも「オレは大聖人から唯授一人の血脈相承を受けた法主なのだ。絶対に誤りはない」と言って合掌礼をさせたり、「オレは広宣流布の大功労者なのだ。創価学会員の折伏の師匠であり、人生の師匠である」と言って、先生と呼ばせているのは、絶対に間違っているということは言えるのではないだろうか。