■中山法華経寺3(なぜ中山法華経寺で荒行が行われているのか1)

 

□中山法華経寺塔頭遠寿院前にあった荒行堂ができた歴史的経緯を記す看板

 

中山法華経寺で有名なのは、荒行である。荒行堂は中山法華経寺本坊横と塔頭・遠寿院にある。「荒行」とは、過酷なほど厳しい修行ということだが、インターネットで調べると、中山法華経寺の荒行、比叡山延暦寺の千日参篭、インドのヨーガが世界三大荒行として出てくる。

中山法華経寺の荒行よりも比叡山延暦寺の千日参篭のほうが古いようで、源頼家の次男・公暁も千日参篭を行っていたということが1979(昭和54)年に放映されたNHK大河ドラマ「草燃える」に出てくる。岩下志麻演じる北条政子が「どうしてそんなに厳しい修行をしなければならないの」と言って公暁をいたわるシーンが出てくるのが印象に残る。

昨今、浄土真宗大谷派住職と懇談する機会があり、その中で仏教寺院の修行の話が出た。

大谷派住職は、日本仏教界で厳しい修行を行っている寺院として、福井・永平寺、比叡山延暦寺、そして中山法華経寺の荒行を挙げる。中山法華経寺の荒行が「最も厳しい修行だ」という。この住職が「最も厳しい修行だ」というのは、批判して言うのではなく、評価して言うのである。

そこで「浄土真宗はどうなんですか」と聞くと、真宗の場合は、宗門指定の学校、大学で数年間勉強するのが主であるという。「水行とか、滝に打たれるとか、厳しい修行はないのですか」と聞くと、「それはないねえ」との返答。

浄土真宗の場合は、葬儀、法事、命日の月参りで住職が来て読経する「檀家寺」が主であるようで、寺院の法要に参拝する熱心な門徒(信者)は、そんなには聞かない。私の祖母は熱心に真宗寺院の法要や行事に行っていたが、父母の代になると、葬儀、法事や命日の月参りに住職が来るだけになった。

祖母は熱心だったとは言っても、昔からの菩提寺の住職を嫌っていて、祖母の代でも父母の代でも菩提寺住職とトラブルがあった。父母の代になると、菩提寺住職とケンカをして離檀を宣言。その後、葬儀、法事や月参りには、他寺の住職が来ている。

私は特にどこの寺院に帰依するとか、どこの宗派に帰依するという気は全くないので、父親が他界した後は、葬儀にはどこかの寺院住職が来るようにはなると思うが、従前からの住職との繋がりも終焉になると思われる。

僧侶の修行という観点からすると、真宗住職も認めているように、浄土真宗で厳しい修行を行っているなどとは聞いたことがない。もっとも浄土宗、浄土真宗の宗旨は、南無阿弥陀仏を唱えれば極楽往生するという教え。難行苦行を積み重ねて成仏するという宗旨ではないから、そういう厳しい修行は行われていなかったのだと思われる。

それでも真宗大谷派住職の話しに依れば「昔はそれ(南無阿弥陀仏と唱える修行)でよかったんだけども、今はそれだけではダメなんですよ」ということで、いろいろな人生相談に応じたりという活動を行っているという。

遠寿院11荒行堂 
















さて日蓮宗は、浄土真宗と同じ鎌倉仏教で、鎌倉、室町時代に急速に日本全国の庶民に広まった宗旨。日蓮宗も「南無妙法蓮華経と唱えればだれでも成仏する」という、一見して真宗とよく似た易行に見える。しかし荒行は、日蓮宗の中山法華経寺で行われているが、浄土真宗には全くない。ではどうして中山法華経寺では古来から荒行が行われているのか、ということになるが、これについては荒行堂がある遠寿院前に立て看板がありました。

「荒行堂遠寿院略縁起

末法の行者息災延命所願成就の祈祷は古く吾が日蓮大聖人直授秘妙五段相伝の秘法でありまして、祈祷肝文を始め撰法華経修法伝書に至るまで残りなく大本山法華経寺の開山日常上人への御相伝に始まる。それは千金莫伝と申しまして例え千金の黄金を積んでも金では伝えない唯授一人の秘法でありまして、日常上人より之を二代目日高上人へ、日高上人は三代日祐上人へと瓶の水を瓶に移すように、一滴も漏れることなく相伝されたのでありますが、第十代日俒上人の時に及んで、日蓮大聖人の御理想である一天四海皆帰妙法の御意志に従ひ、一門の中より特に行力堅固弘通の志念力の厚い者を選び、神文起請の上、相伝することになったのであります。その選に選ばれたのが経土院日詳上人(法華経寺第三代日祐上人の法孫)で、新たに堂宇を建立し荒行堂に充当したのが遠寿院の前身円立坊であります。それは皇紀2251年今から390余年前の天正19120日のことで、(平成元年より計算すると398年前となる)それが荒行堂の濫觴であり、本化の祈祷修法は広宣流布の前提として一般庶民救済の為貴族的祈祷より一歩前進したのであります。法華経寺第十二代仏心院日珖上人の文禄二年に三山輪番の制が創始された時に、法華経寺住職は三カ年を輪番の一期とした為修法相承に専心出来ない事を憂い茲に副伝師職を置いて修法道に堪能な人を挙げて相伝の事を司しめたのが副伝師の始めであります。其の初代副伝師に選ばれたのが当院第三世遠寿院日久上人で正中山正嫡の大秘法を悉く相承され行力堅固修法練達の聞こえ高く一千日の行法を成満し今日の修法伝書の殆ど凡てが日久上人の時に結集大成されたものばかりで祈祷修法中興の師と仰がれ、為に当院第四世日行上人は日久上人の徳行を慕い其の院号を取って寺号とし、即ち円立坊を遠寿院と改称し代々資師相承の法水は滴々として六百数十年、其の間先聖先哲の苦修練行によって秘法は逐次に巧緻を加え、以顕経力内外の欣仰を博して爾来根本道場として代々当院住職が口決相承の任を負い連綿相承今日第三十四世となり、現在宗門唯一無二の日蓮聖人直授の相伝書を格護している加行道場であります。

平成元年七月吉辰  根本御祈祷系授的伝加行所遠寿院

第三十四世 妙行院日輝 謹記」

 

ここに書いてあるのは、なぜ中山法華経寺で、遠寿院で荒行が行われているのか、という歴史的経緯ということのようです。

 

荒行堂縁起1