■総持寺祖院2(総持寺祖院にもあった富士門流板本尊の原型・曹洞宗の寺位牌・板位牌)

 

□総持寺祖院にもあった日蓮正宗・富士門流板本尊の原型・曹洞宗の寺位牌・板位牌

 

さて曹洞宗大本山永平寺に行ったとき、永平寺の位牌堂である「祠堂殿」の中に入って、その中にある曹洞宗の寺位牌・板位牌を実見。これらの寺位牌・板位牌が日蓮正宗、富士門流寺院の板本尊によく似ている、ということを書いた。この寺位牌・板位牌は、祠堂殿のみならず、法堂や承陽殿にも多数あった。

元々、位牌というものが、禅宗が中国から日本に伝来せしめたものである故か、曹洞宗寺院の位牌堂に入ると、板位牌や寺位牌が多数収蔵されているのを見かけるわけだが、あまりにも形が日蓮正宗や富士門流寺院にある板曼荼羅本尊に似ていることから、日蓮正宗系・富士門流系の板曼荼羅本尊は、禅宗の寺位牌、板位牌のパクリであろうと考えられる、かつて結論づけた。

つまり何らかの形で日蓮宗系、富士門流系の僧侶が曹洞宗の板位牌、寺位牌を知り、表面に曼荼羅を書いた板曼荼羅本尊を造立したものと考えられるわけである。

それではもうひとつの曹洞宗大本山総持寺の位牌はどうなのか、ということになる。

総持寺の場合は、元々は石川県能登にあったのだが、1898年(明治31年)の火災。1911年(明治44年) 現在地の鶴見に移転した。それで元の能登のほうは総持寺祖院となった。

であるから、明治の移転以前の歴代貫首の位牌、鎌倉、室町、戦国、江戸期といった上古の昔の時代の位牌は、鶴見の総持寺ではなく、能登の総持寺祖院にあると考えられたため、能登の総持寺祖院のほうを見学に行きました。

総持寺祖院の法堂にも、位牌を祀る位牌堂がある。そこには数多くの位牌が祀られている。ここで一番大きな位牌は、特別に祀られている総持寺歴代貫首の位牌。歴代貫首の板位牌は、ひときわ大きい。形としては、まさに日蓮正宗や冨士門流の板曼荼羅本尊にそっくりである。

総持寺祖院の位牌堂は、法堂と隣り合わせになっていて、数多くの大きな位牌が祀られ、その位牌にむかって導師席が設定されている。

総持寺祖院での見学でも、永平寺で見学したときのように、曹洞宗の寺位牌・板位牌は形としては、まさに日蓮正宗や冨士門流の板曼荼羅本尊にそっくりである。よって結論としては、日蓮正宗系・富士門流系の板曼荼羅本尊は、曹洞宗の寺位牌、板位牌のパクリであろうことは変わりないと考えられる。

もちろん道元禅師は、鎌倉時代においてすでに鎌倉に下向して北条時頼に授戒し説法しているので、すでに鎌倉時代から曹洞宗の寺位牌、板位牌は鎌倉地方に伝来していたと考えられる。曹洞宗のほうが先に寺位牌、板位牌を伝承せしめているわけだから、パクリをしたのは日蓮正宗や冨士門流のほうであることは明らかである。

位牌堂1総持寺祖院

総持寺1等身位牌1